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タカラノツノ 第6話 #創作大賞2024#ファンタジー小説部門

《城ぐらし》
 その次の日、殿さまのおかかえの石工(いしく)と医者と学者がよびよせられ、タカの角をしらべた。家来たちと同じに殿さまもまた、ばかではなかった。たんに昔話だけをうのみにするのではなく、タカが鬼ではなく、角の生えた人間かもしれない、という考え方をすることも忘れてはいなかったのだ。
 玻璃(はり)のようにとうめいなタカの角を見、金づちでかるくたたいたりしたあげく、石工は「この角は水晶と同じものでしょう。」という答えを出した。医者は、「角が生えていることよりほかにべつだん、人と変わったところはありません。」と首をひねった。さいごに学者が何日も書物(しょもつ)をしらべあげてから、「人を食べたり悪さをしない鬼の言い伝えも、昔からございます。角にふしぎな力がこめられていて、天気を思うようにかえられた山伏(やまぶし)の話や、かみなりをおこした僧の話などです。また、本当に角があるというだけで、めずらしがられ、何の福もわざわいもなく、一生を終えた者の言い伝えも海をこえた大陸(たいりく)の方にはあります。ただ、そういった者たちの角が水晶だったというきろくはいっさいありません。」とほうこくをした。
 それを聞いて殿さまは、いよいよタカをいくさ神としてまつるじゅんびをはじめた。まずは名まえをかえられた。ここにきてからタカは「タカラノツノさま」と呼ばれるようになった。
 次いでタカのために、占い師がよい方角だの、日どりだのを決めて、城にりっぱなやしろがたてられた。ただし、もともとただの猟師の家に住みついた子どもで、もっと前には百姓の子どもだったタカだ。殿さまはタカができ心を起こしてにげたりしないように、足かせをつけた。ようは「やしろ」とは言ってもけっきょくはきれいなざしき牢(ろう)のようなものだった。だが、それまで山を自由にかけまわっていたタカにとって、それはじゅうぶんな拷問(ごうもん)だった。じぃっとしていると、体のおくそこに毒(どく)がたまるみたいにかんじて、タカはしょっちゅう足かせのくさりがのびきるところまで、走ってみたり、さかだちをしたりしていた。かあちゃんと捨丸の顔がうかぶことがなかったら、一日だってたえられなかったろう。
 しかしそんなふうにはじまった城ぐらしでも、食べる物に困らないのはありがたかった。あらぶるいくさ神さまには、けもの肉や魚をささげなければならない、ということで、つねに肉と魚だけがタカの前に出された。
 それとともにありがたかったのは、小さなコマ姫がこっそりと顔を出しては、タカをあいてに、ちょっとしたなぐさみ話をしに来ることだった。コマ姫がタカの落とし穴にはまったのは、ほんの半年前のことだ。やはりこの国に来たばかりで、そのさびしさをわかってくれる者がいなかったこともあったろう。何かと理由(りゆう)をつけてはやしろにやって来た。話の中身はやれ、きょうはお目付けがかりの女御(にょうご)におこられた、とか、やれ、自分の夫である若殿と、あまりに年がはなれているから何を話してもおもしろくない、とかいった大したことのないものだったが、タカはいつも姫のそんな話に心をなぐさめられた。
 いっぽう、コマ姫の方もタカがさいしょにした雪の話からはじまり、旅をしてきた国々の話、狩りの話をきょうみしんしんに聞くのだった。この角のおかげでタカは村を追い出され、かあちゃんといっしょに、てんてんと旅をつづけなければならなかった。どこかでそのことをうらみがましく思っていたタカだったが、こうやってコマ姫に聞いてもらえるならば、角を持って生まれたのも悪くはなかったかもしれない、としだいに思うようになっていった。

 そんなタカの足かせがはずされるのは、殿さまが今回のいくさのしょうりにかんしゃのいのりをささげる式を行うときだけだった。その時だけはいくさに勝ちをもたらしたという神さまを一目見ようと大ぜいの人がおとずれた。そしてタカのうつくしい水晶の角を見て、手を合わせる人や、さらなる武運にあずかろうと、かわるがわるタカの前に立つのだった。
 もっともかんじんのいくさ神であるタカは、ただ、きれいなきものをきせられ、いっさい口をきかないように言いふくめられて、祭壇(さいだん)の上にすわっているだけだった。そしてタカのとなりにはかならずあの占い師がいて、いくさ神のお言葉だと言っては、あつまって来た者たちに向かって、タカが一度も思ったことがないようなことを代わりにしゃべった。それを聞くとそこにいたおさむらいや兵はいっせいにどっとどよめき、「タカラノツノさま、タカラノツノさま、ありがたや。」とひれ伏した。
 「タカラノツノさま」とすがるように呼ばれ、下にもおかないあつかいをされると、タカははじめて城につれてこられた時の、息づまるような気持ちになって、せなかがざわざわした。角のおかげでそれまで人からはきらわれることの多かったタカだったが、もともと気はやさしい方だったから、手のひらを返したような人々を見ることはけっして気持ちのいいものではなかった。けれども、何度もそう呼ばれるうちにそれにすっかりなれてしまった。
自分が「タカラノツノさま」であることだけでありがたがる者がいることがわかると、そう呼ばれることを楽しむようにすらなった。タカが人前に出る時にはけっしてお面のように思うことを顔に出さないようにすることだけに気をつけていれば、あとは占い師が“ありがたいお言葉”を言ってくれるのだ。
 (今まで苦しめられた角に、ちょっぴり恩返ししてもらったっていいだろう?)いつしかタカは、ひそかにそんなふうにも思うようになっていた―。

 さらにうれしい知らせがあった。かあちゃんと捨丸には会えないと言われたが、城の者がその後の二人のことを聞かせてくれたのだ。捨丸は殿さまからのほうびは取らず、その代わりに何年か、城へのみつぎものをおさめなくていい、というやくそくをかわしたという。片腕をうしなった今の捨丸にはもう、わなをつかった猟しかできない。それを考えてのことだろう。くらし向きもずいぶんと楽になったということだった。年貢をおさめなくていいとは、捨丸らしいかしこいやり方だと、タカは心の中でにんまりと笑った。
 そのことでやっと安心できたタカは、それからは城のくらしをもっと楽しむようになった。

《いくさのかげ》
 しかし、タカが城ぐらしを楽しんでいるあいだにも国のようすはどんどんかわった。タカがいくさがみとしてまつられるようになってから三月もたったころ、ふたたび殿さまがいくさをしかける、と言い出したのだ。東の国の殿さまが、この国を自分のものにしてしまおうとたくらんでいるのを、しのびこませていた間者(かんじゃ:スパイ)がかぎつけたからだという。
 「いくさは先手必勝(せんてひっしょう)じゃ。こちらから先にしかけて、あやつらの出鼻(でばな)をくじくのじゃ。ましてや今、わしらにはタカラノツノさまがおる。かならず勝てるぞ!」殿さまはたたかう気まんまんでそう言ったという。
 その日からふたたび、タカのやしろの前には、かわるがわる殿さまや、位(くらい)の高いさむらいたちがやってきては、なにごとかをぶつぶつといのっていくようになった。もちろん勝ちいくさをねがう者もいたが、ぶじにいくさからもどらせてくれ、とねがう者はそれよりはるかに多かった。捨丸を兵にとられたことのあるタカにはそちらのねがいの方がずっと胸(むね)にせまったが、いのられたところで、タカには何もできない。そもそもタカがつげた言葉は占い師が言ったもので、タカ自身は一度も神がかり的な“おつげ”をかんじたことなどないのだ。だからただただ、いのりを聞いてだまりこむしかなかった。

 「タカラノツノさまはただ、いのりを聞いていてくださればいいのですよ。」そんなある日、すっかり言葉づかいもあらたまったくまざむらいがひさびさにタカをおとずれてそう言った。「それでみなは、おそれやおびえをまぬがれることができるのですから。」
 けれど、おれにいのるくらいで、そんなにかんたんに人の気持ちはやすらぎをえられるものだろうか。タカは顔には出さないように気をつけながらも、そう思わずにいられなかった。
 すると、まるでそれが声に出されたかのように、くまざむらいが言葉をつづけた。
 「もちろんそれが気休めにすぎない、と考える者も少しはいます。そういう者はここには来ないでしょう。だがそれいじょうに、あなたの力を本気で信じている者がいます。そうすれば少しはいくさに行くのがこわくなくなる者もいるし、中にはその気持ちだけでほんとうにうまく、いくさから生きてもどれる者がいるからです。それにこたえるために、あなたは生かされ、ここにいるのですよ。」
 そういったくまざむらいの目にともる光は、ていねいな言葉とはうらはらにあの日、タカをかあちゃんと捨丸のもとからつれさった時と、まったくかわっていなかった。タカに向かっていのる者がよく見せる、たよるような、すがるような気持ちはみじんもふくまれていない、強いまなざしだった。
その時、タカははじめて気づいた。ただの猟師の子どもだということを知っているこの男は、タカがただ“いくさ神”にまつりあげられたにすぎない、という殿さまたちのからくりを知っていた。くまざむらいは、自分をいくさ神とは見ていないのだった。
 はじめて捨丸の小屋で出会った時から、やさしさやものごしのやわらかさは、いっさい感じさせないくまざむらいだったが、ふしぎとこの時のタカは、それをいやだとは思わなかった。それどころか、その変わらないくまざむらいのすがたを心のどこかでよろこんですらいた。
 どうじに、ほかでは鬼とよばれていみきらわれていたのに、ここではありがたられている理由をあらためてくまざむらいにつきつけられて、タカは身がひきしまる思いがした。
 ここしばらく、神さまのようにあつかわれていたタカは、自分でもひょっとして自分はいくさ神なのかもしれない、とまで思うようになっていた。だが、やはりちがう。タカはいくさに勝ちをもたらす“道具”として、ここにいるだけだった。ふたたびとうちゃんの葬式で自分を鬼だと言ったおばさんや、首を取ろうと目を光らせて自分たちを追いかけてきた、おそろしいさむらいくずれの男の顔がありありと、タカの中にうかびあがった。
次に、捨丸のことばが耳によみがえった。
 (「こんどまた国がこまったら、きっと同じように、いくささえすればゆたかになる、とかんたんに考えるようになるぞ。」)

 今回は国をゆたかにするため、という理由でこそなかったが、いくささえすれば、という殿さまの考え方は同じところから生まれている。その考えに行きついたタカは、自分がつめたい、暗いうずの中にまきこまれていく夢を、起きていながら見ているような気分になった―。

 ―けれどそんなタカの気もちにはおかまいなしに、それからほんの半月後、殿さまのせんげん通り、タカたちの国はそのいくさに勝ったのだった―。

《いくさはくりかえされる》
 ざんねんながら、捨丸の言葉はほんとうだった。それからほんの二年の間に、殿さまは三度もいくさをした。イナゴにおそわれて稲が不作だったから、と西の国にたたかいをしかけ、家来の一人がむほんを起こしたから、とその家来をたおすための兵をあつめた。にたりよったりの理由で殿さまはいくさをくりかえし、そしてそれにことごとく勝っていったのだ。

 だが一方で、殿さまのねらいどおり、国は大きく、ゆたかになった。
 殿さまは前よりもっとたくさんのお百姓から年貢を取れるようになり、国の米ぐらには民(たみ)が一冬(ひとふゆ)はこせるくらいの米がうなっていた。もう、一回くらいの不作ではびくともしない。みじかい間に、いくさ道具を売りに来る商人も多く出入りするようになり、金子がさかんにやり取りされた。そうやって里だったところは村に、村だったところは町となって国は一気にさかえた。

 もちろんいくさになれば、死人も出る。死なないまでも、捨丸のようにくらしに困るようなけがをするものも出た。しかし殿さまは、そのような者たちへの“おおばんぶるまい”を忘れなかった。いくさにくわわった者には、かならずかかえきれないほどたくさんのほうびが出された。ほかにも、いくさのけががもとではたらけなくなった者には、わずかではあっても月ごとに金子をあたえた。兵として死んだ者が出た家ぞくには、それにくわえて次のはたらき手が育つまで、年貢をおさめなくてもいいというやくそくまでした。だから、ひんぱんにいくさをしているにもかかわらず、殿さまへのふまんをもらす民はあまりいなかった。そういうやり方もふくめて、この国の殿さまはじつにいくさが上手だった。

 いっぽう、タカは勝ちいくさの幸運をもたらす角の持ち主として、ますます神のようにあつかわれるようになった。タカのやしろには、まい日ひっきりなしに人がおとずれる。いぜんは肉や魚のないめしが出されることが、たまにあったが、もうそんなことはない。神さまらしく見えるように、はなやかなかざりがついた“かんむり”まで用意された。
 しかしそうやってまわりの者が、熱をおびてもり上がっていくのとはんたいに、タカはひどく無口になっていった。つねに何かのもの思いに取りつかれて、目は何もない正面ばかりを見つめていた。
タカの頭の中でずっと、くまざむらいがのこした言葉を考えつづけていたのだ。
 まったくもって、くまざむらいの言うとおりだった。自分がほんとうにいくさ神なら、どうして捨丸は左腕を失ってしまったろう。タカもかあちゃんもそんなことはのぞんでいなかった。それにもし、タカの角にそんなありがたい力があるなら、どうして自分に「生きて返してくれ」といのった者のねがいがかなえられずに、死んでしまう者が出るのだろう。自分はいくさ神などではないのだ、という現実が、タカを内がわから、じわじわとむしばんでいった。
 人の立ち入りがはげしくなり、ゆるぎない神としてあつかわれるようになってしまったタカのもとには、ゆいいつのなぐさめだったコマ姫もちかごろは、ぱったりやしろに出入りしなくなった。そのことも、タカの無口にはくしゃをかけた。

 そんなある日、すっかりいくさ上手とうたわれるようになった殿さまが、とつぜん、ひょっこりとタカのもとをおとずれた。これにはタカもおどろいた。タカをいくさ神としてまつり上げた立役者であり、そのためにだれよりも、タカがいくさ神ではないことを知りつくしている一人だったはずだからだ。
 しかも、やって来た殿さまは、タカに向かって手を合わせた。
 いつもは神さまのふりをするように言われ、人前ではだまっているばかりのタカだったが、いよいよわけがわからなくなって、とうとう口をひらいて殿さまに聞いた。
 「殿さまはおれをほんとうにいくさ神だと思っておられますか?」
 今度は殿さまがおどろいたようにタカを見かえした。まさか、タカの方から何かを聞いてくるとは思っていなかったようだ。だが、すぐに気を取りなおして答えた。
 「実はな、半分は、そう思っておる。わしはみじかい間に人からいくさ上手と言われるようになったが、勝ち負けはいつでも時の運だ。どんなによい策(さく)を打っても、勝てるとはかぎらない。お前が猟師の子どもにすぎないことは、わしこそがじゅうじゅうしょうちしている。しかしお前のようなかわった、うつくしい角をもった者がわしのところにやって来たのもまた、運なのだ。その“運”のところをわしはお前の角にたくしていのるのだ。だがな、」殿さまは一気にしゃべってここでいったん一息ついた。
 「ほんとうの時の運はお前の角さえこえたところにある。わしはそれをしょうちできょう、いのりに来たのだ。この国はまずしかった。土地もやせていて山も海も神から見はなされたようにめぐみをもたらさない。だとすればいくさをすることでしか民はやしなえぬ。だからお前のような者がひつようなのだ。」さいごにそう言って殿さまはタカの前から立ちさった。
 しんしんとした沈黙とともに、ふたたびタカはやしろにとり残された。殿さまの言い分はもっともだ、とタカは思った。どこがそうか、と問われればきっとうまくは言えないだろう。だがこの殿さまの答えを聞いたタカは、この人もまた、おろか者ではないと思った。けれど、そう思う一方でタカの胸の中ではもうひとりのタカが「それはちがう。」とささやいていた。むかし、いくさを前に里の大人のだれだったかが、(「殿さまは、ほんとうにいくさで国がゆたかになると思っているのかねぇ。」)とつぶやいていた声が、ふいに思い出された。

 そうして殿さまの方は、何かと正しそうな理由(りゆう)をつけて、どこかの国や、ほかの城の殿さまといくさをくり返すのだった。

#創作大賞2024

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