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舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち  円盤発売記念!!なレビュー【後編】

さてさて後編!! 維伝鑑賞会や大演練発表、刀ステ一挙配信などもあり、今後のわくわくがとどまるところを知らないのですが、是非是非今のうちにじっくり維伝復習&そして未履修の方にもしっかり見てほしいな という ところを語っていこうと思いますよ!


前編で土佐組以外をレビューしてみたのですが、今回レビューする土佐組の彼らは特に公演の中で大きく成長した男士達です。(ただ単に前編書き込みが多すぎて分けただけ ともいう)
もちろん土佐組以外の男士達もとても成長していましたが、特に凱旋公演入ってからの土佐組は 
―――つい最近顕現したばかりの刀剣男士が、戦闘や元主とのやりとりで はじめて心を得た――― ように感じるほどで、思わずキャストさんが演じている事も忘れ、刀剣男士達そのものに心を寄せている感覚がし、公演開幕からの確かな成長の積み重ねに涙を落とさずにいられませんでした。
その偏移の過程についても後で語りたいのですが、

現在、未曽有の事態となっており、数々の舞台やイベントが順延・中止となっています。
状況はまだまだ予断を許さない状況ですし、今後好転するかどうかはまだ誰にもわからないと思います。そして劇場や実質運営側の対応なども適宜試行錯誤していくしかないんですよね。
そういった状況を鑑み、せめて出来るだけ当時現地劇場で感じたこと。
思ったことを綴ってゆこうと思います。

少しでもかつての観劇体験が伝わり、無事舞台が開演できるようになった あかつきには、劇場へ足を運んでもらうきっかけだったり、作品の魅力を引き出す一助になればいいな と私なりに考えてみました。
前編も合わせ、良かったら暇つぶしにお付き合いくださいませ。
レビューなのでネタバレというか円盤の内容を語ります。ですので


ネタバレ絶許の方はさようならです。。。(゚Д゚)ノ


土佐組の事に入る前に、まずは刀ステ舞台ならではの
殺陣について熱く語っていきたいと思います!
殺陣は刀ステの見所であり、ここを見に来ているという人も多いそうですね!


◆刀ステ見どころ 殺陣

実は私は、殺陣というより実際の剣術を追求していた時期もあったりします。
以前の刀ステシリーズで鈴木拡樹さんが指導を受けたという『柳生新陰流』の祖流に当たる『新陰流』や、新選組・近藤勇で有名な『天然理心流』を少しばかり追求しておりました。
主には型や理念、歴史の中での立ち位置なんぞを深堀りしたりしていたのですが、新陰流はそもそも剣道、今に至る剣術の祖の一派とも言われ、戦国期、まだ鎧をつけた時代の剣法です。そんな時代の剣なので腰をしっかり落とし、足も鎧を想定した重さを支えているので、より力強く舞台映えした形になり、カッコイイです!

鈴木拡樹君はもちろんこの基本動作をうまく取り入れながら独特な三日月の殺陣をこなしていましたが、維伝でそれに近い動きをしていた男士がいます。
和泉守ですね。
和泉守の元主は土方さんなので天然理心流なのですが、この流派はとにかく
『なんとしても敵を殺す』ことを目的としています。
型ばかり綺麗な江戸時代の剣術では異質ですし、剣術の性格的には戦国期の剣術に近い。という親和性がアリかなと思いました。
天然理心流の殺意が高いのは、豪商や豪農の家に押し込み強盗が入った時、身を守る為と敵を撃退する為です。多摩は江戸にも近く、事あらば幕府の為に出動するという組合があり、そういった『自分達の事は自分達でなんとかする』気質があったと言われています。
で、天然理心流や実際の剣術要素が殺陣に入っているのかというと、雰囲気を出しつつ見せ方として良く見えるように巧く工夫してくれていました。
また和泉守は髪と衣装が重いだろうなというのもありましたが、和服で重めの剣を使いそうなイメージと相性が良かったですね。 
しっかり腰を落とし、足を踏ん張っている所が特に良かったです。
引き斬るには押し付けて引くわけですがここで足腰が重要です。 

お芝居の殺陣なのにそういった実際の剣術に近い動きをしているので、劇場でも十二分に迫真さを感じさせてくれました。

刀ステは以前は私の大嫌いなスーパー殺陣をしていたのですが
※私の言うスーパー殺陣とは。活撃のような、敵や敵の切っ先も見ずにさくさく倒していく、リアルと程遠いチャンバラごっこ。いわゆる無双というやつです。
悲伝あたりから良くなり、維伝では殆どスーパー殺陣は見られません。

敵の目線や敵の切っ先をちゃんと目で追いながら(おそらく遡行軍さんもマスクの中から)本物の手合わせか、あるいは実際の戦闘のように戦っています。
ここはもう是非しっかり映像で確認してほしいです!
舞台ですのでカッコつけるところはちゃんと観客側を向いてカッコつけてますが、現地だと流れが早いし実際に戦っている感じの殺陣すぎて、客席から見ていてもかなりハラハラしました。

敵を見据え、戦闘の熱に頬は熱くなり、息を荒げてリアルに汗を流す。
どんどんと重い足音が客席のお腹にまで響き、緊迫した中で演者の衣が翻る風が頬に当たることもありました。
これが本物の闘い。刀剣男士の出陣の様子なんだと思うと、手には汗が浮かび、ただただ、必死に応援せずにいられませんでした!

刀ステ名物とも言いますが、各々の男士の雰囲気等によって殺陣のクセが違っているところもじっくり見たい見どころポイントです。
見てわかりやすいよう殺陣師さんが工夫されているのもありますが、演者さん達が“より綺麗に、キャラクターらしく”見えるよう工夫して演じて下さっています。
どの男士がどんなふうに殺陣をしているか見比べたり、なぜこの男士はこういう動きをしているのか深堀すると面白いと思います!

そういう場面は円盤や配信を是非じっくり見ていただいて、
現地の様子としてお伝えしておきたかった点としては、

維伝公演最初の方でも鳥太刀の二人はまさに『お手の物』といった感じで
他の男士もステ初出演の子達はそんなに殺陣経験無いハズなのですがかなり上手かったです。刀を取り落とすことも無かったですし、割と最初から完璧でしたが、凱旋公演は特に迫真の斬りあい、目の前で遡行軍と本当に斬りあっているのではと錯覚するほどの勝負に感じ、「今の本気でやば?」と内心気が気で無かったです。
本当にあれで大きな事故なく無事閉幕できたのは奇跡だなと…。
殺陣が迫真なのもありますが、舞台装置までもが動きまくるし何もかもが気が気で無かったですw
しかしやはりストーリーと皆さんの演技が良く、つい引きこまれてしまい、
前方の席でも意外と安心して見ていられました!
男士達の表情などがばっちり見えてしんどい。というのはあるのですが…。

もう一つ安心して見れた理由としては、公演を重ねるごとに見る側としても
(あっ、演じているというより、回を増して、成長したんだな)と、
素直に男士のレベルアップを受け入れられていたというのが大きいです。
それはただ単に演者が言われたことをやるだけの演技でなく、自分達の中でそれぞれの役を愛で、育んだという意味での成長に他ならないと私は感じました。

そして維伝は特にアクションと殺陣が多いので、汗が飛び散るのがはっきり見える事が多かったです。
観劇時の水物には弱いです。
汗、涙、斬って斬られているのだから流れているであろう血。
たくさん見させていただきました。
ほとばしり飛び散る水を見るたび、本物の闘い、刀剣男士の戦闘ってこういうものなんだ。そしてそれと共に聞こえる叫び。動く舞台。
まるで目の前で、刀剣乱舞の世界が生きている。
―――と、きっと誰もが同じように感じるだろうなと現地でひしひし感じつつ、彼らの葛藤・成長含め、文久土佐の凄まじさ・もの悲しさ。情熱。
それぞれの刀たちが秘めた想いや過ごしてきた時間を感じるような剣筋!
たっぷりとリアルに体感させてもらいました。


◆遡行軍(アンサンブルさん方)

殺陣と関連しますが、維伝の遡行軍さんは割とアンサンブルさんとしては背が高い方が多く感じました。 こじんまりした方より、体が大きい人の方がちょっとの動きの間違いなど、目立つことになります。普通に腕を振っているけど適当そうに見えてしまったり、損でもあります。
しかしそういった目立つ遡行軍さん達もメインの男士達と互角に戦うだけあってとても優秀でした。
殺陣をし、アクロバットをこなし、舞台装置を動かし早替えをし演技する。
ある意味男士達より超人的と言えました。

剣術の事に触れましたが、剣術稽古では打ちこむ方より剣を受ける方が腕が上なのが定石です。
『稽古』なので怪我をしないように、知識と腕、経験が上な方が剣を受ける側になるわけです。
刀ステのアンサンブルさん達は初演からほぼ同じメンバー、プラス客演の方々だそうですが長く同じカンパニーでやっているというのとアクロバットがお手の物なので、殺陣も得意なのでしょうね。
遡行軍さんの動きを見ているだけでも作品愛が伝わってきて、おなか大満足でした。

比較して悪いですが、ミュージカルカンパニーの遡行軍さんはダンサーさんが多いので軽快な動きが得意で、演出のカラーでもあると思うのですがヒーローショーっぽいものがあります。
上手い殺陣をする方やお芝居寄りの動きの方もいらっしゃるのですが、やはりミュージカル寄りの要素が多いと感じます。
興味深い。というと色々アレな案件ですが、パリ公演の色々でダンサーさんが男士の代役をした時に、同じミュージカルカンパニーのアンサンブルさん達と剣を合わせることになり、彼らの結束が普段から強いので、図らずも ものすごい殺陣が見れました。
やはりお芝居での殺陣なので、決まった動作をどれだけ互いに息を合わせてやれるか ということなのですよね。信頼関係が強い同士の殺陣は、時代劇のプロの殺陣をも超えた。と思う瞬間がありました。
カンパニーの纏まり・結束というのも、たった何時間かの客席でも実はしっかり感じとれるものだと思います。

刀ステ一座の遡行軍さんは、ミュと比べると演劇寄りの方とアクロバットが得意な方というイメージがあります。 
実際の剣術に近い動きがあったりする男士を相手に何度も戦うし、
変な話ではありますが男士に怪我させるわけにもいかないので、相当集中して演技されているのだと思います。
男士、歴史人物、遡行軍、町の人々、武士、黒子など、多くの役をこなしつつ全員がとてつもない努力と集中力をもって63公演やりきってくださったからこそ、あれだけの危険な要素があるにもかかわらず、大きな事故やケガも無かったのだと思いますね。

円盤でバクステにちょっと入っている話なのですが、動く舞台に乗っている時、見えないはずなのに動かしてくれているアンサンブルさん達の目線がちゃんとわかるそうで。
見えずともそこでアイコンタクトして互いに力の入れ方を微調整しているとか。
ものすごい信頼関係というか、まさに『絆』だと思いますね。
キャスト同士というのは良く聞きますが、アンサンブルさんとの絆がここまで強いのは珍しいです。
可動式舞台はキャスト全員載りますから、本当にカンパニー全体絆があるのだと感じさせられました。


遡行軍はゲーム原作、各アニメでも描かれていますが、ただ真っ二つに切られるだけの為に出てきたようにしか見えないですし、改めてアニメを見返すと、目を光らせて不穏な気配を醸して唸っているシーンか、突っかかってきて真っ二つに切られているシーンがほとんどでした。 
作品によって描かれ方に一番大きな差が出るのは、もしかしたら遡行軍さん達なのかもしれないですね。
そして維伝ではまた特別な意味を持つのではと思います。
土佐組の元主たちや、勤王党が何故あんなに強かったのか。
色んな解釈ができると思いますが、何度も円盤や配信を見て“こういうことだろうか”と想像をしたり考察を膨らませるのも面白いかなと思います。

私が現地で思ったのは、何事にも表と裏があるように、彼らはとある刀たちの『哀しい』面 なのかなと考えました。
強く、力もあるのにそれを活かす時代ではない。
天誅が正しいと考えたがそれは正しいものでなかったように。
そういった時代の歯車とかみ合わない何かなのかなと感じましたし、実際の世の中でもそういうことはたくさんありますよね。
そんな行き場のない『哀愁』というものを、つよく押し出して描かれているわけでもないのに、感じました。
遡行軍さん達も精いっぱい生きてくれてありがとう!
特に大楽の遡行軍さんたちの命のきらめき すごかった…(´;ω;`)
思わず「カッコ良い!」と小声で言ってしまっていたのは、男士たちには 内緒ですw


そろそろ前編に入りきらなかった土佐組レビューへ


◆土佐組 レビュー

・肥前くん 


初めて見た印象はキャラと合っているし再現度高いなということでした。
でもカテコの挨拶で(全然肥前君と違う、かわいらしい系の子なんだ?)と判り、めちゃくちゃ演技が凄いんだなと、一気に見方が変わりましたね。
土佐組・文久土佐はなんといってもゲーム原作でシナリオ開始した時に高知新聞広告まで使ってかなり大掛かりにお披露目した位のシナリオで、今までにない程細かく回想が入り、セリフ量も膨大で驚きました。
かつてなくしっかりしたシナリオだったので、初期実装の男士達よりも
イメージしやすく、舞台で肥前君を見る前にある程度先入観があったと思うのですが櫻井くんの肥前君を見た時、違和感ゼロでスッと入ってきたのを 覚えています。
ゲーム原作では動きなんてないのに、殺陣もイメージ通りだ!と思いこむほど親和性が高かったですw

肥前君は原作で脇差です。そのせいか機敏でいて、ご存知人斬り以蔵の刀なので殺気が高い。
設定どおり目つきやちょっとした動きから殺気がすごいのですが、これが(役者さんの)素だとふわふわわんこみたいな子だなんて思いつかないですよね(笑)
私は舞台上の演技を見る限り、本人も気が強いんだろうなと思ってました…

維伝メンバーは本当に男士、歴史人物、アンサンブルさん達全員“良い目を してる”んです。
目と言えば、千秋楽の演技は皆もんのすごかったのですが、肥前君の目にはやられましたね。
私の中では歴代見た良シーンのTOP5に入ります。
そのシーンはもちろん元主・以蔵との対決シーンです。

凱旋公演で土佐組は、特にものすごく魂が籠っていたというか、
凱旋に入ったらリミッター外したように感情の演技を入れてきていて、こっちはびっくりさせられながらもとにかく泣くという、心が忙しい感じになっていました。


刀剣は物なのだから感情を荒げてはいけないと考える方も(俳優さんにも)います。
でもとうらぶは『育成ゲーム』であり、『成長』が一つのテーマにあるそうで、維伝メンバーは確実に公演を重ねる度に成長し、簡潔に言ってしまえば静から動へ進化した位の差がありました。

初めはやはり皆殺陣やアクションが辛そうに見えましたが、(まあそれはそれで本当の闘いっぽいけども) 凱旋あたりは身体が慣れてきたのかほんの少しだけ尺に余裕が生まれていたりする子もいました。
その中でも土佐の話だけあって土佐組は出番と殺陣が多く、肥前君は特に多めで大変だったと思います。
千秋楽に近い頃には本当に肥前君が乗り移っているのではというほど肥前君の心とシンクロしていると感じました。
それ以前にも、男士キャストの皆誰もが自分の演じるキャラを大事に思う気持ちをもってくれていて、櫻井君は特にそれが強かったと感じましたし、以蔵さんとのシーンは私が(おそらく他の観客の皆様も)“こうだったらいいなあ”と期待した通りに進むので、驚きとともに場面に心が引きこまれてしまいました。

それだけでこれ以上無い極上の幸福なのですが、文久土佐回想を壊すことなくうまくシンクロしており、更に、キャストさん達は各男士達と公演毎に シンクロ度を上げていっていました。
櫻井君は肥前君と以蔵さんの関係を考えた上、肥前君の気持ちと完全にシンクロしたのではと思います。
表情や殺陣も良いのですが、声もすごく似ていて、その上気持ちが入っているので、肥前君が刀だった時の出来事との心の葛藤、叫びを目の当たりに聞くことが出来たと、確かに感じました。

大楽ではまさにそこだというシーンで涙まで流してくれ、以蔵さんへの気持ちや、肥前忠広という男士を十二分に体感させられましたね。
あのシーンは一生忘れられないなあ。
定かではないけどあそこまではっきり泣いたのは大楽だけだったと思う。
ただ刀だから戦う。だけではない。
目の前にいる肥前くんは本当に“生きていて、感情を得た”男士なんだなあというのをとても強く感じさせてくれました。

他、ここは注目して見てほしい見所としては『居合い』の表現と、元主との共闘ですね。
共闘は歴史クラスタだったらシチュエーションを聞いただけで興奮するシーンなのですが、あれほど(こうだったらいいな)が実現している事って他にないと思うんですよね。
だって以蔵のダークな部分を肥前が否定せず、理解を示すんですよ!!  ゲーム原作では肥前君はそうとう人斬りの異名を気にしています。
なのに以蔵さんを通して ではありますが、自ら人斬り刀の呪縛を受け入れている。
そういった“壁”のような出来事を飲み込むことは確実に『成長』と言えるのではないでしょうか。
もしかしたら公演毎にそれを繰り返すうち、真に以蔵さんを、自らを肯定できるようになったのかもしれません。
だからこそ現地で彼らの息ぴったりの爽快コンビネーションから目を離すことが出来なかったのだと思います。

肥前君、もう極めでいいんじゃないかなと勝手に思っていますw
とにかくどこをとっても原作肥前君そのもので、大大大満足でした!!


・南海先生


私は実は刀ステ現地に入るのは維伝が初だったというのもあり、ゲームの 文久土佐はとにかく周回しよう!と延々周り、男士のうんちく等をあまり 取り入れないようにしていました。
刀工の話はうっすら知っていますし南海太郎の刀も何度か見ていました。 ですがやはりゲームの方で罠のイメージが強く、土佐・天誅・罠と聞くと歴史クラスタとしてはめちゃくちゃグロい系の出来事を思い浮かべてしまい、いやいやそんなグロい事舞台でやらんでしょうよ。という所だけしか気にしていませんでしたw

いざ舞台で南海先生が登場すると、ぬっと刀剣男士がそこに出でて、
(うわあ、こんな感じで顕現だったのね…)と、ある意味正解を見させられたというか、見た目や声もそのものと感じました。
ゲーム原作を改めて再確認してみると、実は三好君の声はそんなに原作に 似ていないのですが、やはり演技の腕なんでしょうね。
ニュアンスやイントネーションの感じが同じなので“似ている”と感じるのだと思います。

何より見た目がゲームから顕現した感じが強かったです。
割と耽美系の絵師さんの絵柄だと思うんですけど、再現度高くて違和感ゼロなんですよねえ。すごい。

見るからに原作そのものなのでもう既に満点なのですが、舞台ならではの 南海先生の良さがあり、それは少しおどろおどろしいところだったり、凄みを出すところだと思うのです。
含みがあるような怪しい笑みを浮かべたり、突然嘲笑しだしたりというところは、やはり二次元だけでは表現が難しいと思います。
照明やBGMの雰囲気でもあるのですが、そういったものも借りつつ、三好君の思う南海先生の個性が光り輝くところですね。

劇中、南海先生のセリフで「あまりに真っ直ぐがゆえに」という言葉が出てきます。
実は元主の武市と刀工・南海太郎朝尊は共通項があって、言葉通りに“こうだと決めたら動かない”簡単に言うと本当に頑固で学者気質なところがあると 言えます。南海太郎は作刀だけでなく剣術も指南をしていたというから、拘りが半端ないのがうかがえますよね。
そんな頑固者二人の気質を受け継ぎつつ三好さんの雰囲気も加わり、ちょっと“怖かわいい”罠ショーがあったり、仲間を良く見て情に厚い三好君の南海先生に育ったのではと、観劇していて感じました。

南海先生の見どころシーンもやはり元主との対峙ですね。
もう本当に初見でびっっくりさせられたのですが、無機質代表みたいな南海先生が泣く!!んですよ!
あのシーンは本当に演技すごいなとただただ感動し、生の演劇はこういうのがあるからやめられないんだぞ と心に刻んだ日でした。


何があったのかというと、朧の武市と南海先生の対峙があり、南海が武市を討った後にセリフがあるのですが、凱旋あたりから急にそのシーンで南海が声を詰まらせ涙交じりに感じ入る。というシーンに変化していたのです。
凱旋以前はそこまでの感情の発露はなく、原作もあっさり“敵の親玉”のようなかたちで対処したのと同じように比較的淡々とした感じのシーンだったと記憶しています。
肥前君もそうですが、この変化はやはり何度も公演数を重ねた結果の成長として、刀剣が“心”つまり感情を得たかのように思え、何十倍にも感動させられました。

特に私の見たその回はまるで“――今、目の前で初めて刀剣男士に心が生まれた――” そしてそれによって南海が初めての涙を流しているように感じられ、色んな神舞台を見てはいますが、感情が生を受けた瞬間を感じさせられたのは本当に人生初です…。
もう、それからは南海先生の立ち振る舞いに目がいってしまうわけですよ(笑)


声の感じが原作とあまり似ていないと言いましたが、三好君の声の演技が割とアニメっぽい感じの演技で、オタクとしては非常に耳馴染みが良く、親和性があります。
肥前君と同じに“見たいもの、聞きたいもの”がすぐに提供され、次のシーンでこういう演技してくれたらな。こういう感じで言ってくれたらいいな。が
本当に次の瞬間、叶います。
話の筋はよく考えると結構どろどろとして暗いのですが、見たいシーンが見れて楽しいせいか、逆に眩しく感じられ、ドキドキとわくわくが止まらない時間でした。

土佐組や維伝カンパニー全体に言えることですが、そうやって見たいシーンをすぐに出してきてくれるのは演者達のキャラ愛が強いのと、もしかしたら回を重ねるごとに客席の反応を受けて少しずつ演技を変えていき、その結果、我々の好みな演技になっていってくれていたのかも。とも思います。
特に三好君は公演期間のSNSなどで見られたように、非常に仲間を大切にし、観客の応援に対してもいつもとても感謝してくれているのがはっきり伝わりました。


原作の南海先生は文久土佐実装時、大いに話題になった
【刀の先に人間がいる】というフレーズを至極真面目に言う事の出来る
無機質な鋼の『刀剣』といったイメージだったのに、三好君の南海先生は“心を得、奥底に厚く深い情をもった”南海太郎になった と。心にしみいる如く感じさせられました。

今回の維伝はほぼ文久土佐イベントシナリオそのものであり、ゲームをプレイすればあらかたシナリオもラストもわかるわけですが、ゲームでは決して体感できない演技
 【―――今、目の前で刀剣男士に“心”が宿った】と感じとるのは、やはり現地劇場で空間を共にしないと無理だなと、はっきりそう思います。
ストーリーの前後の流れや表情もありますが、一番の違いは私は『音』ではないか。もっと言うと音の震えかなと思いますね。
人間には共感力があって、例えば赤ちゃんは、どうしてそうなるのか理論なんてわかってはいなくとも母親が悲しそうにして泣いていたら不安がり、 泣きますよね。
表情・いつもと違う雰囲気・溜息や泣き声そういった微細な変化や響きから、誰に教えられたわけでもなく様々な情報を感じ取っているわけです。
これはお芝居を見ている時の感受性にも言えると思います。


同じ空間にいて、声を聴き、音の振動から感情を読み取り、共感している。
観客は演者の演技を見、役者を通して役の気持ちと同化して“共感”している。
その時、役者自身も“役”にシンクロしつつ役に共感していたのだとしたら、それは会場全体が共感し、心が一つになっているというとても素敵な現象だと、私は思うのです。
実は簡単な事で、例えば今回は幕末の話なので、幕末期が好きな人が集まり、幕末の彼らをリスペクトする気持ちを持った役者が演じている。
それだけのことと言えばそうなのですが、そういった劇場全体の共感によって、大きな感動が生まれている。
それはなかなか奇跡的なものかと思いますね。
私はあの瞬間が大好物なのです。。。!!

ほか、南海先生自身、内に秘めたものを持っているところや罠など、魅力満載ではありますが真剣必殺した時の胸の傷が三本なのも考察好きにたまらない部分です。
皆さんご存知かもですが、彼の元主の武市半平太が3本、横に腹を切って死んだ為ではないかということです。
原作絵を良く見ると傷は見えますが3本かどうかは微妙なので、ステ解釈なのだとすると、色々考察好きさんははかどっちゃいますねw
加えて言うと肥前君の首の包帯は以蔵さんが斬首だったからというのは、 原作肥前君が首を気にしていることから、これは確定です。

と、そんな細かいところも見所で、本当に色んな見方で楽しめるのが歴史物の良いところなので円盤もおすすめでございます。
配信アーカイブも良きですよ!

・陸奥


ついに陸奥まで来ました。維伝の座長さんです。
彼はまさに真ん中の、どでかい柱でした。
ところで色んなメディアミックスでも兼さん、堀川くん、陸奥はだいたいワンセットで出てきますね。

つい夢中になってそこも調べまくってしまったので、せっかくですから各媒体で見比べたものをあとで別記事でまとめようかなと思いますw

見比べの話もありますが陸奥は大抵どの媒体でも“ムードメーカー”
“太陽神(陽の光のような)”と言われることが多く、確かにそうだとは思うのですが原作の陸奥のセリフの感じを聞いていても、それだけではないんじゃないかな…と思うのです。
維伝を現地で観劇していて陸奥の登場時すぐ感じたのは『アクションゲームから飛び出てきたみたいなアクロバット陸奥』だと言う事でした。
それを見ただけでも他の陸奥守と一線を画しているというか、登場からして
気迫が漂っており、戦闘経験の多い精悍な陸奥なんだなあと思いました。
そしてどうやら私だけがそこを気にしているみたいなのですが、ものすごく(脚本の)末満さんに似ている…wと感じていました。

それっておそらく維伝世界を作り上げた人と同じ気持ちで板の上に立ち、 同時に陸奥としての気持ちもある。ということですよね。

私はそう感じました。
それこそが彼の登場と共に“気迫”として伝わってきたものであり、他の陸奥と違う空気を醸し出していた根っこなのかもと思いつつ、観劇していました。

末満さんは刀ステの話が来たときからずっと陸奥の話がやりたかったらしいのですが、私はそもそも新選組おたくなのであんまり陸奥が好きではありませんでした。
特にゲーム回想だと動きや表情がないのもあり、すべてに対してとても淡々としていて、話している内容が新選組刀に対して上から目線に感じるのですよね。(わざとだと思いますが)
そういったところが今回の維伝では、まるで『ゲームの方をなぞるだけじゃ面白くないよね』と言っているかの如く、回想シーンやキャラの元からのセリフの使い方が、わざと少し角度の違う見方ができるような場面に入れてあったり、違う解釈ができるように工夫されており、興味深かったです。
(たまたまそうなっていたのかもですが)
維伝で描かれた原作回想やキャラのセリフは、維伝を一通り見終わって「たまには違う見方もしたいな」という時、ゲームで回想とキャラのセリフを一通り聞いてから、その後また維伝を見てみてほしいです。
ゲームではあんなニュアンスに聞こえたけど、維伝で(演劇で)見るとこう感じるのかと、面白い違いを別の方向から発見できると思います。

陸奥の登場でクローズアップされるのが「時代は拳銃ぜよ」というセリフと、新選組刀との関係性です。
とても面白いことに、どのメディアミックスでも定番のようにそこはなにかしら必ず描かれるわけですが、ニュアンス的に“普通に今は時代が進んでいるんだから銃だ”というパターンだったり、便利だから。や、竜馬由来だったり色々ありますね。
ですがよくよく考えてみると、それって自身が刀であることを卑下していること。そして自身を否定していることなんですよね。
その大きな疑問に踏み込んでいったのは、唯一維伝の陸奥だけだったと思います。

今までの他本丸(メディアの)陸奥はと言うと、
原作陸奥は銃=新しい時代 というのを受け入れている刀。という立ち位置だと思います。
ミュも似た感じで、 銃は便利。竜馬自体の事は、新しい時代になって、新しい主も居るし…といった感じです。
活劇と花丸もなんとなくこのタイプですね。
ですがそこで維伝陸奥は【時代は拳銃。なら、自分はいったい何者なのだろう】という疑問を奥底に持っている刀でした。
なんてことない顔をしながら日頃少しずつ(これでいいのか?)とうっすら疑問に思ってたとしたら、いわゆる【しんどい】ってやつですねw 
そのあたりの事はラストシーンに掛かってくるところだと思います。

脚本家さんが陸奥主人公をやりたかった。というだけあって、陸奥の描写はほかの作品よりとても丁寧でした。


歴史クラスタや竜馬ファンも喜びそうな、元主と共に行動し色んなやりとりをしたり、正直(こんなに丁寧に描かれていいなあ…)という程に羨ましかったですw
一緒にお酒を飲んでいる。なんて、極手紙でちょろっと書かれている内容ですが、うまくそれがストーリーに組み込まれ目の前で見れるというのがやはり演劇のすばらしさだなと思いながら見ていました。
竜馬とそっくりな言動をとってみたり、ファンには堪らない場面の数々で興奮が止まりませんでした!

陸奥、そして維伝そのものの随一の見所として、やはり竜馬と陸奥のラストバトルを推さずにはいられません!!
坂本龍馬は不思議な人で、ファンタジー創作で名前を使われても大概ボスや敵役にならない事が多いです。
対する土方さんは、敵側のボスクラスに色んな作品で何度も配置されてますねw 
恐らく土方さんは副長=参謀的な役回りだったり元々軍事的な要素が強く、“もしも敵にまわったら厄介だな”という理由からボスにされていると思います(笑)
ジャンプ漫画でもそうですが敵(乗り越える壁)は高い方が話が盛り上がりますからね。
で、坂本龍馬さんは何故敵役が少ないかというと、彼は商人としての能力が認められているようで、“口で世界を動かす”みたいな部分があり、それはどちらかというと現実寄りの要素で、イコール我々一般人に近しいイメージ。
親近感がある。という事で敵側やボス役にならないのかもと思います。
それなりには竜馬を敵側にしている作品もあるかもですが、真に闇に染まりきって後戻りが出来ない程の悪役みたいな竜馬は聞いたことないですね…。

ですが、この維伝では形式上は一応ボスであり、敵側の役です。
あまり見たこと無い表現なのでそれも面白かったです。
原作の文久土佐イベントでも「偽物だ」というセリフがありますが、実は敵がそもそも偽物だというのも含め、珍しい設定で斬新でした。
(未履修の方からすると、なんのこっちゃですよねw 一度見るとわかりますので…!)

また、それによって名前を借りている幕末の史実人物の描写に配慮があったかと思います。ファンタジー創作でも実在の人物そのものを描くなら配慮はあってしかるべきでしょう。

刀剣乱舞がここまで流行るのは『刀から見た世界、歴史』が妄想できるからというのが大きいと思うんですが、当然マナーや配慮はしつつ、その妄想を叶えているのが今回の維伝であり、各ボス戦、そして竜馬戦だと思います。
そして文久土佐イベントのキモとなったセリフ【刀の先に、人間がいる】というのと絶妙にマッチしていると思います。
一般的に太陽のようだと形容される竜馬が敵役、しかも大ボスで、壊れた銃が器となって竜馬の記憶(後悔)を竜馬として実行する。そんな形ですが、少し前に書いた“陸奥が抱える、己は何か?という疑問”とも符合する気がします。


簡単に言うと
竜馬vs陸奥として戦うのは刀剣乱舞ファンでなくとも見どころであり、それと共に実は銃vs刀、そしてもう片方の陸奥。あるいは陸奥の沢山ある可能性の一つなのではないか。
と解するとなんだかすっきりします。

そして陸奥と竜馬の一騎打ちとなる。 なんて、誰が想像したでしょうか。
しかも静寂からの、あのBGM!!! 照明!!
一度でも維伝を見たことのある人は決して忘れられないBGM、忘れられない場面になったと思います。
私は初見時からあの音楽が耳から離れず、あの音を聞いたらもう号泣モード(観劇モードともいう)に、いついかなる時でも入れます。
現地のあの凛とした緊張感。
固唾を飲むというのはこういう場面なのだなと体感しながら同時に、原作 ゲームで一対一で戦う時ってこういう雰囲気なんだな。等と考えてしまい、(ああ、こんなに辛い事なんだ…)とばかり考えていました。

維伝メンバーは全員再現度も高く、客席を文久土佐の城下町にした演出も
随所に盛り込んでいるのですっかり文久土佐に入り込んだ気になっていて、そうすると原作ゲーム世界が目の前で繰り広げられているわけで、じゃあ ゲームってこういう事なんだと、目で見た風景を見て思うわけです。


もはやゲームを再現しているのではなくて、再現され再構築されたものを見て、ゲームを理解している感覚でした。

二人の竜馬が鏡合わせになったように対峙し、運命の時が訪れます。
陸奥の表情、叫び、汗。
竜馬の真剣な目つき。奥底にある、我が子を見るような温かさ。
決してものすごく素早い殺陣というわけでもないですが、真剣勝負の殺気を二人共に感じ取れましたし、お互いにもがくように必死に戦っており、まるで男臭い汗や血の匂いまでが漂ってくるようでした。
そこはさすがにそんな『気配』がした。というだけはありますが、特に陸奥の戦闘はアクロバットが多く、この場面だけでなくほぼ常に汗まみれでした。
その汗は、まるで身体中で泣いているようにも見えるんです……。

大楽では前述の土佐組達と同じくリミッターを外したように感情溢れて涙を流していたと思います。
私が見た限りの他の公演では、自分が座長というのと、まだ残り公演があり気が抜けないということからか、極力感情を抑えているような演技だったと思います。
あの大楽の土佐組達のようなリミッター全開放の演技が毎日だと、心が持たないかもしれませんものね…。

最初の方でも書いた“太陽神”のような陸奥、そして刀として竜馬の死に際してそこに在り、その上「時代は拳銃」と言い放つ、ある意味全てを割り切ったような陸奥が、熱い感情を爆発させる瞬間…。
陸奥があんまり好きではなかった私も、すっかり陸奥が相対している運命に心を寄せていました。

そして竜馬や文久土佐のボスである『朧の志士たち』が問いかけてくるわけです。
維伝観劇初見の日、私は観劇前に何の気無しに江戸城観光へ行っており、 丁度大嘗宮一般公開があったのでちらっと見て歴史的なものに触れていたのが余計に心の琴線に触れ、竜馬のセリフで一気に涙腺崩壊し、以後、維伝を生涯推すことになりましたね。

幕末で一番大きく変わったのが言うまでもなく江戸城です。まさに激震の地と言っても過言ではなく、物語冒頭で堀川君が説明している黒船来航から 安政の大獄に始まり、天誅など京の治安悪化で新選組が結成、京で戦争となり、鳥羽伏見の戦から江戸へ。
東洋戦で言われるように薩長同盟、大政奉還などがあり江戸城明け渡し、 戊辰戦争、函館戦争があり、明け渡された江戸城が皇居となりました。
そんな史実の出来事が竜馬の一言で、まるで東洋の『相手の記憶を読み取る能力』の走馬灯演出のように次々浮かんで見え、私は思わず自問自答していました。

今の我々が生きるこの国は彼ら幕末の志士達や、かつての人々が作り上げたもの。
果たしてたくさんの想いや命の上に出来上がった今の日本は、良い国だと言えるのだろうか?
今まで私たちは、そんな事を考えてみた事などあったのだろうか?

そう思うと、ただただ涙が溢れましたね。
歴史に残る名シーンというより他ないと思います。

まさかあの時は、今この国が疫病によって更にこんな事になっているとは 想像だにしなかったというのもありますが、今この時にも見返すと、とても身をつまされる思いがするのと同時に、彼ら“志士”達やこれまで日本を想い、創ってきた人々や先人達の心の火が、現代の我々に託されたような気になりました。

そんな表現だけでは物足りない位です。
例えば 源義経の物語はだいたい南北朝時代あたりからずっと、今の令和に至るまで絶えることなく語り継がれ、読み物や語り物。歌や、時に上演というかたちで今日に『義経』という人物の物語、そして語り継ぐための芸能の歴史なども一緒に伝えてくれています。
そういったものに近しい、いつまでも語り継がれる伝統的作品になってほしいと願う程、維伝は素晴らしいですし、その価値があると私は現地ではっきり体感しました。

歴史を、この国を生きた人々の心を感じ、その意思をも継ごうと思わせられる演劇なんて、正直もうこれから出逢うことがあるかわかりません。
今、この国が混迷の最中にあるから竜馬の問いかけに対して余計にそう感じている。というのもあるかもしれません。
ですがもしかしたらそれこそが本当の意味での【歴史を守る】という事なのかもしれないとも思いました。

だとしたら、刀剣男士達と私たちは、確かに舞台上で心を一つにし、一緒に出陣しているのかもしれません。

義経の物語の様に何度も何度も上演し、後へ伝えていく為にも。
皆がまた気持ちよく劇場で会うことが出来、演劇という素晴らしい。新たな扉を開くような時間に巡り合える日を楽しみに、志士や幕末を生きた先人達に恥じない国へとなるよう、微力でも何かしていきたいと真剣に思っています。


そして最後に、作品自体のラストシーンが良い作品て、なかなか無いんですよね。
それが維伝はもう最高です。
最初の方で、陸奥は自分が何者か?という疑問を抱えている刀と書きました。
壊れた銃が元になったものとはいえ、竜馬の死因である頭の傷も持った、 竜馬の分身とも、陸奥の分身とも言えるものと対峙し、結果、陸奥は竜馬との真剣勝負を経て、自分で自分は何者か?をしっかり自分の口で言います。

「わしは、刀じゃ――――」

その、いつもは「時代は拳銃ぜよ」と言っている陸奥が自分で自分の在り方は刀だと認める。それは何よりもの【成長】であり、これが確かに【刀剣男士の物語】であることに心底感動し、満足させられましたね。
終始見たいものを見れ、刀剣男士に心と感情が宿る瞬間を体験出来、もう一人の自分と歴史そのものと対峙し、それでも真の自分の力で打ち勝つ物語。現地で観劇出来た事に、感謝以外もう何も言うことのない作品に出逢えて 感無量でした。

陸奥が自分を自分と認めた瞬間、その時、迷惑かもしれないけど私は
(そうだよ)と大きく頷いてしまいました。
あなたがあなたでいいんだと認める一人に私はなるよ!と思い、(ドセンターというのもあり)見えるように頷いてみたのです。


正直こんなに陸奥がカッコイイと思った事がなかったので、番狂わせというか、どの男士も遡行軍も、見えていない裏方さん達も、全部に目と心が行ってしまい、維伝の魅力から離れられない日々でございます。。。

こんなに心を寄せることのできる稀有な作品に出逢え、現地で何度も泣かされ、歴史や大好きな幕末に(任務として)行けたとまで思わせていただき、これ以上ない程の奇跡だったとは思うのですが、ぜひぜひまたこのカンパニーで、何一つ変更点を入れずに。。。
義経の物語の様に後世までも脈々と上演される作品になってほしいと願っております。


・エピローグ

【――― おんしの知っちょる日ノ本は ええ国か ―――】

これ程今この時、一人一人の胸に突き刺さり、片時も忘れてはならない言葉は無いと思います。
演劇業界も危機的状況となっていますが、それ以上に幕末の彼らがたくさんの血を実際に流し、創った国を良い国にしていく事こそが、先人達の歴史を守ることであり、ひいては各業界も守ることに繋がると信じています。

また以前の様に楽しく暮らし、豊かな演劇ライフを送るにはまず情勢や国の安定が必要です。
幕末の志士達も命を懸けて国と多くの人々の為に思想を持ち、意見を言い、何がより最善な方法なのかを考えました。 
彼らにも敬意を表し、物語や史実から学び、彼らの生きた証と共にこの国や子供たちの未来を考え、行動していけたらなと真剣に思っています。

維伝を観劇した時の感動がそれほどまでに私を突き動かし、過去と今を
【かけ橋】として繋いでくれています。
志士達と同じ気持ちで国を守りたいと思わせるほどの維伝・朧の志士たち
という物語。
貴方にはどんな【かけ橋】となりましたか?

エンディング曲は維伝そのものを表すように、少しおどろおどろしいような、不気味でレトロな印象があります。
しかしあのED曲が流れることで無事今日の公演が幕を下ろすのだというのと、やり遂げたという晴れ晴れしい 満天の星空のようなキャストたちの瞳の輝きをありありと思い出します。

きっと歴史の人物たちも、輝きに満ちた瞳で今の我々のこの国を見てほしいと思います。
過去と現代の歴史の架け橋。
そしていつまでも維伝が舞台と我々との懸け橋であるよう 願います。


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