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巷で「わっかんねー」と話題の ミュージカル『刀剣乱舞』ー東京心覚ーを語ってみる

珍しく 刀剣乱舞ミュージカルの方の感想を書きます。
初日から配信もあったりと斬新でしたが、とにかく『意味がわからない』と評判のようです(汗
色々と『こういうことなのではないか』という考察が出るも、どれも私が 感じたものとなんか違うので記してみようと思いました。

恒例のネタバレ気にしない人向け。というか一度見た人向けの内容になります。
一部の三日月ファンにはショックな憶測があるかもです。
おそらく世界観に対し特殊な捉え方をしていると思います。
奇抜な考察が見てみたい方向け。
ディスもある。
突貫記事。
以上気にしない方だけ読み進めてください。


今回の【心覚】
嫌な言い方をしてしまうと私からすると(そこまで理解不能…?)ですが、これって全く似たような事が以前にもありましたよね。
そう、源氏の双騎【SOGA】の初演時の観客反応と全く同じだなーって、思いながら流れを見てました。

クラシックがBGMとして印象的に使われている時点で(もしやSOGAみたいな感じか?)と私も思いました。
直感でその時過去にSOGAを<嫌だ>と思った記憶がぶり返した人がいらっしゃったのかもしれません。
でもその件は原作に源氏の極が実装された事により
「源氏の重宝だったかはわからないけど今はあるじの刀だよ。」っていうのが極のスタイルというのが判明しており、なので別にSOGAでも良かったし、ある意味正解だったわけなのです。

SOGAの時に不快を示していた方の多くは『源氏の重宝である二振りが好きなのに違うじゃない!』っていう主張だったのですが、結局その説は極が出たことにより、ゲーム原作の源氏たちもそもそもコラボしている刀達も【伝・源氏重宝】であることが判明したので、言い方悪いですがピントが ずれているということになります。
刀剣乱舞はファンタジーであり、SFなのです。

まあSOGAの話はそれはそれ。これはこれなんですが、SOGAで不評だった クラシックを印象的に使う演出をわざわざまた心覚でやる意味なんなのかなーと思いながら見ていました。
(私はSOGAは1部は好きです。古典なぞってるわけですし特に文句無いです)

心覚観劇されればこれは一発でわかると思うのですが、今回の演劇のつくり方が全体的に【現代演劇寄り】となっています。
今回の出演刀剣は全8振。刀剣乱舞の部隊編成として1部隊は6振までと 決まっているので、数がおかしいです。
そこで現代演劇がキーになってきますが、部隊は2部隊の話が途切れ途切れのオムニバスになっているのだと思います。
三池刀+四谷組+他 三池刀を除いた他の刀 の2部隊で、メタ的に言ってしまうと三池刀が居てほしい場面以外はその他の刀での出陣(そこでの経験)と見られます。
何でそういう形にしたのかというと、やはりタイトルにあるように【東京】に関わる事。東京の成り立ちを説明する為だと考えられます。

で、オムニバス形式にして何を表現しているのか?という所で水心子正秀がキーになります。
見ていれば水心子が異様に出番が多く、非常に感情的に一生懸命色々やっている。位は読み取れると思います。
では何故水心子なのか。それは作と演出がめちゃくちゃ押し出してくる 『三日月宗近』というワードに他ならないと思います。

ここの考察はかなりの方が同じことを仰っていましたが、水心子正秀が新々刀の祖と言われるのは古刀を研究しまくり復興論を興しリスペクトしたからです。
なので、刀を研究するかのように、名物として名刀としてどういう刀なのか。刀の作りこみだけでなく、刀ミュ本丸の三日月宗近が何を思って【三日月宗近という機能】をしたのかというところまで深堀りしていき、それを探求している部分が、オムニバス中で水心子が何かを探すようにしている場面だと思います。
そしてどこかの過程において、刀ミュ本丸の三日月が何をしていたのか?三日月宗近という機能とは何なのか?という川の流れの終着点に辿り着いたのだと思います。
だからこそ水心子の目に映る月はいつも三日月で、三日月を深く深く探求した結果、水かがみのように三日月の心を映した。ということだと思います。

しかしそこで水心子は、自分なりに三日月の呪縛は解けないことを察し、では他に何かできることはないか?を考えたのだと思います。
それが『偉大な歴史を作ってきた人物たちの、歴史の教科書に載らないような“本当の思いや願い”』それを聞き、覚えていることこそが
【本当の意味での彼らが生きた証となる】と考えているのだと思います。

では【刀ミュ本丸の考える三日月宗近という機能】の正体とは。
三日月宗近は歴史を繰り返すうちに、本当の歴史を理解するには、物語にならないようなことや敗者に寄り添い覚えていることが
何より大事だと考えたのではないかと思われます。
なので、大変だけれど自分一人で全ての歴史・全ての時間の詳細を覚えておく覚悟をしたのではと思います。
もしくはそれを課せられた。

それは並大抵の事ではなく、図らずも丁度天伝で山姥切が“結果を知っていてその通りになるよう工作していくこと。それを見届ける事”がどんなにつらいか。どんな覚悟でそれを遂行しているのか。を語っています。
山姥切や他の刀剣男士達はそれを任務として、主に命じられた時に行っているわけですが、三日月の場合は【機能】と言われてしまっているので、自分でもわからないうちに機能となってしまった。機能となるほど敗者に寄り添い詳細を覚えていようとするモノになってしまったのかと考えます。(あくまで私の捉え方ですが)

だからその一端を担おうとして、水心子は歴史人物に色々と問いかけているわけです。
そして実際、ラストの方のシーンで水心子は三日月の負担を減らせたかと 聞いていた(うろ覚え)
と同時に清磨と二人、四谷組が三日月直々に『この先を切り開いていけ』 みたいなことを言われ(うろ覚え)後を任されていたと思います。

個人的意見ですが、三日月宗近という機能の本質を見抜くほど追求した水心子、そして新々刀達に今後のストーリーが託されていくのかと予想されます。
少しメタい話を挟むと、要は新生刀ミュ世代の始まりだと思います。現代演劇風にし、それにもハマる役者を選んできたのだと思われます。
そしてその対極というか、これまでのミュージカル、ヒーローショー要素を受け継ぎ、まさに刀ミュの為に生まれたのが【チームGO】なんですね…。

私は個人的に歌合が作品として大嫌いなのですが、キャラを崩壊させているのと、刀剣たちが秘儀で刀を生み出した。というのが「( ゚Д゚)ハァ?」だったのです。
それじゃあ名だたる刀剣ではないし、審神者不要なんですよ。という。
しかし今回の心覚、そして刀ステでも各々オーダーされた刀が登場して物語を作っているのがはっきりしたので
刀ミュに関しては歴史人物との繋がりや由来との境界を曖昧にし、ステージ映えするヒーローショーや歌専門の部隊【江】を作ったということなんでしょうね。だから【郷】じゃないんだなと納得しました。
そりゃケモ耳ついてても、尻尾あっても。衣装が(お前はブラジルなのか?カーニバルなのか?)というものでももうどうでもいいわけです。
だって刀ミュに出演する為に生まれた子達だから…。

ただ、別に役者が悪いわけではないし、ミュージカルなので歌で魅了してくれる・表現してくれる要素が強いことは良い事と思います。
今回の心覚のチームは全体的に歌の上手い子、歌の表現力のある子で構成されていて、合唱部分がこれまでのどのチームより
完成度が高いしハモリが美しいと思いました。
音程があっているだけでなく、全体で心地よく聞こえるようなカンパニーが一番いいですからね。

ところでもう一つめちゃくちゃ気になるオムニバス部分があります。
桑名のシーン全般です。
この子と村雲は普通の出陣場所でない場所にいるようです。
桑名が何度も「誰もいない」と言っていたので誰もいない世界、放棄された世界なのでしょう。
でももぐらはいるので【人類が居なくなった世界】なのだと思います。

時期的にも演出的にも「コロナ関係のことではないか」と言われたり、東日本大震災のことを暗喩しているという人もいます。
災害や事件があると何故か演劇界はそれをとりあげたくて仕方ないようで、震災の後は取り上げる劇団も多かったです。
でも私はそういう時こそ心の底から夢や希望を抱ける別の世界やストーリーがあるべきだと思う性質なので、というのと、
例えばそうだとしても、桑名が「誰も帰ってこないのかな」と言っていたのでなにがしかの理由で人類が地球を捨て別の惑星へ旅立ったとかでないと
セリフの辻褄が合いません。

で、それが刀剣に何の関係があるかというと、三日月の話に戻ります。
刀ミュの三日月は敗者に拘っているようです。敗者というのはつまるところ、人間が最後の一人になるとか桑名が言うように誰もいない。という状態でないと、極論で言えば常に存在します。

完全に私の感じた心覚の世界感解釈ではありますが、桑名が耕している世界は【人類が誰もいなくなった事で歴史も物語も敗者も無くなり、全てが静になった世界】なのだと思います。
まあよく言う精神と時の部屋みたいな雰囲気で、いわゆる終末。
もっと簡単に言うと今の地球から人類を全排除した世界だと思います。
放棄された世界の行きつく終点。もつれた円環、三日月の世界の終焉の暗示なのかもしれません。
とにかくそこで(多分)桑名は人が居ないし使われないからアスファルトの道路を壊して地面を出し、光と水を吸わせるということを言っていました。
これは仮定ですが、地表全部にそれをやり、山吹を植えてそれが一斉に咲いたらまあるい黄色、つまり満月みたいになりませんか。
※実際には同じ季節じゃないと咲かないプププとか無粋な事を言わないようにね!

水心子がいつも月が三日月に見えると言っていたり、とにかく月に拘りたいらしく背景も結構な時間『月』でした。
もし仮に山吹で満月を作れるとしたら、それは三日月も心が満たされる時が来るよという比喩なのかもしれません。

三日月ファンの方にはアレなのですが、私の初見感想だと以上のような感じで、そして桑名が耕していた世界はある意味三日月の理想。つまり役目を終えた時なのだと感じました。
あの~、非常に言いづらいのですが、上からサラサラしている赤茶の砂は全てを見届けて役目を終えた三日月がサラサラしているのではと…。
でももし【人類が誰もいなくなった事で歴史も物語も敗者も無くなり全てが静になった世界】に辿り着けたなら、もう二度と人類が戻らないなら。
皮肉なことに刀ミュの三日月は機能を終え、心安らかになることが出来るのではと思いました。

演劇、特に現代演劇の手法だと、受け取り手によって見えている世界や感じたものは変わってきます。
別に、ただ刀剣男士の顔が良かった!でもいいと思いますし、殺陣だけ見ごたえあった!とかでもいいかと。
コロナネタは間違いなく入ってると思われます。
でもストーリーが全然わからないんだよね。というならそれでもいいとは思うのですが、特に心覚は(これからが大事なのではないか?)
もっと言うと

【これからの公演をしていくことによって完成する物語】なのではと思い、つらつら書いています。

それはどういうことかというと、タイトルの【東京心覚】です。
これまで書いてきたことに加え、今回の作品の軸になっているテーマだと思います。
ストレートに感じたことはやはり東京つまり江戸、その前身である坂東のなりたち。それらが見せるものは、結局盛者必衰ということでしょうかね。
刀ミュ本丸ははっきり源氏派本丸なので、ある意味源氏の歴史でもあります。
将門公を出してくるのはヒヤヒヤしますし、初日に確か刀が2回大破したんですよね汗 色々心配ですが、東京の成り立ちには確かに彼と彼の伝説は 欠かせません。

日本独特の文化として【御霊信仰】というのがあります。
いわゆる国譲りもそういうことなのではと思うのですが、簡単に言うと、 外国の戦争の考えであれば攻め込んでそこの皇帝なりを殺してその肖像や文化、痕跡一切を破壊しようとしますよね。日本ではそういう事はあまりありません。
よく言えば御霊信仰なのですが、使えるものは使うというか、その方が土地の者を制しやすいわけで、いちいち破壊などせず、なんなら残すことを許可します。
むしろそうでなければ飛鳥とか古い時代の物は全てその過去の為政者に破壊されほとんど残っていない筈です。

で、東京の成り立ちですが、そこは劇中ちゃんと見るか歴史の授業で習う位の範囲なので割愛します。
そこの意味として私が感じたのは、怨霊とされ語り継がれてきた将門公、 広大な湿地を開墾し、大勢が力を合わせ江戸の基礎を作った。
江戸が出来、三池刀はじめ色んな邪気、災いを防ぐために行われたこと。 張られたはずの【結界】
それらをもってしても江戸は崩れ、刀の時代も終わってしまった。
だからといって、それらが意味のない事だったのか?という問いなのだと思います。

それはもちろん劇中でも言われているように意味のない事などではなく、今の景色に繋がる歴史なわけです。
今は高層ビルが建ち、電柱や鉄塔がそびえ、どこを向いても電線が駆け巡る。
そんな中でも江戸城の堀はいつでもゆうゆうとして、寺社へ訪れればかつての歴史の場面に触れることもあるわけです。
ある意味それも『大地』と言えます。
様々な気の遠くなるような過去からの積み上げ。生臭く言うと生死の積み 上げが今の現実。
でも残るものは一部で、形には残らないものも膨大にある。

何もない。誰もいなくなってしまった。
だけどそこではかつての時代、そこから見た景色を美しいと感じた人が居たかもしれない。
それを予感させるのは残された僅かな物や『句』『歌』
(この歌に詠まれているのはこんな景色や想いかな)と思いを馳せることも歴史をつなぐ。

怨霊伝説は結局のところ、(無念だったであろう)とか(とても強かったのに)という生き残った人や後世の人の想いで作られています。義経伝説もそうですが、それが現代まで伝わっているのですからすごいことですよね。
御霊信仰は、怖いから排除するのではなく、祟るほど強いなら神として祀り守護してもらおう。という独特の考えがあり、これは歴史を伝えていく機能にもなっているのです。
そして2021年になっても誰も怖いから全部壊そうなどとは言いだしません。
とても稀な日本独特の思考。文化と言えると思います。

逆に『句』『歌』から情景を読み解こうとするのは、直感的な音だけからも得られるものがある為、万国共通だと言えます。
外国語のミュージカルでも、なんとなく言っていることや伝えたいことを理解できる瞬間がありますよね。
同じ感情を味わう・景色を思い浮かべることは、まさに“句”や“歌”の情景を味わうのと同じと思います。

そしてそういう『景色を想う』事は舞台現場にも同じことが言えるというのと、コロナの時世に想う所があったのでしょう。
刀剣乱舞、特に刀ミュは何をしようがどんな時であろうが常にほぼ満席の景色だったでしょう。
しかし、コロナとなって公演自体出来ない時もあり、公演をしても緊急事態宣言や移動制限により、まさに境界が出来ているわけで超えられない人もいるわけです。当然、今まで満席だった景色もまばらなこともあるかもしれません。
諸事情により来れない人たちに向けて水心子がメッセージを伝えているのは、一度見れば誰でもわかると思います。
大事なのはその後の本編ラストの歌ではないでしょうか。

一度見ただけと断片的なメモと他の方の感想とから記憶を補っている部分もありましたが、
ものすごくハッとさせられたのでラストの所ははっきり覚えています。

桑名が「誰もいなくても大地はそこにある」って歌ってて、その後誰かが「誰もいないなら探しに行こう」ってはっきり歌ってましたよ。
つまり、コロナの色んな制限で色んな景色が変わってしまった。境界もあるし皆さんの事情もある。
本当は公演で会えたはずの審神者さん達に会えないのは、それはそれで歴史が変わった事にもなる。
だから
自分たちの本丸が、東京の景色を、自分たちが刀だった時見ていた歴史の景色を、出陣で見た光景を。
刀ミュの景色を届けに行くよ。ってことだと思って、すごくいいなあと感じました。
めちゃくちゃメタい話じゃん。とも思えますが、例えば刀ミュ男士達が地方公演して、マチネだけで出会える審神者さんが居る。
その風景は一度きりだけどそれもひとときの歴史でもあるよね。っていう事なのかなと思いました。

あの小面のことは、水心子は『まだ出会ってない』って言っていたので、
これから出会うあるじさん。これから公演で出会う人々だと思います。そして地方公演で同じ景色に居れたら『楽しむはずだった時間』も守られる。そういう意味だと思いました。

歴史が移り変わってきたように。その中でも刀剣たちはかつての主や見てきた景色・時代を覚えている。
それは句の中に景色を見るようなことでもあり、人との出会いが無ければ出来ない事。
これからそういう瞬間、景色が増え、地方を回って色んな景色と思い出というひとときの歴史を増やして
また東京に帰ってくるといいなと思いました。

そこではどんな景色が見られるのか。
どんな成長をして帰ってくるのか。すごく楽しみなのに誰もそんな事言わないので書きました。
今回のは(珍しく)お歌が本当にどれも良かった気がします。
行ける方はよく聞いてみてくださいね。再配信もあるみたいですし。


最期にまとめると
皆さんが意味わからないって言う一番の原因は以下のいつくかの話を軸にしたオムニバス出陣で、しかも途切れ途切れなうえに、場合によっては時系列通りではないからだと思います。
軸は 【三日月の話】【江戸、東京のなりたち】【将門公(怨霊伝説)の話】【放棄された世界の話】【コロナ(現実世界)の話】
です。
時間の流れ的にバラバラではありますが、そこに登場する人物は時の流れに沿った一貫したことを話したり歌ったりしていたと思います。
もしかしたら円環世界で何週目かしている。あるいはゲームでの出陣のように何度も同じ場所やその少し前に出陣している。という事だと思います。
あくまでも私が感じた【心覚】なので、色々な見方をして楽しまれるのが良いかと思います。
現代演劇風ですしね。

水心子と清磨には銀河鉄道のジョバンニとカンパネルラみを感じてやみません。
現代が混じったような田舎の風景が混じったような世界で、謎なストーリーの中を二人で行く感じが似てるかなと。
そういう意味でも水心子の傍に清磨が居てよかったなと思えました。

天狼傳とかもよく考えたら別に星に絡めなくても良いわけですが、
何故か宇宙が好きっぽいですしね。刀ミュ本丸。
まあ、鉄ってどこから来たの?とか考え出すと宇宙に行ってしまうのはあるのかもというのと、演劇に浸ってる人なら
一度は銀河鉄道に関わってそうというのもあります。
銀河鉄道の夜のあの感じはほんと唯一無二だと思うのですが
原作水心子がせっかく(?)中二キャラなのによくふざけないでああいう方向に行ったなと感心していますw
今までの刀ミュ本丸の中の人達 ふざけすぎててシラケるので…汗

おそらく新生刀ミュ本丸にバトンが渡されたようなのですが、現代演劇もハマる演技派の四谷組(歌もうまい)がセンターなのは今後期待です。


余談ですが【銀河鉄道の夜】も結構いいので、興味出た人は試しにYouTubeとかで見てください。
一般の劇団の公演映像があると思います。
ミュージカルが見たい人は【ミュージカル 銀河鉄道の夜】現代演劇が見たい人は【現代演劇 銀河鉄道の夜】とかで。

しかし現代演劇は何でクラシック、バレエ表現、簡易なセットを好むのか。その辺はよくわかりませんが
心覚くらいだと、まだぜんぜんわかる範囲だと思いますし、歌を聞いてればわかるはず!
いやミュージカルだし、歌でわからせてくれ~~!


ということで、ミュージカルの方ででしかできない事を模索されている刀ミュ本丸さんでした。
本日東京千秋楽ということで前祝気分でギリUP(;^ω^)
いろいろ言われてるかもだけど頑張ってほしいです。
また複数回見たら印象変わるのかもですが、初見で私が見た心覚はこんな感じでした~。
ちなみに銀河鉄道の夜は未完成で、本当の幸いを探す物語らしいよ~☆彡

※画像は去年靖国神社の博物館で刀剣展覧あった時の水心子と清磨です。
仲良く隣に並んでいました。(個人利用OKもらえています)
テンション上がって近侍ショット撮ったので清磨の足も見えてますがきにしないでw

水心子はなにげに元主とも言える勝さんにも会えてよかったね。



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