信仰を持つことの意義 新島襄の人生から
信仰を持つことの意義は5つある。1つ目は同胞意識を与えること。2つ目は意志の強さにつながること。3つ目は考えの異なる人を惹きつけること。4つ目はその人が長く愛されること。5つ目は生きる活力になることである。
1つ目は同胞意識を与えることである。これは新島襄とハーディー夫妻の出会いのエピソードからわかる。ハーディー夫妻は国や年齢も違う新島襄に経済的・精神的に支援を惜しまなかった。その理由は、新島襄がキリスト教に関心を持ち、もっと学びたいと考えていたからであった。同じキリスト教を信仰している以上、その人の国や年齢は関係ないのだ。つまり、ハーディー夫妻は新島襄に対し、同胞意識をもったため支援を行った。
日本人は相手が日本人であることが同胞意識をもつ理由となる。一方で、アメリカは宗教が同胞意識をもつ理由となると考えられる。なぜなら、アメリカには多様な人種が存在しているからだ。つまり、日本のように○○人であるということが同胞意識をもたせる理由とはならないのだ。
宗教に基づく同胞意識はヨーロッパでも見られる。例えば、フランスではムスリムが排斥されている。これはキリスト教とイスラム教の対立である。つまり、異なる宗教を信仰すると排斥される現状があるということだ。
ただ、アメリカでの黒人差別を考慮すると、同じ宗教と信仰しているからと言って排斥されないとは言えない。この点においては、ハーディー夫妻が人を外見で判断しない人であったということである。
宗教や信仰に基づく同胞意識は統治にも用いられた。かつて中国の王朝は儒教を国是とした。なぜなら、儒教は上下関係を重視し、トップダウン型の統治が行いやすくなるからだ。大量の人口や広大な大陸を支配するには最も有効な信仰であった。
この点において、同じ信仰でもキリスト教に出会った新島には自由という概念が根づいた。それは自由を求めたピューリタンが開拓したアメリカ大陸に出航したから、得られたものである。
2つ目は意志の強さである。これは新島襄が多くの人と出会うきかっけとなった海外出航を決定づけたエピソードからわかる。新島襄はキリスト教を学ぶために海外出航をした。国の法を犯してまでこの決断をしたのは、信仰心があったからである。新島は自分の中の価値尺度に優先順位をつけることができていた。つまり、法より神を優先したということである。
信仰に基づく意志の強さは、新島のように良い結果をもたらすことばかりではない。例えば、オウム真理教では信仰に基づいて多くの人が殺された。常軌を逸した行動の根本には信仰があったことを考えると、信仰は悪に利用されてはいけないのだ。
この点において、キリスト教は原罪の概念により、人間の弱さを知らしめている。新島は己の弱さを認め、神に向き直ったため、アメリカで得た知見をうまく活用できた。つまり、良心教育がされていたのだ。
3つ目は異なる考えを持つ人を惹きつけることである。これは新島襄と田中不二麿のエピソードからわかる。二者は異なる立場にはあったが、互いに惹かれあったといえる。田中は新島の信仰に惹かれたのである。つまり、信仰に基づいた人としての強さを見出したのである。
一般的には自分と異なる人は遠ざけるものであるが、田中にとって新島は「異なること」自体が魅力となったのだ。ちょうど凹凸の関係である。
4つ目は長く愛されることである。信仰とは最もエネルギーを持った想いである。なぜなら、理性によって体系化され、感情によってわかりやすくなっているからだ。新島が時間をかけて考え、強い思いをもってなしたことは100年以上たった今でも受け継がれている。それは新島やその想いが長く多くの人に愛されてきたからだ。つまり、信仰に基づいた想いは色あせないのだ。
人が本気で何かをするときのエネルギー源は信仰である。それ以上疑いようがなく、人生の基盤となる考えをもったとき、人は力を持ち始めるのだ。
5つ目は生きる活力になることである。これはキリスト教だけでなくほかの宗教にも当てはまる。以前見たテレビ番組では、タリバンによるアフガニスタン侵攻により、家を失ったムスリムが特集されていた。その家族は洞窟に住み、水をくむために数時間歩くような生活をしていた。しかし、その家族は希望を持っていた。その母は「信じれば、救われる。」といい毎日を必死に生きていた。このように、信仰は活きる活力になっているのだ。
一般的にはこの家族は絶望的な状況にあり、生きる希望を失うはずである。しかし、そうはならないのだ。それほどまでに信仰というものは力を持っている。
以上のように新島襄と人との出会いを踏まえながら、信仰の意義について考えてきた。信仰を持つことの意義は5つある。1つ目は同胞意識を与えること。2つ目は意志の強さにつながること。3つ目は考えの異なる人を惹きつけること。4つ目はその人が長く愛されること。5つ目は生きる活力になることである。
参考文献
・"たなか‐ふじまろ【田中不二麿】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-07-25)
・"新島襄", 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-07-25)
・"良心", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-07-25)