丸山るい一首評〈もういちど生まれなくてもいいように梨にうっすら透ける静脈〉

もういちど生まれなくてもいいように梨にうっすら透ける静脈/丸山るい「真鍮」
 
よく見てみると、たしかに梨には静脈がある。ネットで画像を検索しただけでも黄緑色、あるいは黄土色の皮の下に、何やら青みがかった水脈のような模様が透けているのがわかる。提出歌では発見されたその模様が「静脈」と呼ばれることとなり、梨はグロテスクさを伴って現れてくる。
そもそも果実、というのは植物にとって手段ではあっても目的ではない。植物にとって重要なのはおそらく種子の方であり、果実はあくまでもその働きを助けるための要素にすぎないだろう。繁殖という大きなサイクルのうちで、果実は腐ったり、動物に食べられたりすることによってその役目を果たす。繰り返し生まれ、繰り返し崩れる、という運動こそが果実の本来のあり方に近い。
しかし提出歌がこちらへと差し出すのは、おそらくツルを断ち切られた、あの丸い一玉の梨の実だ。静脈が見出されてしまった果実は一個の生命体のごとき風格を纏っており、その拍動すらも感じられるかのようである。「もういちど生まれなくてもいいように」という言い方には、それがもうすでに「生まれてしまっている」ことが含意されている。それ、とは梨のことなのか、はたまた主体自身のことなのか。いずれにせよ、丸山は梨の実の発見を通じて、何か一個の、際立って現れてくる肉体の話をしようとしているのだと思う。

(上智大学詩歌会『夕星』vol.5 (2023年11月2日発行) に掲載。)

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