池袋暴走事件から考える謝罪のあり方

池袋暴走事件から考える謝罪のあり方

“上級国民”の飯塚氏の起こした池袋暴走事件については、本当に言語道断で、事後の対応や姿勢なども最低である。

被害者御遺族の気持ちは想像するに余りある。

多くの人が報道を見て感じる憤りと、同じ気持ちをきっと僕も感じているのだと思う。


ここでは、くどくどと長く、感情的には述べない。イヤな気持ちが充満し、伝染し合う可能性もあるからだ。

車のせいにするなら、謝ってほしくないというご遺族のセリフを聞いて、“謝罪”というものの本質について、考えさせられた。


謝罪と言えば、ホリエモンこと堀江貴文の餃子屋さんを追い込んだ事件でも、ホリエモンは僕が知る限り、10/12現在、謝罪らしき謝罪はしておらず、たくさんの批判の中から、【自分が論破しやすい筋違いのコメント】を選んで、コメントを返していったり、まともなコメントを歪曲してとらえて、反論をしたり、を繰り返している模様である。

四一餃子さんを支援する意味もあり、noteも購入させていただいたが、ホリエモンが傲慢でバカであるという結論が上書きされる結果となった。

僕が理路整然と論破してあるツイートがあるから、本人から是非とも返事がほしいものである。


ホリエモンが謝るべき論点をまとめながら、アニメにしてみたので(どんな執念やねん)、良ければ下記のURLから観てみてほしい。

【ホリエモンの正しい謝り方】
https://youtu.be/wN46UifO4CA

さて、そもそも謝罪というものは、なんのためにあるのだろうか。


単一的にものを言うのは嫌いなので、ズバリという答えはなく、色々な意義が考えられる。

謝罪は、自己保身のためであるケース、相手に許しを乞うためのケース、相手の傷を癒すためのケース、社会的責任を果たすためのケース、自分自身の罪の意識から逃れるために行うケース、などなど、思いつく限り、色々な意味合いがあり、現実には、複合的なものであろう。


ただ、大きく分けると、自己保身のために謝罪をするケースと、相手に誠意を尽くすために謝罪をするケースの二種類になるのではないだろうか。


ざっくりと言うと、後者の理念で謝罪はするべきであるが、現状は、前者が圧倒的に多いのではないだろうか。

つまり、「なんか雲行きが悪そうだから、自分自身がよりよく生きるために謝っておこう。早く終わらせよう」みたいな感覚で謝罪する人が多い。

考えてみれば、最もである。


時系列で、考えてみよう。


①何かやらかす

②相手、または相手の大切な人や関係者、または世間が怒る

③謝る

このようなケースがほとんどだろう。


②の前に自発的に謝る場合もあるが、多くの場合、ことを大きくしないために謝罪する人ばかりではないだろうか。

つまり、謝れと言われて謝るわけだから、【自分をとりまく状況の変化】はあれども【自分のやらかしたことに対する気持ちの変化】は少ないのである。

①の段階では、クソみたいな奴で、②で急に自分が悪いと思うわけがないのだ。

ようするに「ヤバイから謝ってるだけなんじゃないの?」

と思ってしまうのである。


もう一度ざっくりとした分類を再掲する。

A 自己保身のための謝罪
B 相手に対する誠意のある謝罪


そして、相手が何かやらかした時の被害者側の対応は、ざっくりわけて二種類。

①怒り、指摘する
②放置する


①はAに結びつき、②はBに結びつきやすいが、確率が低い。

つまり、ろくでもないやつが、自分で勝手に反省することは少ないのである。
よく、世間では【心からの謝罪】などというものを求める風潮にある。

が、それを求めて得られる事は悲しいかな、少ない。

①だと保身のために謝ってるだけじゃないかという疑念が消えないし、②の対応では、そもそも謝罪そのものも期待できない。


ようするに、元も子もない結論を言うと。

ひどいことをする人間は、どこまでいってもクズであるケースが多いのである。

求めるのは、懲罰なのか、それとも誠意ある謝罪なのか。

当事者になった時、巻き込まれてしまった時に一体どちらを(あるいは両方)求めればいいのだろうか。

それは、外野がとやかく言うことではない。

巻き込まれてしまった本人の苦悩の中にしか答えはないし、誰も否定はできない。


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知る人ぞ知るお笑い芸人であり作家。大の将棋好きでアマチュア三段の実力を持つ。 noteでは、お笑い関係の連載他、僕が編み出した将棋の新戦法【クソ野郎戦法】の連載など多数掲載中。