『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』

『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』

著者:内田良

出版社:光文社(光文社新書)

発行年:2015年6月20日

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 学校というところから離れて随分と年数が経ってはいても、学校や教育などに関するニュースが流れるとつい見てしまいます。

 子どもと先生の安全・安心を確保していくうえで、エビデンスとの関係で今日の教育に求められることが2つある。1つが、教育研究者に求められることで、エビデンスにもとづく実態把握を進めること。もう1つは、教育に関心のあるすべての人たち(もちろん先生や保護者はその中心にいる)がエビデンスを直視して教育のあり方を考えることである。(p.33)

 本書を読むことで、教育に潜むリスクというものを「初めて」知ることができました。

【第1章 巨大化する組体操 ――感動や一体感が見えなくさせるもの】

 私の通っていた中学高校は、運動会で組体操がありました。ピラミッドとタワー、どちらも経験したことがあります。(と言っても本書に出てくるような巨大なピラミッドではありませんが。)その組体操について、著者は2つの側面があると書いています。〈感動系スペクタクルが組体操のポジティブな側面であるとすれば、他方で組体操はそのネガティブな側面として、負傷のリスクを抱えている。私たちの感動は、子どもたちの生の身体を危険にさらすことの引き換えとして得られている〉(p.43)。確かになあ、と。「組体操はいいもの」という感情的な意見だけではなく、組体操のリスクの実態(子ども側も教員側も)を受け止める冷静な思考が必要だなと考えました。やり過ぎはよくない事例だとも思いました。

【第2章 「2分の1成人式」と家族幻想 ――家庭に踏み込む学校教育】

 「2分の1成人式」という存在を本書で初めて知りました。また、「家族」に対する幻想……〈「離婚も再婚もなく、子どもは実父母のもとで育てられている」という単一の家族像〉について、改めて考えさせられました。

【第3章 運動部活動における「体罰」と「事故」――スポーツ指導のあり方を問う】

 この問題も根が深いなと思いました。体罰ではなく「教育の一環」としての指導と言い換えるのは「何だかなあ」と。この章で一番ハッとさせられたのは、著者はこの問題を「いじめの四層構造」(被害者/加害者/観衆/傍観者)に当てはめて指摘したことです。被害者が「生徒」、加害者が「暴力をふるった教員」として、観衆が「その教員を支持する同僚」「その教員を評価する保護者」「法曹界」「その暴力をふるった教員の寛大な処分を求める保護者やOB、地域住人」、傍観者が「問題視しない教員や保護者」。この指摘を受けて、被害者/加害者という枠だけで考えていた自分がいかに浅はかだったか分かりました。

【第4章 部活動顧問の過重負担 ―—教員のQOLを考える】

 この部活動に関する問題、一時、ニュースでたくさんやっていた印象があります。部活動と言うものは、私が思っていた以上にグレーゾーンで、なかなかショックでした。かといって、外部指導者に委託するのも一筋縄ではいかない問題もあるので、難しいです。あと、QOLとは、quality of life(生活の質)の略です。

【第5章 柔道界が動いた ――死亡事故ゼロへの道のり】

 この章は、柔道事故の発見から改善に至るまでの経緯が記されています。脳震盪かどうかを確認するツールとして、SCAT2というチェックシートがあるということを初めて知りました。


 〈教育という善き営みは、リスクを美談化、正当化し、子どもとさらには教員を巻き込みながら、学校にリスクを埋め込んでいく。そして、市民社会も一緒になってその作業に手を貸している。〉(p.254)

 本書を読んで、本当にそう思いました。この内田さんのお言葉を忘れないようにしたいです。

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