『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』
『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』
著者:筒井淳也
出版社:光文社 (光文社新書)
発行年:2016年6月20日
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ここ数年、私の友人の何人かが結婚し、家庭をもつようになりました。結婚式に出席するたびに、新郎新婦の姿に感動する一方、そもそも「結婚」ってなんだろうと(ある種斜めな)考えが浮かんでは消えていったのを思い出します。そういう漠然とした思いのなか、書店でふと本書を見つけました。その帯には、こう書かれています。〈私たちは、いつから「夫・妻・子」のかたちにこれほど依存するようになったのか。結婚すること、家族を持つことが万人に難しい時代、社会学の視点から、岐路に立つ現代社会を分析。〉……「家族万歳!」や「一人最高!」というような書籍とは違い、社会学というアカデミックなワードに惹かれてしまいました。読んでみると、知らなかったこと・誤解していたことが続々と出てきました。例えば、「家」という制度はどういうふうに成立したのか/どう変化していったのか、という歴史を知ることができました。(「家族万歳!」のような本には記載されない内容です。)また、「男は仕事、女は家庭」という結婚生活は近代以降のものだということ、なぜそういうことになったのか、も書かれていて興味深かったです。第三章「家事分担」では、〈共働き夫婦における夫婦の週あたりの家事時間の差〉〈フルタイムで働く男女の家事頻度〉〈国・性別ごとの1日あたり平均の家事時間〉というデータを織り込みながら、家事労働の不公平さについて論じていて、なかなか根が深いな……と若干震えました。
アソータティブ・メイティングという用語も初めて知りました。「上位のもの同士から順にマッチングしていく」(p.179)ことを、そう呼ぶそうです。ざっくり言うと、お金持ちは、お金持ちと結婚する社会だよね! ということです。うっすらと感じてはいましたが、こう学術的な用語で言語化されると、それなりにダメージをくらいました。
【補足】ネットで検索してみると、筒井淳也さんの記事を見つけました。「共働き"夕食は冷凍ピザ"に罪悪感は必要か」(2019年2月)という記事です。時代にチャンネルを合わせようと思います。→ https://president.jp/articles/-/27761