『イースVIII』がめちゃめちゃ面白かったので『イースIX』が楽しみというはなし(※主にイースVIIIのレビューです)

増税直前ということで、話題のゲームタイトルがどっさり発売されている2019年9月。そんな中、僕がいちばん楽しみにしていた『イースIX -Monstrum NOX-』がついに本日発売を迎えた。なぜ並み居る話題作の中で本作に特に期待を寄せていたかといえば、昨年Nintendo Switch版でプレイした前作『イースVIII -Lacrimosa of DANA-』がめちゃめちゃ面白かったからだ。これが『イース』シリーズ初体験だったのだが、とにかく感心させられることの多いゲームだった。

『イースVIII -Lacrimosa of DANA-』(以下『イース8』)のストーリーをざっくり説明すると、まず主人公のアドルが乗っていた客船が巨大な魔物に襲われる。気を失ったアドルが目を覚ますと見知らぬ無人島に漂着しており、他の乗客も皆ここに流れ着いているらしい。アドルは冒険の心得がある者たちと共に凶暴な魔物が多数生息する島を探索し、他の漂流者を救出、皆で島からの脱出を目指すことになる。物語はアドルの夢の中に現れる謎の少女“ダーナ”を巡って二転三転し、最終的には人類存亡の危機とかに発展するのだが、それはひとまず置いておく。

『イース8』は非常に出来が良いアクションRPGだ。これは商業、個人問わず、ゲームレビューなどをそれなりに手広く読み込んでいるゲーマーならばご存知のことだろう。特にプレイヤーの誰もが長所として挙げるのは「戦闘の爽快感」だと思う。しかし個人的に『イース8』がすごいのは、むしろそれ以外の部分、すなわち「主従」でいえば「従」の要素が徹底して「主」を引き立てることに成功していることだと思う。

僕がこのゲームでまず感心したのは「ファストトラベルがステータスの全回復も兼ねている」点だ。『イース8』のフィールドには要所要所に巨大な水晶が設置されており、この水晶を伝ってファストトラベルを行う。このとき、ただ水晶に触れさえすれば、HPや状態異常はすべて回復する。水晶は冒険の拠点となる「漂流村」にもあるのだが、ジャンルの慣例に沿って思考停止して作られた凡百のゲームならば「拠点に戻る→ベッドまで行って休息する→全回復する→新たな冒険へ」のような特に面白さには寄与していない無駄な行程をプレイヤーに踏ませやしないだろうか? 『イース8』では「一旦冒険を仕切り直そう」と思い立ち、水晶のある場所に立ち返った時点で、すでに新たな冒険への準備はすべて整っているのだ。これ自体は前例のないことではないが、本作はこういった「面白さに寄与しない部分」でのユーザーのストレスを徹底して取り除くチューニングがあらゆる部分で施されている。

ほかにクレバーだと感じたのは、漂流者の救出要素だ。探索の中で新たな漂流者を発見すれば、島に関する新たな情報がもたらされたり、別の漂流者の情報が手に入ったりして、新たな目的地が提示される。つまりストーリーが進展するのだ。これを繰り返しつつ道中で現れるボスとかを倒したりして探索範囲を広げていくのが本作の基本的な流れになる。救出した漂流者の多くは「漂流村」に合流し、自身の特技を活かして鍛冶を行ったり、商売を始めたり、畑をつくったりする。これを繰り返していけば、漂流村はどんどん便利になる。また探索中、倒木や岩が道を塞いでいて通れない箇所があるのだが、これらの場所には「漂流村の人数が◯人を超えればみんなで撤去作業をして通れるようになるよ」という人数が設定されており、漂流村の人員が増えるほど探索可能な範囲は広がっていく。これらをまとめると、「漂流者を救出する」というひとつの行為が、「ストーリーの進展」「漂流村の機能拡充」「探索範囲の拡大」という3つの機能を兼ねていることになる。目的を達成することで多方面でやるべきことが増えるこの仕様は、個別にちまちまとしたフラグを立てていくような煩わしさとは無縁だし、実際は一本道のゲームにも関わらず「まずどれから手を付けよう」という思考を促すのでちょっと進行に自由度があるような心地よい錯覚も生まれているような気もする。世界設定を良きゲームデザインに活かした好例と言えるんじゃないだろうか。

世界設定の活かし方でいえば、漂流村でのNPC(救出済みの漂流者たち)との取引は、すべて物々交換で行われる。無人島サバイバルにお金なんて無価値なのだ。で、後半になったらもう不要となるような素材はたくさんあれば少数の高級素材と交換できるし、高級素材は武器の強化や薬の調合に最終盤まで使えたりする。ゴミも同然な素材を持て余すようなことが起きづらいのは、不要なモノでアイテム欄がゴチャゴチャしてるとなんとなく気持ち悪さを感じる人間としては嬉しい。非常にスマートな仕様だ。

それから『イース8』で「戦闘の爽快感」と同じくらい褒められているのは「探索のテンポの良さ」だと思う。これは操作キャラの移動速度が速いとかはもちろんある。もうひとつ大きいのは、素材が取れるオブジェクトがあったり、釣れる魚が近くにいたりすると、仲間が「あれはなんでしょう?」とか「なにかいるゾ!」とか喋って教えてくれることだ。つまりやたらとキョロキョロカメラを動かさず先へ進むことに集中していても、素材を見落とすことはない。これがプレイしてみるととてもありがたい。この仲間の声掛けは極めてゲーム的な都合によるもので、それは例えばFF15で仲間同士で成される掛け合いみたいなリアリティは全然ない。けれどゲーマーはリアリティはなくとも「俺(プレイヤー)の役に立ってくれた!」というありがたさから脳内補完してキャラへの愛着に転換できる生き物なので、そういった諸々も手伝って誰しも本作をクリアする頃にはパーティメンバーへの愛おしさが募っているはずだ(もちろんイベントシーンなどでのキャラ立ちが優れていることが前提ではある)。

あと、これも大事なことだが、本作は道中の素材をそれなりに真面目に集めながら普通にゲームを進めていれば、武器の強化や必須アイテムの入手に必要な数の素材はほぼ手に入る。「あの素材が足りねぇ!」とか言って同じ場所をうろうろする必要は、ほとんどない。

他にもいろいろ『イース8』の褒めたいところは前に使ってたスマホにメモしてたんだけど、機種変更でどっかいっちゃったから今回はこれくらいにしておこう。『イース8』は革新的なゲームではない。しかしまず最高に爽快な「戦闘」(ここを褒めているレビューはいくらでも見つかると思うからそっちを読んでくれ)があり、「主従」で言う「従」たる無数の要素が全て「主」を引き立て、邪魔をせず、ストレスフリーなチューニングを徹底されていることが本作のトータルの体験を比類ない高みへと押し上げている。それは「偶然あらゆる要素が噛み合った」とかでできあがる類のものでは有り得ず、開発中の各セクションの意思決定が適切に統一された結果なのだと思う。ディレクターの舵取りがすごいのか開発チーム全体が上手く機能しているのかその両方なのかは分からない。とにかく『イース8』は、ここまで自覚的なクオリティコントロールが可能なチームなら次もきっと傑作を生み出してくれるはずだという強い信頼を僕にもたらしてくれた。

それからいろいろなハードに移植されたから忘れがちだけど『イース8』は元々PSVita用タイトルだ。PS4専用タイトルとしてイチから開発された『イースIX -Monstrum NOX-』があらゆる面で前作を超える作品になっていることは火を見るよりも明らかだろう。そんなわけで、前作をプレイした自分にとって『イースIX』は2019年屈指の期待作なのだ。『SEKIRO』超え、あるかもよ?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?