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自分にとって絶対的な女神が存在していた男

ある日の朝、電話が鳴った。
姉からだった。
「お父さんが自殺したよ」
その言葉を聞いた瞬間に思ったのは、「私のせいだ」という思いだった。

父の最期

母のことを書いた記事のとおり、私が結婚する時にはいろいろとあった。

その過程でなぜか父と母の関係がこじれたのは、夫婦の問題に巻き込まれた姉経由で知っていた。
正直、私自身は私の結婚の騒動の後の2人のことを全く知らないので、父と母の関係が、結局その後どういうふうになったかは正確には分からないが、2人がゴタゴタするきっかけをつくったのは私だと思っていた。だから、「私のせいだ」と思ったのだった。

ただ、「私のせいだ」と思ったのは少しの時間だけで、いろいろ冷静になって考えると、私の結婚の騒動が起こってから数年たっているし、その間、私は彼らに関わっていないので、私のことが父の自殺の決定的なことではないなと思い至った。

ちなみに、遺書のない自殺だったのもあり、父の死因とかについて、母と父方の親族とでなんかもめてた。
取りあえず、私は巻き込まれないようした。

父の世界

父はいつだって母の味方だった
父にとって母は女神だった。
どうして母と父がそうなったのかは詳しくは分からないが、母は父にとって絶対的な存在だった。
その存在の大きさは、きっと母には伝わっていなかったと思うが。
小さい頃から私は、
父は母を愛していて、父にとって私は母のおまけなのだろうと思っていて、父が私のことを見てくれていると思ったことはあまりなかった。
そのせいか、私が父のことで思い出すのは、いつも父の背中だ。

ただ、父のその姿勢はずっと一貫していたので、
「父は母の味方」ということに関しては当たり前のことで、小さい頃から特に不満はなかった。
父は私のことを邪険にしたりはしなかったし、母が姉の用事に付き合うことが多かったため私と父は2人でセットでいることが多く、何となく父とは連帯感があった。
そして、私は、父と2人で過ごす時間が好きだった。
そのためか、私は父が割と好きだった

父との対話

そんな父と、私が結婚前に母とこじれ始めたぐらいの時期に話をした。
父は私の話を聞いてくれ、
「そういう気持ちなら、僕は君を止めない。でも、僕はどんな時でもお母さんの味方だから、君の味方にはなれない」
ということを言われた。
父親が私側に付くなんて全く思っていなかったので、私の味方にならないことに対して不満はなかった。
むしろ、私の気持ちを聞いて、受け入れてくれたことがうれしかった
その時に父が言っていたことがもう1つある。

「僕はあまり君たちを怒らなくて、よくお母さんに、『あなたばかり子どもたちを怒らなくてずるい!』と言われたけど、小さい子どもで危険なことをするというわけじゃないんだし、君たち自身で考えてやることについては、僕が怒らなきゃいけないことは何もなかったから怒らなかっただけなんだよね。こんなこと言うとまたお母さんに怒られちゃうから、お母さんには内緒だよ。」

父にとっては何気ない話だったと思うが、私はこれを聞いて、父に見てもらえていないと思っていた自分が救われた気がした。
もちろん、「えー、じゃあ、子どもたちにもうちょっとフォロー入れてくれても良かったじゃん!」と思いもしたけど、彼には無理だったのだろう。
まあ、いいよ。
とにかく、この時のことは、多分一生忘れないと思う。

お父さん、死ぬ前までに話してくれてありがとう。
おかげで今は胸を張って言うことができるよ。

「父は父なりに私を愛してくれていたんだと思う」