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ぱっと変わる魔法みたいに

こんばんは、薄明です。写欲も物欲も止まらない日々です。

先日公開した薄明プリセットですが、Twitterでつながりのあるあきゃさんが使ってくださって、写真を公開してくださいました。実際自分で作ったものを自前の写真にいろいろと当ててみて、いかに汎用的にイメージを適用できるものを作ることが難しいかということを実感したのですが、ありがたいことに使って感想までくださいまして、なんだか勿体ない思いをしております。プリセットはプリセットであって、イメージの土台と思って使っているのですが、そのようにとらえて使ってもらえてうれしかったです。(というか元の写真がいいからなんだか光栄です)

Nostalgia赤めのやつは赤みをちょうどいいくらいに調整いただき、モノクロトカゲも多分周辺光量やハイライト・シャドウをうまい具合にして下さったのだと思います。いいなあ。

この事とは話は逸れるのですが、プリセットをぱっと当てた時に私は楽しいと感じることがありまして、それはなぜだろうと思案しておりました。

いま見えているものが、段階的なプロセスを見ずに変化するということが、カメラでファインダーを覗いていて写真を撮り、その写真が出来上がってきたのをみたときの驚きや楽しさに似ているからなのかなと思いあたりました。全く同じではないのですが。

毎回プリセットを当てているわけではないですし、それさえあればよいという考えでもないのですが、何か急激な変化が魔法のように感じられて、少し楽しく思うときもあるというお話でした。現像のレシピというものをいわばその人の個性のひとつとしてとらえてもよいと思うのですが、デジタルの世界においては陳腐化の早い工程でもありましょうから、中々皆さま取り扱いに気を遣っていらっしゃるのが時折感じられるのでした。

私のように今一つ薄明の色というものを定めきれずにおりますから、先日のように気まぐれに配布などしておりますが、これからも色々な表現の中で自分を見つけていきたいと思うのでした。

それでは、よき写真生活を。