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小松美羽さんの「ネクストマンダラ-大調和」の奉納が行われました。

去る10月8日、京都の東寺にて、真言宗立教開宗1200年記念の大法会が行われました。この法会にて、現代アーティスト小松美羽さんの大作「ネクストマンダラ―大調和」が奉納されることとなり、制作に携わったご縁で、私たちも参加させていただきました。

このプロジェクトは、スタートからおよそ3年の月日がかかっています。第二五七世東寺長者飛鷹全隆大僧正は、高野山別格本山三宝院の住職を兼務されておられるのですが、高野山で小松美羽さんと出会い、そのご縁で制作が始まったそうです。

東寺長者飛鷹全隆大僧正(右)と

曼荼羅を描くということは、並大抵のことではありません。
とりわけ東寺には、弘法大師空海が描かせたという国宝の両界曼荼羅図が所蔵されています。まさに真言密教の神髄ともいえるもので、日本美術界においても大変重要な作品です。真言宗の総本山である東寺にて1200年の節目に新たな曼荼羅を描くということは、これが歴史的な作品として、いつまでも語り継がれていくことを意味しています。

私たちは、このプロジェクトに参加し、四方およそ4メートルもの巨大な絹本に金箔をあしらいました。

箔一での作業風景。少しのミスも許されないため、緊張感にあふれています


このプロジェクトに取り組むにあたり、小松美羽さんに満足いただける仕事をすることは当然として、そのうえで2つの大きな意義を感じていました。

一つは、伝統産業を手掛けるものとして、古来の技法を残していく責任です。奉納された作品は永久に保存されます。永久というのも、大げさな表現ではありません。空海がこの地で真言密教を開宗してからすでに1200年が経過しているわけですから、少なくとも同じくらいの期間は、宝物として大切に保管されることになるでしょう。

この作品では、伝統技法を用い、礬砂(ドーサ)によって金箔あしらっています。昔ながらのやり方を選択したのは、将来の修復も考えてのことです。現代の接着剤は大変に機能的ですが、超長期の保管を想定していません。壊れたら新しいものに取り換えるという現代文明の中では、優先される機能ではないのでしょう。一方、伝統工芸は、修復を重ねながら世代を超えて大切にされることが前提となっています。容易に直すことができ、まるで新品のような状態にまで戻せる特性は、伝統技法ならではです。1000年を超えるような時間の感覚のなかで、きちんと作品を残していくためには、昔ながらのやり方こそ優れています。

株式会社宇佐美松鶴堂の宇佐美直八社長(左)、東寺三浦文良執事長(中)と

大切なことは、この先も技法をきちんと残してくことです。
現代でもすでに礬砂で箔を押せる職人は限られています。ましてや4mもの巨大なものを手掛けられる人は、ごく稀でしょう。今回手掛けた当社の職人たちも、あと数十年もたてば現役ではなくなります。貴重な作品を残していくためには、いつまでも修復ができるよう、世代を超えて技術を継承していく必要があります。

古代の名作は、修復の技法と共に大事に受け継がれてきました。数多くの先人たちが私たちに残してくれた財産に感謝をしつつ、伝統技術を廃れさせることなく、次の世代へと受けいでいく責任を強く感じました。

もう一つの意義は、金箔の持つ意味です。
金は古今東西のあらゆる文化で、最高級の価値を表現する稀有な存在です。
その華やかな輝きは、時には権力者によって威厳を示すために用いられることもありました。つまり「金」は富と権力の象徴として、他人を威圧する目的で使われた歴史もあるのです。

一方で、今回の小松美羽さんの作品を見ると、そうした印象は全くありません。むしろ優しく穏やかな輝きをたたえ、すべての人を受け入れるような雰囲気に包まれています。飛鷹全隆長者が「世界の平和を願う作品」を、と依頼をされた通り、小松美羽さんが描いた「ネクストマンダラ―大調和」には、すべての生命の共存への祈りが込められています。

戦禍の報せが毎日のように届く現代にあって、金箔の表現力が人の心を癒し、世界を平和に導く力の一端を担えるのであれば、私たちの仕事の意義と責任も、より大きなものにも感じられてきます。


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