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岡山に住んでてよく目にするようになったのは鰆だなと思う。大阪に住んでいた頃は恐らく食べたことがない。岡山に面している瀬戸内海は鰆がよく集まるため居酒屋に行けば焼かれているなり炙られているなり刺しにされていたりする鰆を目にすることがあるしスーパーに行けば切り身が売っていたりする。こんなインディーズの魚誰が食うねんと思っていたがいざ食べてみるとこれが美味しくメニューにその名があればなんでも食べるようになった。味はざっくり言ってしまうとブリと鯛の間のような味で炙りで食べるのが個人的には一番美味しい。好きすぎてコープで切り身を買って家で焼きまですらした。ずっと何の話してんねん。こういったことから地方で暮らすことのメリットは身近な食材でも安く美味しく食べられることだなと思いつつ大学生の頃にやれ京都は水がマズいだ魚はマズイだ野菜はマズイだと海産農産物マウントを取ってくる割にはしばらくしたら添加物だらけのコンビニ弁当で済ましていた地方出身の同級生の奴等が言いたいことも少しは理解できるような気がした。最近でこそやっとコロナが落ち着き閑散としていた繁華街も少しずつ勢いが戻ってきているため街に出て美味しいお店を探すようになった。本当に飲むか食べるかのモンハンの装備で言うとマフモフくらいの原始的な楽しみしかない上に通常酒を飲む人は炭酸である程度お腹が膨れてしまうのであまり食べないのが通説ではあるがどちらともまぁまぁ毎回頼んでしまっている。それならばもう安い居酒屋で飲み放題にして不味くもないが特段美味しくはない料理で楽しめばいいものを、"美味しいお酒を♪美味しく飲める量で♪"とPTAで仲良くなった主婦が開く飲み会で絶対に誰かが会の始まりで言いそうなフレーズを俺は信条として掲げているのでちょっと価格の高いお店で酒も料理も楽しみたいのである。けど何となく形だけ満足感を得たいだけであって料理に関して味がこうでこの風味が云々は全くわからず「美味い!」しか言えることはないし酒なんてもってのほかで周りがそう頼んでいるので思考停止でジムハイと角ハイやったら「もう断然"角"よね。」Aoとか知多があれば「"角"のその先やね。」とのたまっているだけ。そんな有様で今週は老夫婦が営んでいる居酒屋があるのでそこで飲むことにした。過去に一度来店しててその時に頼んだポテトサラダが結構美味しかったので今回も頼むかぁと息巻いている時に電話がかかってきたのでしばし話しているとその間に一緒に来ていたやつが注文をしてくれている様子が伺えた。俺が電話をしている間にお通しらしきものも来ていて既に友達は食べ始めており僕がポテトサラダ注文してくれた?と確認するとポテトサラダはメニューにないらしいと返ってきた。俺はこの店で食べたもので唯一覚えているのがポテトサラダなのにそのポテトサラダがメニューとして存在していないことに動揺を隠せなかった。飲んだ後は完全に記憶がなくなり、別個の記憶で塗り替えてしまっているのだろうか。にしてもそんな家庭色の強いポテトサラダを存在しない居酒屋メニューに追加するというスケールの小ささい塗り替えが存在して良いのか?どうせなら子羊の脳みそここで食べれんねん!とかそれくらいまで行かないと塗り替えとして成立しない。そんなことを頭に巡らせてまぁないならないで別のもの頼むかとメニューを見ようとすると一緒にいた友達が「メニューにはないけどお通しで出してくれてるやん。確かにポテサラ美味いわ。」そうか多少の乖離はあったもののやっぱりここで俺はポテサラを食べている。お通しならメニューでは頼めへんしなと安堵してお通しの皿に目をやるとソイツが食べていたのはポテサラではなく完全におからだった。もうこんな奴らは良い店に行く必要はない。街に出てはいけない。

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