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浜辺にて

今日は『東京のバスガール』が頭の中でずっと流れていた。
3番の歌詞が酔った客に絡まれて泣くという内容で、なぜかそこがループ。
だんだん酔って絡んだ客に腹が立ってきて、そこからバスガールの涙(と表出されない怒り)⇒女にしか就けない(女でも就けた)仕事⇒現代まで脈々と続く女の悲哀へと思考が転がりはじめる。
最終的にネットで宮沢りえが出ていた『東京エレベーターガール』というドラマを見つけたところでタブを閉じた。
こういう、思考が台風の進路予想図みたいに大きくなっていくことは結構あって、たいていは勝手に考えて勝手に疲れてしまう。


私は短歌はべつとして、日記というか、なんか書きたいなと思ったときは、崩壊した世界から書くようにしている。
ポストアポカリプスの浜辺からどこかの港へ、瓶に入れた手紙を流すような。
だれにも読まれなくてもいいし、でもだれかが拾って読んでくれてもそれはそれでうれしい。
だから人の役に立つようなことは書けないし、多くの人に何かを伝える前提でも書いてない。
noteでは人の役に立つ(立ちたい・立てると信じている)文章がよいとされている。
それも文章のひとつの側面。
でも終わってしまった世界からは、そういうのはちょっと書けないな。




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