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【美術展ニュース】京都・相国寺で開かれる『若冲&応挙』の二人展へ行きたい! 行きたい!

美術が大好き! というよりも、主に歴史の資料を見に行くという目的で博物館や美術館へ足を運んでいるためか、「ぜひこの作品の本物を肉眼で鑑賞したい! 絶対したい!」といった強い衝動に駆られることは少ないです。

でも、そんなふうに思える美術展『若冲と応挙』が、相国寺の承天閣美術館で、前期(I期)が9月10日から、後期(II期)が11月19日から始まります。そう……前後期のそれぞれ行きたい気分です。

相国寺承天閣美術館『若冲と応挙』チラシ

さっそく同館にnoteで紹介したいので、各作品の画像を貸していただきたいとお願いしたのですが……まぁ当然ながら丁重にお断りされましたw ということで、著作権に違反しない(だろう)範囲の画像を使ってご紹介していきます。

■相国寺と言えば伊藤若冲と大典顕常さん

企画展『若冲と応挙』のチラシによれば、相国寺と伊藤若冲の関係を軸にして、相国寺および相国寺塔頭所蔵の作品を公開していくということです。

まず相国寺(萬年山 相国承天禅寺)は14世紀末に、室町幕府三代将軍の足利義満により創建されました。当時トレンドだった禅……臨済宗のお寺で、開祖は夢窓疎石。京都五山の第二位に列せられ、鹿苑寺の金閣寺、慈照寺の銀閣寺は、相国寺の山外塔頭たっちゅうです(←知りませんでした)。

また相国寺は、日本美術史で欠かせない存在です。なぜなら、画僧の周文や雪舟は相国寺の出身ですし、江戸時代に第113世となった大典禅師(いみな:顕常)は、伊藤若冲のパトロンで、多くの作品を生み出したからです。

相国寺承天閣美術館『若冲と応挙』チラシ裏面

そんな若冲の最高傑作として名高い作品が、仏を取り巻く様々な動植物を極彩色で描いた、33幅の《動植綵絵》です。そして《動植綵絵》に囲まれていたのが、若冲が古典を模写した《釈迦如来像》、「文殊菩薩像」、それに「普賢菩薩像」の3幅でした。若冲が40代前半から50代前半までの10年間をかけて描いたこれらの作品……今回は、このうち《釈迦如来像》と、複製された33幅の《動植綵絵》が展示されるそうです。

また《動植綵絵》を描きつつ、若冲が44歳で手掛けたのが《鹿苑寺の大書院の障壁画全50面》で、もちろん今展覧会では同作が前後期にわけて見られるそうです。

■円山応挙と祐常法親王のタッグが生み出した傑作か!?

伊藤若冲と大典禅師が様々な作品を生み出していた、その同時代に活躍したのが円山応挙です。その円山応挙が飛躍するきっかけとなったのが、滋賀・えん満院の門主・祐常法親王に知遇を得たことでした。そして、応挙は30代の中盤に、パトロンでありプロデューサーでもあった祐常法親王とともに、3年をかけて《七難七福図巻》を完成させます。

《七難七福図巻》は、『仁王経』という経典に説かれた災いと福を描いたもの。今回の展示では完成品だけでなく、依頼者の祐常法親王によって描かれた下絵と、それを基に描かれた応挙の画稿までが、前後期に分けて展示されます。

伊藤若冲の作品もですが、それ以上に観たいなぁとチラシや相国寺のサイトを見て思ったのが、この《七難七福図巻》です。これまで描かれてきた『源氏物語絵巻』、『地獄草紙』や『六道絵』、はたまた『平治物語絵巻』のような、やまと絵の傑作の集大成的な作品に仕上げられているのではないかと、期待が膨らんだのです(そんなにスゴイ作品なら国宝に指定されているんじゃないか? という自分ツッコミもしつつですけど…)。

いずれにしても今回の『若冲と応挙』展は、伊藤若冲と大典禅師、それに円山応挙と祐常法親王という、江戸時代を代表する絵師と名プロデューサーが、どんな作品を生み出したのかが見比べられる、貴重な美術展なのではないかと思います。

なお……なぜ滋賀にあるえん満院の円山応挙作品が、京都の相国寺所蔵となっているのかが気になってしまい、少し調べてみたんです。調べたといってもネット検索しただけなんですけどね。そうしたら、残念なことに、このえん満院というのが墓地経営に失敗して、土地や建物が競売に出されるほど困窮していたことを知りました。それだけでなく、きっと円山応挙の作品も売却されたのでしょう。買い取ったのが、しっかりとした美術館を備える相国寺で本当に良かった……とも思いました。これが明治維新の困窮時などであれば……相国寺も《動植綵絵》を皇室に売却というか……そんなようなことをするほど困っていたんだろうなぁと理解できるのですが……21世紀に入ってから、由緒ある寺院が土地や建物が競売にかけられるとは……トホホですね。←詳しい事情を知らないので、てきとうなことは書けませんが……書いちゃいました。

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