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【古墳ニュース】奈良の富雄丸山古墳から、国内初の盾形銅鏡が出土! 〜2メートル長の巨大な剣も同時に〜

4世紀後半に作られたと推定される日本最大の円墳、富雄丸山古墳(奈良市)から、「これは国宝級か!?」と評価される、巧みな意匠が施された盾形の青銅鏡、鼉龍文だりゅうもん盾形たてがた銅鏡と、巨大な蛇行だこう剣が発見された。

鼉龍文だりゅうもん盾形たてがた銅鏡

盾形の青銅鏡、盾形銅鏡

盾形の銅鏡は、今までに出土例がなく、その文様の構成から 「鼉龍文だりゅうもん盾形たてがた銅鏡」と命名された。

長さは64cmで最大幅は31cm、重量は5.7kgで、青銅製だ。盾形で背面に、渦状文や鋸歯文、神像と獣像が合わさったような文様が鋳出されている。また中央には、直径4.8cmの突起…ちゅうがある。一方の表面には文様がなく、研磨されていることから、鏡と考えられている。

ちなみに鼉龍だりゅうとは、「想像上の動物で、ワニの一種ともいわれている」としている。詳細は省くが「乳をめぐる龍の長くのびた胴の上に,神像と口に棒状のものをくわえた小獣形をおく。神像と龍が頭を共有している場合が多いのがこの種の鏡の特徴である」と、東京国立博物館のHPでは説明されています。

そんな鼉龍だりゅうが表現されているのが、古墳時代の銅鏡であり、鼉龍鏡だりゅうきょうと呼ばれるもの。下に一例として、東京国立博物館所蔵の鼉龍鏡だりゅうきょうの写真を掲載する。山口県の柳井茶臼山古墳(柳井市)出土。

山口県の柳井茶臼山古墳(柳井市)で出土した鼉龍鏡だりゅうきょう(東京国立博物館蔵)
中央の突起…ちゅうの周囲に、4体の鼉龍だりゅうが表現されている

蛇行剣だこうけん

前項で記した鼉龍文だりゅうもん盾形たてがた銅鏡の真上に、粘土層を挟んで置かれていたのが、蛇行剣だこうけんと呼ばれる鉄剣。その名前が示す通り、蛇のようにくねくねと蛇行している。とはいえ日本で作られたと推定されている過去の出土例は、全国で85例もある(韓国でも4例)。

富雄丸山古墳出土の蛇行剣だこうけんが、それらと一線を画しているのが、その長さであり、その巨大さだ。

剣を手で握るつかや、未使用時に剣を収めるさやの大きさから、復元した時の全長を267cmと推定。

従来発掘された蛇行剣だこうけんとの比較ではもちろんだが、鉄剣と比べて格段の長さを誇る。


これまで他地域で出土した蛇行剣は、日本で85例ある。そのうち最大例の長さが84.9cm。また鉄剣の最大例でも115cm。それらと比べても極めて長大で、国内最大の鉄剣となる。

また他の蛇行剣は、すべて古墳時代中期(4世紀末)以降の古墳から出土している。一方で富雄丸山古墳出土の蛇行剣は前期末(4世紀後葉)と推定されるため、蛇行剣の最古の例ともなる。

ちなみに鼉龍文だりゅうもん盾形たてがた銅鏡と、蛇行だこう剣の復元図を、想像で描いた方がTwitterでいらしたので、紹介させていただきます。

■富雄丸山古墳とは?

富雄丸山古墳は、奈良市街地の西方を流れる富雄川の側に築造された、日本最大の円墳。4世紀後半(古墳時代前期後半)頃に作られたと推定されている。

江戸時代末の嘉永7(1854)年に書かれた 『聖蹟図志せいせきずし』 のなかでも「河上陵」として示されているとおり、その存在が古くから知られていた。その後、明治時代に盗掘されたが、この時に出土したと考えられる遺物が守屋孝蔵氏の所蔵品となった。それを昭和43(1968)年に京都国立博物館が購入。その後に、富雄丸山古墳から出土した鍬形石くわがたいしの破片が、京都国立博物館所蔵の破片とピッタリと接合した。このことから、同館の所蔵品は富雄丸山古墳で間違いないことが判明している。

同館には、このほか碧玉製の合子ごうす管玉くだたま、臼玉、鍬形石、琴柱形ことじがた石製品、石製模造品(刀子とうす・ノミ・ヤリガンナ・斧頭形ふとうがた)、有鉤釧ゆうこうくしろ形銅製品、銅板が所蔵されている。

>>>京都国立博物館所蔵の出土品の写真

平城京跡の南西に位置。写真左下にある黄色いマークが富雄丸山古墳(GoogleEarthより)
富雄丸山古墳は、奈良(佐紀古墳群)中心部方面から、大阪湾(百舌鳥古墳群)へ出る際に通りそうな場所にある(GoogleEarthより)
富雄丸山古墳の遠景(GoogleEarthより)

同じく守屋孝蔵氏が「富雄丸山古墳出土品」として所蔵していた「三角縁神獣鏡」3面が天理参考館に所蔵されている。また、富雄丸山古墳の北西にある弥勒寺には、出土地不明の三角縁神獣鏡さんかくぶちしんじゅうきょう1面が江戸時代から所蔵されている。

天理参考館所蔵の「三角縁神獣鏡」(Wikipediaより
奈良市の中心部から富雄丸山古墳(左)と弥勒寺(右)を見下ろしたイメージ(Google Earthより)

改めて富雄丸山古墳は、古墳時代の前期後半に作られたと推定されている。周辺の宅地開発前の昭和47年に、富雄丸山古墳の第一次発掘調査が行なわれ、同古墳の歴史的が重要性が見直されることになり、同古墳が保存されることになる。この時点では、円墳は2段築成で、直径86mで高さ10mとされていた。そのため当時は、埼玉県行田市の丸墓山古墳に次ぐ、国内2番目の規模の円墳とされていた(丸墓山古墳は直径105m)。

そして2017年度(平成29年度)に航空3次元測量調査が、奈良市教育委員会文化財課埋蔵文化財調査センターにより行なわれ、墳丘は3段築成で、しかも直径が109mだったことが判明し、国内最大の円墳とされた。

その後、2018年度以降の第二次〜第五次の発掘調査に続き、第六次調査(下図の紫色部分を調査)が2022年の10月5日から行なわれている。そして、円墳の北東側に位置する|造出し《つくりだし》と呼ばれる張り出し部から出土したのが、冒頭で紹介した盾と鏡が合体したような|鼉龍文《だりゅうもん》盾形銅鏡と、長さが2m37cmの|蛇行《だこう》だ。

北東側(画像の右上)に張り出した造出しつくりだしの付け根から、盾形銅鏡と蛇行だこう剣が出土した

出土したのは、造出しつくりだし上段。ここに⻑さ約7.4m、幅約3m、深さ約1mの⻑⽅形の墓坑があり、その内側に粘⼟槨ねんどかく……死者を埋葬する木棺を保護するために、粘土で覆って密封した埋葬施設……つまりは粘土層……の存在が確認された(2022年10月下旬)。

そこで、この粘土層……粘⼟槨ねんどかくを掘り進めると、内部にコウヤマキで作られた割⽵形の⽊棺が見つかった。この木棺周辺の粘土層を、さらに調査している時に出土したのが、盾形の銅鏡と|蛇行《だこう》だ(2022年11月末)。

なお、盾形銅鏡や蛇行剣は見られないものの、第6次の発掘調査について、今週末の2023年1月28日と29日に調査現場が公開される。奈良市の学園前駅から臨時バスが用意される(大人350円、小児180円)。また事前の申し込みは不要だ。詳細は下記を参照のほど。(なお、現地には駐車場がないため、自動車では行かないでほしい)

<参照サイト>

<今後、じっくり読みたいサイト>
・辻田淳一郎『技術移転とアイデンティティ : 3・4世紀における倭 の鏡を対象として
・『私の諏訪信仰ノート』内の「蛇行剣について」
・川越市立博物館『博物館だより(第78号)

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