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源空さんって誰? 特別展「法然と極楽浄土」

ちゃんとした人には分からないことだと思いますけど、今やらなければいけないことを、どうしても「やれない」性格の人っているんですよね。まさにわたしがそうです。ビジネスパーソンで、いわゆる優秀だと言われる人たちって、この「今やらなければいけないこと」を「今やれる人」なのだと思っています。で、そうした優秀な人を企業は欲しいわけで、その「今やれる人」なのかどうか? というのを測定するのが、高校や大学受験なのだと思っています。そして例外もありますが、その受験による選別というのは、たいてい当たっているなと思う一人です。例えていえば……野球をしたことはありませんが……特別な指導をしなくても、コンスタントにヒットやホームランを打ったり、当たり前に取れるゴロなどを当たり前にキャッチして正確に1塁や2塁に投げられる人の方が、「時々、ものすごく豪快なホームランを打つ」とか「たまに観衆を沸かすファインプレーをする」人よりも「先の数字が読みやすい」でしょうから、使いやすいんですよね。

・特別展『大名茶人 織田有楽斎』サントリー美術館
・企画展『マティス 自由なフォルム』新国立美術館
・企画展『榧園ひえん好古図譜ー北武蔵の名家・根岸家の古物(たから)』国学院大学博物館
・企画展『知られざる海生無脊椎動物の世界』国立科学博物館
・記念展「皇室のみやび一受け継ぐ美ー(第3期)」皇居三の丸尚蔵館
・特別展『大哺乳類展3-わけてつなげて大行進』国立科学博物館

ここ何週間かで見てきた展示会です。いま書かなければ、もうどんどん終わってしまうと分かっているのですが、まだ書けずにいます……。今日も、そのレビューを書くために家を出てみたのですが……ちょっと気分転換にトーハクへ寄ってみよう……なんて思ってしまい、2時間も過ごしてしまいました……。先週は国立西洋美術館へ行ってしまったし……。

そしてこうしてカフェに落ち着いて「さぁ書こう!」と思ったのですが……こうしてnoteを書き始めてしまっています……。

さらに最近では、4月16日から東京国立博物館(トーハク)で始まる、特別展「法然と極楽浄土」が気になって仕方ないんです。今は、まだ展示リストが公表されていないため、その展示内容の全体を知ることはできませんが、法然さんって何をした人なんだろうとか、どんな一生を過ごした人なんだろうとかが気になってしまい……(『大菩薩峠』で有名な)中里介山さんの『法然行伝』を青空文庫で借りて読んでいたりします ←今じゃないなぁ、これも。

ということで、、特別展「法然と極楽浄土」のチラシを動画にしてみました。これを見ても、チラシ以上の知識は得られませんが、まぁチラシ以上のことについては、また別の機会に作りたいと思います。

こうやって「今やらなきゃいけないことをできない」というのも、なにか病気みたいな名前が制定されているようです。調べればすぐに出てくると思いますが、面倒なので調べません。ただ分かっているのは、これは病気の類ではないということです。単なる性格によるものなので、怒られて一時期は後悔しても、すぐに元に戻ります……戻るというと、ダイエットのリバウンドのようにも読めますが、そもそも何も変わらないので、リバウンドすらしません。

おそらく同じようなことで悩んでいる人も多いと思いますが、まぁ悩んでも無駄なのではないかと思います。わたしの頭はクセ毛で、中学生の頃から悩んでストレートパーマをかけてみたりもしましたが、20代の半ばくらいで諦めたら、ものすごくラクになりました。

トーハクは混んでいたので、ほとんど庭を散歩していました

もう20年以上前のことなので、ほとんど内容が記憶に残っていませんが、西岡常一さんという宮大工の方の著書だったか、この方を取材して書いた本だったか忘れましたが……この方が言っていた一つのことだけを覚えています。いまWikipediaで調べていたら出てきたのですが「木は生育の方位のままに使へ」ということです。木は、まっすぐには育たないし、クセのある曲がり方をしているものもあるんですよね……あるというか、そういう木ばかりだと……それぞれ日のあたり方などが異なりますから当然ですね。鉄筋コンクリート造とは異なり、そうした木を集めて寺院を建てるわけですが、その一本一本の曲がり方を見て、この木はあそこに使おうとか、あっちの木はこちらに使おうとか、まぁ適材適所で使いましょうよということです。

これは人間にも当てはまることでしょう。人の場合は、そういう棟梁や上司に出会えないことの方が多いと思います。基本は、そんな名人はほとんどいませんからね。でも今は……昔もでしょうけど……会社などに入らなくても、生きるのに困らないくらいを稼ぐ方法はたくさんあって、そうやって生きている人たちは、ものすごく多いし、活躍している人も、ものすごく多いんですよね。

釈迦は、苦しく繰り返される輪廻(りんね)からの解脱げだつを説いたそうですが。いつの時代でも、たいていの人は、日常を苦しいものだと思っているようです。現代のこれまでの自分をかえりみて、なぜ日常を苦しいと感じるかといえば、「こうじゃなくちゃいけない」という決まりや目標を作っているからだと思います。「優秀」と言われる人たちに、自分を寄せていこうとする、寄せないといけないと思っている。当然、いわゆる「優秀ではない人」は、寄せることはできるかもしれませんが、そういう人にはなれないんですよね。「なる必要もない」と思えることが、解脱ですw この人を苦しませる、世間の常識などの輪廻りんねから解脱できると……人生は楽しいものになると思います。

で、釈迦は、自分の体験を通して、解脱方法を説いています。どうすれば解脱できるのか? ですね。釈迦は、既存宗教の苦しい苦しい修行をすることで解脱しようとしまいたが、「苦行では解脱できない」と悟りました。そして菩提樹の下に座って、瞑想しました……彼は金持ちの子息でしたし、暇だったんでしょうね。とにかく、瞑想していたら解脱できたそうです。

その釈迦の仏教を信じた、平安から鎌倉時代の僧侶、法然房源空さんが、いわゆる「法然(ほうねん)さん」です。ここでは「源空さん」と呼ぶことにしますが、この源空さんは「どうすれば人々が安心して往生(おうじょう=死ぬこと)できるか?」を考えました。わたしは…なのですが、この「往生」というのは、「世間の常識からの解脱」のことだと思います。末法の世の中で、輪廻の中で苦しみもがいている自分からの往生……って生きる……さよならする。

源空さんも、既存の仏教で説かれるやり方では、往生できない……普通に働いていて今を懸命に生きている人たちが、既存宗教では救われないと考えました。では、そうした既存宗教で規定されている修行を行えない人たちが、どうすれば往生できるかを考えて考えて発見したのが……阿弥陀佛にすがることです。もう自分の頭の中で思考を巡らせても、ぐるぐると失望や絶望が巡って増大していくだけだから、自分で解決しようとするんじゃなくて、阿弥陀さんにすがっちゃいましょうよ…と。親のスネをかじった方がラクでいいじゃないですか? なんで、かじれるスネがあるのに、かじらないで もがいているんですか? というのと似ている気がします。それで、もうとにかく無闇矢鱈にでも良いから「なむあみだぶつ」と唱えなさい(称えなさい)と。そうすれば往生……解脱できるんですから……簡単なんですよと。

以上が、ここ1週間で分かった、わたしの源空さんです。これについて「法然さんは、そんなことを言っていませんよ」とか「法然さんについて、勘違いされているようです」などと言われても、「はぁ……そうですかぁ」としか言えません。なぜかと言えば、それは「あなたの源空さん像なだけ」ですからね。それは、その人にとっては正しい法然さんですが、ここで本当に大事なのは、「自分の」源空さん像を作ることだからです。

とはいえ、源空さんについて考えるようになって、まだ10日間くらいしか経っていません。これからまた源空さんについて聞いたり読んだりすることもあるでしょうから、わたしの源空さん像もどんどん変わっていくでしょう。ここでは、今のところの、わたしの源空さんについてnoteしました。

ということで、4月16日から東京国立博物館で始まる、特別展「法然と極楽浄土」が楽しみになってきました。ちなみにわたしは、源空さんは浄土宗の開祖ではあるけれど、源空さんが浄土宗を開いたわけではないと思っています。それは、釈迦さんが仏教という宗教団体を作ったわけではないのと同じです。

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