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『王羲之と蘭亭序』後期 @東京国立博物館

現在、東京国立博物館トーハクでは、『王羲之と蘭亭序』という特集企画が開催されています(追加料金不要)。

観に行くのは約1カ月ぶりなので、同特集も後期に突入。以前と共通のものもありましたが、今回は細かい説明は気にせず、感覚的に いいな と思った文字だけをピックアップしていきます(一部、絵もあり)。

※前期レポートのリンクも貼っておきます。


伝・祝愈明(1460~1526) 筆《臨蘭亭序洛神賦巻》明時代・15~16世紀
林宗毅氏寄贈
伝・祝愈明(1460~1526) 筆《臨蘭亭序洛神賦巻》明時代・15~16世紀
林宗毅氏寄贈
伝・祝愈明(1460~1526) 筆《臨蘭亭序洛神賦巻》明時代・15~16世紀
林宗毅氏寄贈


《楷書前後赤壁賦合卷(楷书前后赤壁賦合卷)》
王芑孫(1755~1817)、曹貞秀(1762~1822)筆(王芑孙、曹贞秀)
王芑孫書:清時代·嘉慶2年(1797)曹貞秀書:清時代·乾隆59年(1794)
高島菊次郎氏寄贈
《楷書前後赤壁賦合卷(楷书前后赤壁賦合卷)》
王芑孫(1755~1817)、曹貞秀(1762~1822)筆(王芑孙、曹贞秀)
王芑孫書:清時代·嘉慶2年(1797)曹貞秀書:清時代·乾隆59年(1794)
高島菊次郎氏寄贈

王芑孫(おうきそん・字は念豊、号は惕甫)は長洲(江蘇省蘇州)の人。地方官を務め、詩文と書法に優れて、書は劉墉に似ると評されます。曹貞秀 (字墨琴)は長洲の人で王芑孫の妻。書法で名を成し、小楷に優れました。本作の王芑孫筆「前赤壁賦」は強く、(その妻)曹貞秀筆の「後赤壁賦」は淑やかで、ともに端正で美しい楷書の優品。
王芑孙擅长诗文与书法,被评价其书法似刘墉。曹贞秀是 王芑孙之妻,以书法闻名,擅长小楷。本作王芑孙笔《前 赤壁赋》强劲有力,曹贞秀笔《后赤壁赋》温婉贤淑。

解説パネルより
蔣元益《行書七言聯》清時代・19世紀

絖本に、「坐間朗抱観天地」「山外清流自古今」の二句を揮毫した対聯(対連・ついれん)で、 十四の文字は、いずれも蘭亭序の中に出てきます。 著名な古典の中に使われる文字を使って対句を作ることは、古くから行われてきました。 蔣元益は長洲(江蘇省呉県)の人。 貯書楼の号があります。

解説パネルより

最近ChatGPTを使ってみているのですが……「坐間朗抱観天地」「山外清流自古今」の意味を聞いてみると、下記のような“それっぽい”回答が戻ってきました。注意:内容の正確性は不明です。

「坐間朗抱観天地」は、「座間にて自由自在に広がる天地を抱きしめる」という意味で、座っている場所から自由自在に天地を把握し、自分自身が天地の一部であると感じることを表現しています。
「山外清流自古今」は、「山の外にある清らかな流れは、古今変わることなく自然に流れている」という意味で、山の外にある自然界の美しさと、その流れる水の清らかさが古今変わることがないことを表現しています。

ChatGPTより
張廷済(1768~1848)筆《楷書蘭亭句對聯》清時代·道光8年(1828)
高島菊次郎氏寄贈

↑ こちらは整った書体に惹かれたというよりも、わたしの場合は、何が書かれているのかなぁ? と気になったから、記録に残しておきました。そう思って書き出してみると……そうかと……こちらの解説文に記してあるとおり、これは蘭亭序の中の、お気に入りの一節を抜き出して書いたものなんですよね……。

是日也天朗氣清惠風和暢
「今日は天空が晴れわたり、空気が澄んで、風が穏やかで心地よい日だなぁ」
此地有崇山峻領茂林竹
「ここは崇高な山々と険しい峰々があり、茂る森と竹林が広がっています」

ChatGPTより
宣統帝《楷書七言聯》黄蝋箋本墨書・清〜中華民国・20世紀
宗毅むねたけ氏寄贈

「蘭室静言得知已」は、「蘭の香り漂う静かな書斎で語らうことで、お互いを理解し合っていることを知る」という意味で、友人同士が静かな空間で会話することで、深い理解を得ることができることを表しています。
「竹林攬古懷流風」は、「竹林に身を置き、古のことを想い、風に心を任せる」という意味で、自然の中で過去のことを思い返し、風に吹かれて自由な気持ちになることを表しています。

ChatGPTより

↑ これもそれっぽい回答でしたが……「蘭室」を「蘭の香り漂う静かな書斎」という解釈は、とても詩的な雰囲気ではありますね。実際には、「蘭の香り」のような「高徳の人……友人」といった使い方をしているようです。

蘭亭序から、この言葉を抜き出したのが、宣統帝溥儀だという点が趣深い気がします。「蘭室静言得知已」……こんな風に語り合える友人が欲しかったでしょうね……って、考えてみたら、誰もがそう思いますよね。

金農(1687~1763)筆《楷書九老図記軸》清時代·17~18世紀
青山杉雨氏寄贈

「唐の白居易が、洛陽の香山で8名の友人と開いた雅会を描く『九老図』に題した文章を、ゴシック体のような奇抜な楷書で記します」と解説にありました。そもそも白居易(白楽天)が書いた文章を、金農という人が、独特の字体で記したということでしょうかね。

白樂天居洛中佗尚當九老之會其序曰
胡吉劉鄭盧張六賢皆多丰壽予六次爲
偶于東都敝居履道坊合成尚齒之會相
顧旣醉且懂静而思之此會齐有因各◯
詩以之時會昌五年三月二十四日
丰又有二老丰兒絕倫同歸故鄉◯來斯
會續書姓名丰齒寫其形兒于贵右与前
七老題為九老贵

なんて書いてあるのか、画像検索して誤った文字があるものの、上記のような文字列が……書かれているのではないかな……と。これをさらにChatGPTに流し込んで「以下の中国の詩を、日本語で説明してください」とお願いしつつ、意味を考えていくと……「白居易は九老の会の序文に、以下のように記しています。胡・吉・劉・鄭・盧・張の六賢人を迎えて、会昌5年の3月24日に尚歯会……つまりは老人の集いを開催できましたと。みなさんいい感じに酔いながら詩を詠み合ったんですよ。前述の六人+白居易の七老に加えて、あと2人が参加して、九老会となりました」といった感じでしょうか。それほど……たいした話ではなかったなと……。

むしろ、この奇抜な書体で記した「全農」という「揚州八怪」の筆頭とも言われる方に興味が湧いてきました。こんどゆっくりと調べてみたいと思います。

■ちょっとおしゃれな感じのイラストもありました

中国の、主に書を紹介するフロアには、《做王翬槎溪芸菊図巻》という絵巻に、目を引かれました。日本でいえば明治にあたる1880年に描かれたということですが、とても洒脱なタッチのような気がしました。

秦祖永(1825~84)筆《做王翬槎溪芸菊図巻(ほうおうきさけいげいきくずかん)》
清時代・光緒6年(1880)
林宗毅氏寄贈

ただし、タイトルに《做王翬おうき》とあることから、「正統派山水の大家の一人である王肇 (1632~1717) の画風に倣ったもの」ということが分かるようです。

秦祖永(字逸芬、号楞煙外史) は、無錫(江蘇省)の人。清初の巨匠、王時敏(1592~1680)に師法し、正統派山水のおだやかな画風を得意とした文人画家です。本図も正統派山水の大家の一人である王肇 (1632~1717) の画風に倣ったもので、奇石の配された瀟洒な庭園を描いています。

解説パネルより

銘文:王耕煙槎溪藝菊圖、向藏於松江陸氏、同治壬申年、模得林木山石人物屋宇及一切器而無不具備、與補圖最為合格、庚辰夏六月、重模於碧甲署齋、附子儀二姪留玩、辛巳中秋望後、祖永識 ; 鈐印「祖永之印」 ; 桐陰逸史 ; 鑑蔵印「定静」 ; 定静堂 ; 志超鑑賞

■メモ……林宗毅むねたけさんについて

『蘭亭序』の前期でもそうだったように、今回の後期でも、林宗毅さんが寄贈してくれた作品が、あちこちにありました。そこで、気になったので、その林宗毅さんを調べてみました。

林宗毅さん(1923~2006)は、台湾三大名家の第一に挙げられる板橋林本源家(はんきょうりんほんげんけ)の嫡流の出身です(つまり、もともとは台湾人…中華民国人)。林本源家は歴代にわたり学問・芸術に造詣が深く、曽祖父・祖父の代には、台湾県板橋に清朝末期の福建の造園技術の粋を集めた林本源邸「林家花園(庭園)」を築造(現在は寄贈して、同地の自治体が管理しています)。

林本源家の家系図

林宗毅さんは(日本が統治していた時代に)台北帝国大学を卒業し、東京大学大学院を修了。昭和48年(1973)に日本に帰化されたそうです。台湾、日本、米国などで実業家として活躍されるかたわら、中国の書画を収集。晩年には、明清時代から近代に至る約1000点に及ぶコレクションを、台北の国立故宮博物院、和泉市久保惣記念美術館および東京国立博物館に寄贈しました。

和泉市久保惣記念美術館の定静堂コレクションは、平成12年(2000)に林宗毅さんから寄贈された、19~20世紀の呉昌碩、斉白石、豊子愷など約300名の画家たちによる中国近代絵画412件……台湾故宮博物院には、宋代から近代までの70点の書画が寄贈されています。ということは、東京国立博物館には、500件以上の中国書画が寄贈されていることになりますね。

以上です。

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