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太刀「福岡一文字」の、拵(こしらえ)の名称が間違っている?

博物館で刀剣と言えば、だいたい刀身がメインで飾られています。ただ、今よりももう少し実用品として扱われていた江戸時代などには、鞘に収めて収納されていたはずです。

それにも関わらず、東京国立博物館東博=トーハクでは、展示されるさやの数が少ないんですよね。

今回は、そんなさやのお話です。

※なお、今回紹介する『梨地笹龍膽紋蒔絵糸巻太刀なしじささりんどうもんまきえいとまきのたち』は、<2022年9月4日>までの展示でした。

■福岡一文字の「こしらえさや」を鑑賞してみる

タイトルでは、「こしらえさや」と一緒にしてしまいましたが、詳しい方々からは「こしらえさやは同じじゃないだろ!」と突っ込まれますね。でも、さやは知っていても、こしらえってなに? という人は多いでしょう。だから「だいたい同じです」と考えて話を進めましょう。詳しくない人からすれば、だいたい同じなのですから。

『梨地笹龍膽紋蒔絵糸巻太刀』

名刀として名高い「太刀 銘貞真 福岡一文字貞真ふくおかいちもんじさだざね」は、そのさやを含むこしらえと一緒に、重要文化財に指定されています。そのこしらえとは『|梨地笹龍膽紋蒔絵糸巻太刀《なしじささりんどうもんまきえいとまきのたち》』。

難読漢字の連続で、読む気さえ失せてしまいます……。

要は……

ちょっとザラザラした、いい感じの質感の梨地なしじ仕上げの、笹龍膽ささりんどうの紋(家紋)が散りばめられた、蒔絵まきえっぽい漆塗りでありつつ、手で握るつかと腰に当たるわたりの部分がきれいな糸でぐるぐる巻きにされた、太刀たちこしらえ……

……ということを、ぎゅぎゅっと12文字にまとめて書いた「そのまんまじゃん!」っていう名称です。

まずはつかの部分は、糸がぐるぐる巻きの糸巻いとまきです
つかの先端の「柄頭つかがしら」。竜胆りんどうの紋が散りばめられていますね……って、え?

名前にもなっていて、こしらえのあちこちに散りばめられているはずの紋(家紋)は、|笹龍膽《ささりんどう》のはずなんですけどね。

なぜかどこを見ても、描かれているのは|竜胆車《りんどうぐるま》紋じゃないですか。「りんどう」の漢字が異なるのは、旧字体か新字体の違いなだけでしょうが、肝心のデザイン(意匠)はまったくと言ってよいほど異なります。

左が、太刀のこしらえに描かれいる「|竜胆車《りんどうぐるま》紋」。右が、「|笹竜胆《ささりんどう》紋」
つばに描かれているのも「竜胆車紋」です
腰に当たるわたり部分の周辺も「竜胆車紋」ですよね……
鞘のボディにも「竜胆車紋」です……後端の鞘尻さやじり石突いしつき)にも「竜胆車紋」です……。しつこいですね(笑)?

なんで、これほど明らかに異なるのに、解説パネルなどでは「|笹竜胆《ささりんどう》」で通しているんですかね。誰も気が付かなかったわけがないので、可能性としては……
「笹竜胆紋」をグループとして考えたときは、「竜胆車紋」も、そのグループの一つだと考えられている……ということでしょうか。

解説パネルや『e國寶』『文化財オンライン』などでは、「梨地笹龍膽紋蒔絵糸巻太刀」もしくは「梨地笹龍膽紋糸巻太刀」となっています。でも、東博サイトの展示リストでは「梨地笹龍膽車紋蒔絵糸巻太刀」と“車”が追加されていました。でも、「竜胆」という呼び名も一般的ではなさそうなので、そのうち「笹」は取れて「竜胆車」紋になるのではないかと思います。以上、クドイ説明でしたね。

■久留米藩有馬家に伝わった太刀『福岡一文字貞真』

それでどうして「|竜胆車《りんどうぐるま》紋」が、あしらわれているかと言えば、この鞘(こしらえ)を作ったのが、筑後国久留米藩の有馬家だからです。

そして、このこしらえに収める刀身が、福岡一文字の「太刀 銘貞真」です。

「太刀 銘貞真」。「銘貞真」とは、刀身……柄の部分に「貞真」と刻まれているということです。

久留米藩の有馬家が、福岡一文字のためにこしらえを新調した……だから、有馬家が家紋の一つとして使っていた「|竜胆車《りんどうぐるま》紋」を、散りばめたのでしょう。

ちなみに久留米有馬家は、|竜胆車《りんどうぐるま》紋よりも、「有馬ともえ」紋を、一般的には使っていたようです。巴紋は、よく和太鼓などにデザインされているものです。

今は、家紋と言えば一家に一つという印象がありますが、江戸時代以前は、いくつも家紋を使っていました。どう使い分けていたのかは、今度調べてみたいと思います。

全体像を撮り忘れてしまったので、興味のある方は、『e國寶』をご覧ください。


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