広田さんの茶器コレクション@トーハク
東京国立博物館の解説パネルを見ていると、けっこうな数が、寄贈品で構成されていることが分かってきます。これまでのnoteでも、寄贈者について何度か記しましたが、廣田松繁さんは、その中でも最大功労者の1人なのは確実です。
■古美術店「壶中居(こちゅうきょ)」の創設者のコレクション
廣田松繁は、古美術店「壶中居(こちゅうきょ)」の創設者で、不孤斎とも号していました。そのため広田不孤斎として記されていることも多いです。
彼はトーハクへ、昭和22年(1947)に5件、昭和42年(1967)に1件、そして逝去の前年の昭和47年(1972)には、コレクションのほぼ全て、490件を寄贈されています。
不孤斎さんの寄贈品は、今回のトーハクの日本館(本館)の1階奥にある茶器の部屋をはじめ、東洋館などでも、しばしば観られます。観られる……というよりも、日本や中国、朝鮮の器をトーハクで語る上で、不孤斎さんのコレクションは、松永安左エ門(耳庵)さんのコレクションと合わせて、欠かせない存在です。
実は、わたしはけっこうな確率で、トーハクの茶器の部屋を素通りしてしまっています。それほど興味がないからなのですが、不孤斎さんの存在を知ってからは、今は何が展示されているのかなぁというか……不孤斎さんのおメガネに叶ったモノとは、どんなモノだったんだろう? という興味を抱いて、観るようにしています。
今回も前置きが長くなりましたが、トーハクの茶器の室に、現在(2023/05/22)展示されている品々を、写真のみで紹介していきます。
■茶器写真集
彫三島とは「彫りによって刻みをつけ、桧垣のような模様を表わし、 そこに白土を象嵌したもの。」 と、解説パネルには記されています。ちょっとわたしにはさっぱり意味が分かりませんが……今は、読むだけにとどめておきます。
朝鮮半島製ということで、「高麗茶碗」と記されていますが、16〜17世紀に作られたものなので、当然、「高麗製」ではなく「李氏朝鮮製」ということになろうかと思います。ここから分かるのは、政権の名前とは関係なく、中世または近世に朝鮮半島で作られたモノは「高麗茶碗」と呼んでいるらしいことです。
しかも、「日本からの注文によってつくられたと考えられています。」とあります。今でも焼き物の製造は分業されていますよね。プロデューサーや卸的な企業があり、土を集める人がいて、形作る人がいて、絵柄を描く人がいて……と言った感じでしょうか。そのため、場所が朝鮮半島というだけで、日本の誰かが朝鮮半島の窯などに、製造を外注することも、不思議ではないのかもしれません。
やたら「(推測の)かも」が多い文章になりますが、あまり気になさらず。ただし、文章を鵜呑みにだけはしないでください。
器の内にも外にも花の文様…花文がありますが、外に花文があるのは珍しいそうで、この器は特に「外花手(そとはなで)」と呼ばれているそうです。
絵でもなんでもそうですが、実際に観るのと、写真で観るのとはだいぶ異なります。世界には、三大ガッカリ観光地みたいなものがたくさんありますが……それらはガイドブックやパンフレットで、素敵な写真が観られると思います。それで実際に行ってみたらガッカリしました……みたいな感じですよね。
絵や器、仏像など美術品に限って言うと、写真で観て「たいしたことないな……」なんて思っていても、実際に観てみると「なんじゃこりゃ!」と、胸にズキュンッと衝撃が走るものが少なくありません。逆に言うと、実際に観た時の感動や感じたことを、写真に内包させることは至難です。
下の「仁清」印の刻まれた、江戸時代の《瀬戸釉平水指(せとゆうひらみずさし)》は、今回の中では顕著な事例です。トーハクで実際に観た時には、「うわぁ〜、なんかいいなぁこれぇ〜」って思ったものです。それで写真を何枚か撮ってきたのですが……良いなと思っていた模様に光の反射が入ってしまうため、写真で観ると単なるヘンテコなシミにしか見えませんね……。残念……。
もっと心地よい形だったような気がするのですが、写真だと「ぼてぇ〜」っていう締まりのない印象ですw でも、確実に惹かれるものでしたよ。
「仁清」って、なんか聞いたことがあるなぁと思ったら、野々村の仁清さんですね……と言っても、京焼陶工を代表するということ以外は、よく知りません。
解説パネルを読んで、少し思い出しました。「華やかな色絵陶器で知られる」人ですよね。なにか華美で大きな作品を連想する気がしますが、それと比べると、当作はずいぶんと地味……ですね。仁清さんは、こうした「 瀟洒な作例も多い」らしいのです。わたしは断然、こっちの方が好みです。
トーハクで、よく見かける、竹の花入れです。よく見かけるものの、同じものなのかは不明……。少し斜めから眺めると、良い形をしているのですが……斜めから撮った写真が見つかりません。ど正面からしか見
ないと、わけがわかりませんね。
解説パネルには以下のように記されています。
下は、松永安左エ門氏寄贈の唐津焼です。同じ写真に見えますが、ピントを器の内と外と変えています。
広田松繁さんと同様に、トーハクへ多くの器を寄贈している松永安左エ門さんですが、詳細についてはまた別の機会に記したいと思います。
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