見出し画像

エッセイ 老いと憂鬱

なんとはなしに、古本屋で手に取った、「陶淵明全集」※。
パラパラめくってみたら、新聞の切り抜きが挟んであった。
読むと、「秋篠宮家の悠仁親王のお名前の由来」が陶淵明の飲酒だという。
前の本の持ち主が挟んだものに違いない。

さっそく、新聞の切り抜きもそのままに購入し、帰って読んでみた。
有名な詩に「帰去来辞」があると書いてあったが、全然知らない。
学校でも習うらしい、が、覚えていない。他にも「桃花源記」が有名らしい。これは桃源郷の話だ。桃源郷の昔話が陶淵明から来ているとは知らなかった。

まだ全部は読んでいないけれど、今のところ好きな詩は「閑情賦」。
陶淵明らしからぬ詩として、あまり評価されてこなかったらしいけれど、
個人的には好きな詩だ。特に十願十悲がよい。
先妻に先立たれた三十歳のヤモメの淵明が、美女に恋い焦がれる様を十の願いと十の悲しみとして詩っている。たとえば、そのひとつに、

『なれるものなら、上衣では襟(えり)になって、そなたの華やかな頭(かしら)の芳(かぐわ)しい香りをたっぷりと嗅ぎたい。しかし悲しいかな、薄絹の衣は夜、寝るときは脱ぎすてられるから、秋の夜のなかなか明けてくれぬのが怨めしい。』(閑情賦)

子供のころ、大人は完成した立派な人だと思っていた。だけど、自分が大人になってみて、そんな立派な人になれていないことを思う。

でも、それは自然なことなのかもしれない。だれもが立派な人だったら、窮屈で仕方ない。陶淵明はこう言っている。

『すべての人が兄弟のようなもの。肉親だけに限る必要はさらさらない。うれしい時には、心ゆくまで楽しみ、酒をたっぷり用意して近所の仲間といっしょに飲むがよい。若い時は二度とはやって来ないし、一日に二度目の朝はない。楽しめるときには、せいぜい楽しもう。時というものは人を待ってはくれないぞ。』(雑詩十二首 其の一)

でも、老いは確実に忍び寄る。そして、頭から離れない。黒々としていた髪の毛も白いものが多くなり始めた。
正しく”老いていく”とは、どういうことなのだろう。毎日のいそがしい仕事も、だんだん、若い頃のような無理はできなくなってきた。自分に出来ることをやり、出来ないことは出来ないという、そんな心構えも必要だ。

自分の子供がまだ小さいのを見るにつけ、まだまだ頑張らなければとは思うけれど、そんな気持ちも続かないことにも気づいている。

あと何年、自分は頑張れるのだろうか。
僕がいなくなったら、この子らはどうするのだろうか。
僕に頼り切っている妻はどうやって暮らすのだろうか。

でも、そんなことを考えても仕方がない。
誰もが、いつまで生きられるのかなんて、わかりはしないのだから。
先の詩の続きで、陶淵明はこうも言っている。

『月日はけっして待ってはくれない。四季はせきたてるようにしてわが身にせまる。寒風が黄ばんだ枯枝をうちはらい、長いあぜ道は落ち葉で埋まった。生まれつき弱い体質であったのが時が移るにつれてますます衰え、黒かった生えぎわの毛もはやまっ白になった。こう白髪が目だつようになっては、わが人生も先が見えてきたということだろう。この世は仮の宿である以上、わたしもおさらばするときが来たようだ。あわただしくどこへ行こうというのか。そう、わたしには南山のふもとに先祖伝来の家があるのだ。』
(雑詩十二首 其の七)

僕にも山のふもとに親の墓はあるが、今は、そこへ帰ろうとは思わない。

※ 岩波文庫「陶淵明全集(下)」松枝茂夫・和田武司訳注
  巻四 詩五、巻五 賦・辞 出所


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?