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五年前

夜中、コンビニへ買い物に出掛けて、冷たい冬の風の匂いが鼻に抜ける。侘しい街灯に照らされた暗い田舎道は、僕に高校の頃を思い起こさせる。僕は高校の3年間、眠たい朝も、とうに日の落ちた部活の帰り道も、この道に自転車を走らせた。
僕の高校生時代がもう5、6年前だと思うと、不思議な気持ちになる。それは遠い昔のようにも思えたが一方で、流石に昨日とまでは言えないが、一昨日くらいのようには思える。
高校生の頃は幸せだった。その時にもきちんとそれを感じていた。でも僕の財布はいつも寂しく、月に一度外食に行けば無くなってしまうような小遣いだった。コンビニの一個百数十円のコロッケですら贅沢品だったほど貧乏だったし、とうとう3年間彼女はできなかった。異性の肌に触れることすらなかった。にもかかわらず、僕は幸せだった。毎日暗くなるまで心を許したチームメイトと部活をし、幼馴染と帰路を行く。朝になれば家の前に幼馴染が待っていてくれる。眠たかったり、言葉にできない苛つきで、ほとんど話さずただ自転車を走らせた日も随分あった。それでも僕はやはり、幸福だった。この日々が永遠に続けと、言葉にするよりも前に、心からそう願っていた。ずっとこうしていきたい。この先、もしこれよりも素晴らしい経験をする可能性があろうと、僕は今のままでいい。今のまま、ずっとずっとこの日々が繰り返されればいいのにと思っていた。
しかし時は冷酷に(まことに冷酷に)、歩み、止まることはなかった。そうして5年が経った。その当時聴いていた曲、見ていたアニメ、読んでいた小説、そんなものを再び鑑賞すると、心が涙でふやけてしまうような感覚に陥る。なけなしの小遣いで買った、3ヶ月に一度だけ売られる漫画の新刊の面白さと感動は、どうして今の全てに勝るのだろう。
高校を卒業して、夢にまで見た異性と触れ、親密な時間を過ごし、楽しい酩酊を知った。騒々しくも煌めいた街を知った。南国へ旅行した際、突然のスコールに雨宿りした軒下で、友人と肩を並べて吸った煙草。雪のコテージで飲んだビールの味。それらはとても良い思い出だ。それでもなおそうした思い出が、あの一人きりの夜道に敵わないのは何故だろう。
一緒に帰ろうと約束していたのに、先に帰ってしまった幼馴染。悶々としながらマフラーを巻き手袋を嵌め、冷たい制服の上着を着込み、暗い田舎道で聴いたバンプオブチキン。明日になったらぐちぐちと文句を言ってやろう。そう思えたのも今思えば幸せに他ならない。次の日になればまた、親しい人々に会えたのだ。
大人になった今も、思い出は積み重なる。あの時そうだったように、今もまた数年後には宝石のように見えるのだろうか。
分からない。ただ死んでいった日々を悼むだけである。

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