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砕け散る透明な皮膚

私の会社の今期の目標が額縁付きで壁に掛けられている。それを設置した人は少し頭をひねったに違いない。その「目標」は時計の隣に掛けてあり、時間を見るたびに嫌でもその文字列が目に飛び込むのだ。
私は朝8時45分から夕方5時45分の終業のベルが鳴るまで、何度もそれを見ることになる。先述の通りそれは時計の真横にあるのだから。

『仕事の生産性を高め 付加価値を創出する』

もう覚えてしまった。
忙しい上司はきっと私よりももっとそれを目にしているのだろう。ミーティングの度に、無駄を省いて効率を上げ、生産的な仕事をするようにと語る。
ああ文字の力、言葉の力とはこうも強いものなのか。上司は何かを生み出さねばという強迫観念に取り殺されてしまいそうだ。南無南無。
ところで私はというと、生産性という言葉も付加価値という言葉も大嫌いだ。ついでに言うと実用性という言葉にも反吐が出る。

そういえばこの間、つまらなすぎる飲み会でつい飲みすぎて嘔吐した時にこの言葉を思い出した。自宅の便器に沈む吐瀉物は、金を出して飲んだ酒であり、これから栄養になるはずの食物だった。しかし今では全て汚臭を放つごみで、ああ今私は生産性とは真逆の位置にいるのだなと痺れた頭で思うと、心に軽やかな夏の風が吹いた。この快感を生んでくれたのだから、この行為もきっと生産的であるに違いないのだろうか?
よく分からないが、まあいいや。ごみはごみで、飲み込まされたくだらない時間を全部吐き出してやったのだ。
私の思う「生産性」も「付加価値」もこういった質のものなので、そもそも会社の述べることとは相容れない。売り上げ命の我が社の老中たちはこれを無駄と切り捨て、大切なお得意様との時間に割くのだろう。たいへん素敵な時間に違いない。相手のグラスより下げた自らのグラスとの差は10数センチ。その差の分の厚みの札束が懐へ入ると信じ込んでいるのだから。

こういうのが生産性で付加価値の創出なの?ともう1人の私が真っ直ぐな瞳で訊いてきたとしても、私は、うーんどうなんだろうね、何をもってそうであるのかの基準をまず考えないといけないな、だとかなんとか言って十中八九はぐらかす。
もう1人の私は言う。ふうん、そうかあ、なんだか面倒だね。ところでさ、醤油の瓶割ってみようよ。楽しそうにそう提案するので、私はいいねと同意した。
私は調味料を入れた台所の引き出しから、3分の2ほど中身の入った醤油瓶を取り出した。これを今からコンクリートの床に落として割る。
そんなことをすれば、今後醤油で味付けできないではないかという意見が出るかもしれない。卵かけご飯を醤油無しで食べられるのか、と。しかしそんな心配ははなから無用だ。日本で生まれ日本に住む幸福な私は、いくら貧乏であっても新しい醤油くらい購入できる。
先進国にあって食べ物は消費のためにあるのであり、生命維持のためにあるのではないのだ。

ガラガラと網戸を開けベランダへ出ると、濃密な蝉の声とともに熱気に気圧されそうになる。私は普段素足にサンダルのところを安全のため靴下を履き、醤油瓶を肩の位置に持った。
そして叩きつけるのではなく、あくまで自由落下のつもりで、それを持つ手を離した。

液体の持つ重みはコンクリートの床に引き寄せられる。するりと空間を下へ流れ、1秒も立たぬうちに元に戻らぬものとなった。どしゃ、とガラスが砕け、醤油の弾け飛ぶ音が心地良い。
足元には黒い血を四方へ飛び散らせ、透明な皮膚の裂けた死骸があった。靴下は匂いの立つほどぐっしょりとその飛沫を浴びている。
なによりもまず暑いので靴下を脱ぎ、その場にある簡素な机に腰掛けた。
ポケットからマルボロを出す。数吸いして机に置かれた灰皿に灰を落とすまで、割れた醤油瓶と飛び散った醤油を眺めていた。

『仕事の生産性を高め 付加価値を創出する』

有毒な煙を吐き出し、やがてそれが霧散して消えた先に、我が社の崇高な理念の対極に位置する光景があった。
きっと私がこの7階のベランダから飛び出しても、ガラスが皮膚に、液体が黒から赤色に、それぞれ変わるだけなのだろうと思った。そうあればいいなと思う。私の気まぐれで死んだこの醤油瓶と当の私に、差があるとは思えない。

生産性。社会理念。ステークホルダーがどうのこうの......。耳心地の良い言葉で彩ったもろもろ。知るか。そんなに肥えた財布が好きなら、さっさと肩を抱いてホテルに行ってしまえよ。

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