見出し画像

暗い沼・冷たさ・谷底

表情を作るのが嫌になった。顔の皮の裏側にはどろどろとしたものが溜まっていて、少しでも顔に力を込めれば溢れてしまいそうだ。
繊細な出汁の味が分からなくなった。ただ一定時間を置いてやってくる激しい空腹を埋めるためにしか、食事に関心を抱かなくなった。塩辛くて、油の味があればあとはどうでもよかった。
身体はずっと疲れていて、脚はすぐに痺れる。走らなくてはいけない時は、下半身から意識を切り離して、機械的に早く脚を繰り出した。
毎朝自転車置き場から駅まで走っている。走らないと会社に間に合う最後の電車に乗り遅れる。起きてから家を出るまで約10分。朝食は食べず、機械的に髭を剃り、顔を洗い、寝癖を直し、歯を磨き、服を着る。
笑えなくったわけではないが、笑いたくないと思う時間が増えた。顔からも身体からも力を抜き、暗い部屋の中で何十時間も、静かな死体のように動かずにいられたら。一日中ずっとそう望むようになった。
激しい眠気と闘う日中が終わると、今度は寝たくなくなる。寝れば1秒後、再びつらいところへ行かなくてはいけなくなる。寝ることはとても大切だとは知っているが、僕には無でしかなかった。意識を無くしてまで回復して、過ごしたい明日などない。今後訪れるかもしれない(またあるいは訪れないかもしれない)幸福な未来を捨て去ってしまっても構わないから、僕は永遠に夜の明けない時間の中に閉じ籠りたかった。
作り笑いや、出したくもない声を生み出すため、喉と顔の筋肉を強張らせる度に、目の奥に熱いものがじわりとした。簡単に涙が溢れるようになった。僕はこんなに脆い人間ではなかったはずなのに。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

527,285件

#眠れない夜に

69,460件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?