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温室浴とゆらゆら

今日、昼過ぎまで寝ていると、友人のAにサウナへ誘われた。
彼はここ最近、サウナにハマっているらしい。支度を済ませ外に出ると、心地の良い晴れた日だった。昼の田園風景はのどかで気持ちが良く、外に引っ張り出してくれたAに感謝した。

車を北に走らせ、昼食にラーメンを食べたあと、隣の県のあるスーパー銭湯へ行った。身体を洗い、いくつかの風呂を楽しんだあと、サウナへ入った。

サウナは3段から成っており、座ったのは一番温度の高い最上段だった。そこで12分間、息絶え絶えになりながら熱風に耐えた。12分計がひと回りしたのを確認し、僕らは一目散にサウナを出て、水風呂へ入った。
もちろんその前に掛け水もした。
我々は大人であり、これはマナーである。

そうして水風呂でキンキンに冷やされたあと、露天風呂の外気浴スペースへ寝転がった。それまでは熱と冷水でパンクハザードのごとく苦しんでいたが、外気浴で素晴らしい体験をした。

藤で編まれた枕に頭を載せ、仰向けに寝転んでいると、身体の力が抜けていった。そんな中でぼんやりと上を眺めていると、脳内の雑音は溶けて無くなり、周囲の音も遠ざかっていった。

そして外気浴スペースの簾の屋根や、すぐそばに立つ木の幹が、上から下へと動き始めた。自分から見て縦方向に編まれた簾だったので、それは川の流れのように思えた。簾を構成する葦だか竹だかの細い棒が、自分の頭から足の方へと流れていくように見えるのである。

目眩のような景色の揺めきの中で、これはとても不思議な体験だった。身体はちっとも寒くなかった。
ただ体験したことのない心地良さの波に、ずっと揺られていた。

そんな風にしてぼんやりとしていたが、やがて景色の揺めきは落ち着き、身体の冷えも感じ始めた。起き上がると、隣で寝そべるAに声をかけた。僕は体験した一部始終を話し、これが整うってやつなのか、と興奮気味に語った。サウナの効能を今日初めて知ったのだった。
その後、もう一度サウナに入ったが、1度目ほどの感覚には陥らなかった。

そうして僕らはまた湯に浸かり、風呂場を後にした。脱衣所を出て、喫煙室で煙草を吸い、ビネガードリンクを飲んだ。
ゆったりとした気持ちで外へ出ると、あたりは薄暗くなっていた。さわさわと音を立てる田圃の少し先に、暗い影のような山が見えた。
涼しい風からは、田舎の夕暮れに漂う水の匂いがした。それは冷たい草の露を思わす匂いだった。

車に乗り込んでもまだ身体はぽかぽかとしていた。車の中で音楽を聴きながら談笑していると、心の底からの幸せを感じた。
こういった感覚は近頃あまり感じなくなった。だからなお幸せだった。

そこで僕は、『進撃の巨人』でのある場面を思い出す。それはアルミンに対しジークが、人の生きる意味について尋ねたシーンだった。

以下はアルミンの台詞だ。
*
あれは夕暮れ時、丘にある木に向かって、
三人で...かけっこした。
言い出しっぺのエレンがいきなりかけだして...。
ミカサはあえてエレンの後ろを走った...。
やっぱり僕はドベで...。

でも...その日は風が温くて、ただ走っているだけで気持ちよかった......。
枯葉がたくさん舞った。
その時... 僕はなぜか思った...。
僕はここで、三人でかけっこするために生まれてきたんじゃないかって...。

雨の日、家の中で本を読んでる時も、
リスが僕のあげた木の実を食べてる時も、
みんなで市場を歩いた時も...そう思った。
*
帰り道でコンビニに寄り、並んで再び煙草を吸った。見上げると西の夜空に星が光っていた。
この春の星は、何も言わずただ、2人を見下ろしていた。

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