東日本大震災から学んだこと

きっと来月の今頃には、震災関連の記事が溢れて、テレビのニュースで防災意識を持ちましょうとか、もしかしたら当時のことを振り返る映像が流れたりとかするかもな。
そんな冷めた気持ちを一昨日は持っていた。

3月11日。
忘れられない日だ。

2011年3月11日に生まれた人たちは、今年11歳。
毎年暗い雰囲気で誕生日を迎えていたのかなと思うと少し切ない気持ちになる。

たくさんの人が亡くなられたのは事実。
だけれども、たくさんの新しい命が生まれたのもまた事実。
周囲は盛大にお祝いしてほしい。


あまり記事に書くこともなかったし、自分で意識していなかっただけで多少のトラウマのようなものがあったようなのであまり口にもしなかったが、自分にも守らなければならない存在ができたので、フライングで書いておこうと思う。

トラウマがある人はぜひ読み飛ばして。

当時のことを詳細に書くには膨大な情報だし、きっとあの頃のことをしっかり書いている人がたくさんいるだろうから、私は当時助かったことを書き出しておこう。

我が家に水がストックされていた

高校1年の終わりごろ。
当時から精神的に不安定だった私のために、母が水素水を備蓄していた。
誰かから聞いた話で、水素水が体にいいとかなんとか。眉唾物だが、シングルマザーで頑張っていた母親は、それこそ藁にもすがる思いで購入し続けていたのだろう。
個人的には水素水よりもシリカ水の方が好みだが、それは置いておいて。

とにかく、2ℓペットボトル×6本の箱が、3〜4箱ほど自宅に常備されていたのだ。
これは本当にありがたかった。
避難先で支給される飲み物は微々たるもの。
水が手元にある、というだけで不安感は少なくなる。

大量のお菓子

バレンタインシーズンが終わると、板チョコが格安で販売される。
必ずしもそうではないが、店が大量に注文したそれを在庫として残さないように安売りしていたのだろうと思う。
冬休みが始まる直前だったこともあり、板チョコは数種類が1〜2箱戸棚においてあった。
甘味が食べられる、というのはあの極限状態ではご褒美だった。
他の人に見られないよう、車の中や移動中に食べたを覚えている。
「そんなに大量にあるなら分け与えろ」という声が聞こえそうだが、原発事故により避難生活を余儀なくされていたのだ。終わりが見えない状況で他人にまで優しくできるほど人間ができていなかった。それでも人に見せない優しさを持っていたのでそれで手打ちにしてほしい。

それから大量のわさビーフ。
ポテチのような形状で、ワサビが効いているお菓子。
隣町に新しくできた100円ショップで、開店セールをやっていたのを買い占めていた。
これも同じく、冬休み直前だったからだ。
我々兄弟は、自炊するという行動をしないので、下手すると1日1食も食べない、ということが発生しかねない。
食べないよりはお菓子を食べてくれた方がまだマシ、という親心だ。
当時はいくらなんでもそんなに食べきれないよ、と思っていたのだが、結果としては助かった。お菓子なんて配布されないもの。

教訓

水と甘味は備えてあれば心に余裕ができる。
ペットボトルだと日常ではごみを捨てるのが大変だが、それでも2リットルのものであれば捨てる回数は減るのでおすすめ。
ウォーターサーバーのものは避難しなければならない、となった時に使えないのでおすすめはできないが、20リットルのコック付きのもあるので参考にしていただければ。


お菓子も少しあると、心の余裕が生まれるのでぜひとも勧めたい。
あなたが好きなもので構わない。
ただし、それらを食べるときは人目を忍ぶことも忘れないで。

家庭ごとに必要なものは異なるので、家族と話し合って日頃から準備しておくことも重要だ。
そうすれば、不意の大災害前にスーパーの陳列棚がからになっていても慌てることはないのだから。


つむら。

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