見出し画像

時の流れを感じた年始

三が日が終わり、1月も4日目に突入。
生理中のせいか眠気が酷いですが、本日も無事ポチポチとしております。

今日から登園する息子は、まだ休み中の弟にお任せ。
長期休暇の時はちょくちょく丸投げお任せしているわけですが、毎回初回は泣いてお別れするそうな。今日はどうかな。

新年のあいさつの変化

毎年年末になるとバタバタと急いで準備をする手ごわい相手。
そう、年賀状
一度として日本郵便が推奨する日までに準備できたためしがありません。
毎年きっちり準備している人たちは凄いなあ、と尊敬の念を抱いております。

小学生の頃、お小遣いを使ってそれこそ100枚以上書いていた彼らは、年を重ねるごとに減っていき、今回は一枚も書きませんでした。

代わりに、Canvaを使ってデータを作成し、繋がっている友人のうち連絡をとりたい人たちのみにLINEで画像を送りつける、というスタイルになりました。
もちろんこの年賀状のやりとりしかしない人もいますが、今年一年も元気に過ごしていましたよ、という挨拶代わりですね。尊敬している昔の上司なんかは忙しいし話題も特にないので、既読がついて終わります。
彼はきっとそれでも、「ああ、こいつは今年も元気でやってたんだな」と思ってくれているはずです。たぶん

話題の変化

高校の友人のうち、今でも連絡を取り合っているのは3人。
少ないなあ、と我ながら思いますが、友人関係も量より質、狭く深くが性分なので仕方ない。

うち二人は昨年結婚し、それぞれ苗字が変わりました。
友人を苗字呼びしていた高校時代を思い返し、少し寂しくなりながらも、いつまででも昔の苗字で呼ぼうとひっそりと決意しております。

数少ない同級生の友人。
今までは仕事がどうだとか、恋人がどうだとか話していたのですが、今年から如実に変化したな、と思ったのが、自分の配偶者(つまり夫)と子供へも話題が降られたことです。

「ライフステージの変化」を否応なく感じさせられた出来事でした。

もちろん二人とも私が結婚していて子供がいることは知っています。
が、夫と子供に対して言葉をかけてくれたのは今年が初めてでした。

今までがないがしろにされていた! と憤慨して怒っているわけではなく、人はその立場になって実感することもある、ということの実証を目の当たりにした感覚です。

勉強して部活に精を出して、先生の悪口を部室でこそこそ話して、ほんの少しのおかしなことを馬鹿みたいに大騒ぎしていた学生時代が終了してしまっていることが、少し懐かしくなりました。
センチメンタルってこういうこと。

変わらない話題

一方まだ結婚していない友人。高校の同級生とは別に、もう一人同い年で仲良くしている子がいます。Twitterで知り合ったのがはじまりですが、かれこれ11年目の付き合いに突入しました。

二人とも私を主軸とした話題で、それがうれしくてこそばゆい感覚でした。

結婚して子供がいると、どうしても「奥さん」的な立ち位置になってしまうので、純粋に「私」が主軸にいるというのは珍しいし、うれしいもんですね。

もちろん母親としてしっかりしていきたい、とは思いますが、「私」を忘れちゃいけないなとも思うのです。

親である前に、一人の人間であること
それを忘れなければ、こどもにも同じように接していけるんじゃないかと勝手に思っています。
母親業に専念してしまったら、子供を付属品のように扱ってしまいそうで怖いもの。

時世柄

みんな共通する話題は、「今年は会えるといいね」

外出や遠出がはばかれる世の中。
もはや挨拶の常套句となってきているんじゃなかろうか。

変異種がまた流行し始めているので先のことはわかりませんが、ぜひとも都合をつけてみんなに会いに行きたいなと思っています。
高校は福島県いわき市の高校だったので、高校の友人3人はいわき市に住んでいるのです。

いわき市なら小旅行感覚で日帰りで行けるから、早めに予定を立てたいな。

大人になったんだという自覚

実家に住んでいると、実母と一緒の時間が多く、まだまだ子供だなあと思う瞬間が多いのですが、友人たちと連絡を取っていると、いやでも「大人になった」という自覚をさせられます。

アラサーが何を言っているんだ、と思われるかもしれませんが、万年引きこもり軍としては本当にあんまり自覚がないんですよ。
自分の年齢を意識することも、働いてないこともあり「社会人」という大人の枠組みの一つになっているという意識もない。

でも同級生は確実に「大人」の枠組みの中で生きている
同級生がそうなら、私も「大人」の枠組みに入れられるんだな。
そんな風に感じます。

「大人」ってもっとすごい人だと思っていた学生時代、特に小学生だった頃の自分に言いたい。
「大人」になっても私は私だし、そんなにすごいもんじゃないし、むしろ学生時代より迷走する。レールが敷かれていないことのメリットもデメリットもすべてを享受する生き物なんだ、と。

もがきながらあがきながら、今日も生きています。


つむら。

いただいたサポートはクリエイター活動費として当てさせていただきます。大きな金額になったらネタ提供元(息子)へ還元予定(おもちゃ)です。