自分は周りの男の子っぽくないな。と思っていた。


 幼稚園の頃からその兆候が垣間見えていたと今になると思います。具体的には、戦隊モノよりもプリキュアとか、アイカツみたいな作品に興味を持っていたり、外遊びより、中でのおままごとが好きだったり...
 しかし、人の顔色を窺う癖が幼稚園の頃にはすでに芽生えていたので、親の理想の男の子像を演じるために興味がないふりをしていたのを今でも覚えています。実際には親もそんなことを期待していたのかどうかは分からないんですけどね。
小学生低学年くらいまでは、女の子たちに混ざって遊んでいても、あまり違和感はなかったのですが、小学生高学年の思春期と言われる年齢になってくると、世間の男性像と自分を比べるようになって、自分の自我を押し殺すようになりました。そこからも、葛藤に悩まされる日々が続きました。具体的には高校くらいまでですかね。中学高校なんてのは、相互監視社会であって、集団による"いじり"という名の総括が行われる。少しでも"普通"から離れたら、総括に遭うのではないか...と臆病な性格なもので、怯えていました。非常に息苦しいものであったと記憶しています。1人が好きだと感じたのも、そこに1つの要因があるのかもしれませんね。
 急に今の話になります。大学生になって、1人暮らしを始めました。この土地には私を知っている人は誰もいません。親も友達も親戚も。つまり、素を出す機会としては非常に有効ということです。人に対して、この側面を出すことには、無意識の抵抗感があり、なかなか難しいですが、自分の家の中では、自分の好きなものに対して、忠実に従って生きるようにしています。かなり幸福度が高いです。

ちなみに、なんですけど、社会学部に入ったのはジェンダーについて勉強してみたかったのもあります。

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