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インナーチャイルドの地雷を踏む、という事故からのリカバリを考える

今回の内容は、これ↑ からの派生だよ!!
あと、誰のことも責めてないぞ!!
(言っとかないと対象外の人が自責してしまうとかあるんだ……超絶不本意。
 そんなつもりで書いてはいないのだ)

なお、ようわからん単語が出てきたりしたら、
自前で調べて欲しい。
「 」の中のワードで検索したら、大体出てくるレベルのものだ。



いやまあ。
なんかね。

インナーチャイルドについて触れてから、
「いる」という範囲を目にする機会が増えたのだけど、
思っている以上に、躓いてる人を見かけてしまう。
見てて「あーーーー!!」(それダメなヤツ!)
とか結構ある。

インナーチャイルドは見つけて終わりではないし、
ひたすらヨシヨシ辛かったねしてればいいものとは限らない。
それで回復してやっていける人も確かにいるけど、
根が深い人は相応に時間が必要になるものだ。
そもそも自分にいるなんて思ってない人も多いし。

インナーチャイルドだけでなく、
自分の過去の古傷とも同時に向き合うことになるのだから、
ひとりでふたり分、下手すればそれ以上の掘り下げをする作業なのである。
まずはそこを理解しておこう。

ひとりでしんどいならプロに頼ってほしい。
心の負担は多少軽くなるから。

一般論でうまくいかないとしても、自分を責めないでほしい。
すべての可能性を網羅できるほどの情報共有がされているか、
と言われれば、まだまだ不十分なのだ。
どうにも、疎かにされていた時間が長くて、発展が遅い分野なのでね(しんどい)

カウンセリングは高い、近くでやってない、
なんて壁を感じる場合があるかもしれないけど、
無料の相談窓口とかも探せばあるし、
オンラインで全部完結、なんてのも最近はできてたりする。
探すための労力を、自分にさいてあげてみてはくれないだろうか。


・積もり積もった情や怨念はインナーチャイルドも持っている

まず、インナーチャイルドを癒やすという行為は、

「放っておいただけ、向き合っていなかっただけ、時間がかかる」

それは今の今まで目もくれず放置されていたことに対する、
インナーチャイルドの怨念になっていることがあるからだ。
拗れに拗れたインナーチャイルドが出てきても、
なんらおかしくないので、それは覚悟しておいた方がいい。
本当に「視覚的にかわいそうな子供の姿」でいるとも限らない。
素直に辛さを訴えてくれるという保証も、実は、ない。

我慢していたでしょう。
そんなものはなかったことにしようとしていたでしょう。
あなた自身も。
同じことをインナーチャイルドがやらない、
やっていないとは言い切れないんだぞ。
インナーチャイルドもまた、あなたの一部なのだから。

「歪んだインナーアダルト」に自分のことを抑え続けられてきたから、
本人格である存在の声かけにも反応がネガティブ、
あるいは攻撃的になっている可能性がある。

「おまえも今まで自分を解放してくれなかった、見てもくれなかった」
「今更なんの言い訳をするつもりなんだ、改まる気もないくせに」

そんな恨みの声をぶつけられるかもしれない。
ひどいと、殺すくらいの勢いで攻撃される可能性もある。
感情のコントロールができずに荒れ狂っている、
暴走した状態になっているかもしれない。

でも、じゃあ「それらの可能性が怖いから」という理由で、
向き合うことから逃げるのか?

逃げてもいいけど、いい結果にはならないと思う。
(ペルソナシリーズのボスシャドウとかが参考にするにはいい例かもしれない)


・癒やしてるハズが傷口に塩塗ってるかもしれんよそれ

インナーチャイルドを癒やしているはずなのに、
インナーチャイルドが受け入れてくれない。
そう感じてしまうことがないだろうか。

その反応の理由は、
「かつて他者から自分がやられて傷になった対応を、今の自分がしているから」
かもしれないぞ。
いじめや虐待の連鎖とかそういうヤツ。
「そんな言葉上っ面だけじゃないか」みたいなのが、
インナーチャイルドから出てきてやしないか。

本当にされたかった対応ってなんだったのか。
慰め、たしなめ、割り切らせより、
必要だったはずの物がある、ということだ。

歪んだインナーアダルトの意見として出てきている、
上辺を取り繕うための言い訳を、お前もするのか。
そう判断されてしまう可能性が十分にありえる。
そうしたら、インナーチャイルドは、
癒やされるどころかますます傷付くことになる。
「癒そうとしたのに効果なんてなかった」という人は、
もしかしたら、その辺の思考の罠にハマっていたりするかもしれない。


・「あっ、これ自分やらかしてた気がするわ」と自覚できた人向け

インナーチャイルドとのコミュニケーションに失敗した
そのことに気が付いたら、自分の心を振り返ってみるタイミングかもしれない。
自分がされた、嫌だったこと。
その時の相手の、その件についての終わらせ方。
身に覚えがあったりしないだろうか。

自分を過剰に責める必要はない。
むしろ気が付けたことを「できたこと」として認めよう
小さい褒めからコツコツと、褒められ経験値を積んでいこう。

なお、インナーチャイルドにかかりっきりになって、
自分の人間としての生活がおざなりになってしまうなら、
それは本末転倒というものだ。
「今の自分」もちゃんと大事にしておこう、な。


・これはあくまで例の一部だけど

その時本当に受け入れて欲しかった物は何か、
それは本当に人それぞれバラバラだ。

例えば、辛くて悲しくて泣いていた時に、
「うるさい」
「黙ってろ」
「こっちの方が泣きたい」
「どうして静かにできないの」
「泣くのをやめないと追い出すぞ」
などなど、心無い言葉をかけられたのだとして。
そこへのフォローが
「あの人も本当は辛いんだよ、わかってあげて」
とかされたら、それで納得できるものだろうか。

自分自身を尊重されなかった、踏み躙られた子供が。
その人の辛さより自分の辛さを理解してくれという主張を、言葉を、
無理矢理しまいこんで、なかったことにしなければならなかった。
そうして押し込められたインナーチャイルドに本当に必要な言葉は、
他人の事情を理解しろ」ではないのだ。

辛かったろう、悲しかったね、あたりはいいのだが、
そこで本人の心ではない場所にフォーカスしてはいけないのだ。
それは、再度同じ傷を与えるのと同じことになってしまう。
そうするために向き合ったのではないはずだ。

どうして私の意見は聞いてもらえなかったのか。
そういう怒りや悲しみが、本当は心の底にあったのなら。
それをインナーチャイルドに十分に発させること。
その表現を外に出すことを、自分でゆるすこと。
他の誰でもない、自分がそれを受け入れる、ということが必要だ。
「もういいや、これ以上嫌な感情はなにも出てこない、スッキリした」
となれるくらいに、本人が納得するまで、全部吐き出してもらう必要がある。
泣き言であれ、怨嗟の呪言であれ、口汚い罵倒の羅列であれ、
なんであっても、出し切ってもらうのだ。
言い残しも思い残しもなくなるくらい。

恨み、憎しみ、悲しみ、その他にも色々。
そうした「マイナスのもの」と呼ばれる感情も、
なかったことにしてはいけないのだ。
そんな感情が「あってはいけない」「感じてはいけない」
そうした諸々は、本来あった感性を殺す、
「否定」という形の呪いの言葉になっている。

心に受けた傷というものは、放っておいたままならば、
自然に癒えてなくなる、なんてことはない。
そこにあったはずの「自分の感情」を、
無視して、置き去りにしてしまえば、それはセルフネグレクトだ。
「そんなものは無かった」ということにしてはいけない。

自分の中でまだ納得できていないなら、許せていないなら。
そこで「他人の理屈で」許したことに「してしまう」のは、
また、感情に蓋をするのと、同じこと。
納得できていない、許していない自分を「なかったことにする」ことだ。
それもまた、自己犠牲の形である。
そんなものがいいことであるわけがないからな

そうすることで、消えないわだかまりが燻り続け、
きっかけさえあれば心の奥で火が付き、
思考を焼き尽くす勢いで燃え上がるだろう。
それは衝動になり、自分が思ってもいない形で、
無関係の人を傷付ける刃になってしまう。

望んでいないだろう、そんなことは。だれも。



……色々あって、自分で「ないもの」にしていった結果が、
インナーチャイルドを生み出すことになるのだから。
向き合うことがそもそも辛い、苦しい、逃げたい、
になるのかもしれないけれど。 

それは、ひとりでやらなくていいのだ。
ひとりでやれるようになる必要もないことだ。
できたら、そのことを、忘れないでほしい。

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