別に「他人に一切期待をするな」というわけではない

期待そのものはあってもいいし、してもいい。
最近はなんか「最初から期待するな」という論説が強いが、
何にも期待しない人生って、それはそれでつまらないと思う。



・そもそも「期待」は個人の尺度

ネットの辞書で見てみた

つまり、期待するということは、
「個人で勝手に願ったり望んだりしているだけ」なのだ。

だから、何かについての「期待通りの結果」が得られなかったとしても、
それは、期待した人の見通しが甘かっただけ、で終わる話。
そこで他者や該当する何かしらを責める方がおかしい。
期待外れに憤慨しているその人が「予想を外した」だけ。
それこそ「期待すること」は「自己責任」の範疇、
なんじゃありませんかね。



・こんな「ほどほど」が推奨されない世の中じゃ

POISON
てか、なんで極端とまた別の極端しか出てこないのか。
期待「しすぎる」のがよくないだけ、なので、
それに対して「一切期待するな」を強いるのも、
いびつだと思うんだけどな。

期待はしてもいいけれど、期待が外れても自己責任。
そこで対象に怒りをぶつけるのではなく、
自分の見通しに修正をかけるところ、ではないのか?

「このくらいまではできなかった」がわかったのだから、
それに合わせて変更するものとかに目を向けて、
落とし所を探るところなのではないのか。

頭の中身を白と黒にしかできないのか? と感じてしまう。
やっぱりいびつだと思うんだけどな。


・言葉にするとだいぶ失礼

口に出すかどうかは人によってしまうところにはなるが、
「あなたには何の期待もしていません」
という前提で関係性を維持しようとされるの、
個人的には物凄く嫌なんですが。
「期待は一切しないけど関係だけは維持したいです」
とか言われたらいい気しませんが。
つまり「そういう理論」で人間関係作るの? ってなりますが。

箱はそんなの嫌だな。
何のために関係者でいるんだかわからないし、
うっすら恐ろしくさえ感じる。
何も望んでないのに抱え込もうとしているの? 何故?
ってなってくるんだけど……




極論言った方が耳目は集めやすかろうけどさ。
「ほどほど」や「ちょうどいい」が難しい、
という意見もわからなくもないけどさ。

「極端と、また別の極端の往復横跳び」って、
やってて気持ちがしんどくならないもんかな。
柔軟にやっていいと思うんだけどな。
見つけていこうよ、自分なりのしっくり来る基準。

あなたのひと押しが箱を少し長く生かします。たぶん。 活動が長続きすれば、話せるものも増えるかな。 まあ、お好きなように。強制はしませんよ。