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生命保険はなぜ必要なのか

こんにちは。佐倉葉月ですー。

「保険金殺人」という言葉を聞いたことはありますでしょうか。

保険金殺人とは、ある人に掛けられている生命保険金を得ることを目的として、その人を殺害することです。

2019年にも、千葉県の富津市で、凄惨な保険金殺人事件が発生しました。

養子縁組をしていた養父が、生命保険金を得る目的で、養子に保険金をかけた上保険金の給付先を自分に変更し、他の2人と共謀して養子を港で溺死させ殺害した事件です。犯行態様は悪質で、無期懲役を言い渡す以外考えられないと思います。

保険金殺人の事件を聞くと、「生命保険なんていらないんじゃないの?」と思うようになります。

そこで私は試しに、「生命保険 いらない」と検索してみました。するとあるサイトが、なぜ生命保険が必要なのかを、教えてくれました。

もちろん、保険には加入の義務はなく、「誰でも絶対に入らなくてはならない」というわけではありません。しかし、多くの方が「必要だ」と考えていらっしゃるからこそ、90%近くの世帯が生命保険に加入されているのです。

ではまず、生命保険の起源について説明していきましょう。

生命保険の始まりは、中世ヨーロッパだといわれています。その当時、商人たちは自分たちの権利を守るため、同業者ごとに「ギルド」という同業者組合を組織していました。このギルドで、組合員同士の冠婚葬祭費用などの相互扶助を目的として生命保険の原型がつくられたといいます。

今日のような近代的な保険制度の元祖となったのは17世紀のイギリスで、牧師たちの間で生まれた制度でした。これは自分たちに万一のことがあった際に遺族に生活資金を支払うために、保険料を出し合うというものでした。

しかし、長期にわたって安定した保険金を支払うためには、統計や数学(保険数理学)に基づき、「一定の保険金を支払うために、どれくらいの保険料が適正か?」を計算する必要があります。この保険数理学に大きく貢献したのは、「ハレー彗星」にその名を残す数学者、エドモンド・ハレーでした。

ハレーがつくった生命表(各年齢の死亡率や平均余命などを関数化した表)の概念は、今日も生命保険の設計などに用いられている生命表に受け継がれています。

1762年には、イギリスで世界初の生命保険会社が設立されました。後に福沢諭吉が欧米の近代的保険制度を日本に紹介し、日本でも1881年に国内初の生命保険会社が設立されています。

生命保険の原則は、「大勢の保険契約者が保険料を負担し、それを財源として、誰かが死亡したときや病気になったときに、保険金や給付金を受け取ることができる」というもので、相互扶助すなわち助け合いという考え方に基づいています。

一般論として、生命保険とは「世帯・家族の大黒柱に万一のことがあった場合、残された家族がこれから生活していくための原資として保険金を受け取り、生活に困窮することがないように」備えるためのものです。

葬儀費用も必要になってくるでしょうし、子どもが小さい場合にはひとり立ちできるまでの生活費に加えて学資も必要でしょう。そのためには、かなりまとまった額のお金が必要になります。

また生命保険は、被保険者が死亡した際だけでなく、高度障害によって働けなくなった際にも保険金が支払われます。これによって医療費や介護費をまかなうという考え方もあります。

もちろん、それをまかなえるだけの十分な貯蓄や資産をお持ちの方であれば、死亡保険に加入する必要はないかもしれません。また、いざというときは親戚や近しい人あるいは勤務先などから十分な支援が受けられるというような場合にも、死亡保険は不要かもしれません。

しかし、10年・20年という長い歳月のうちには、いろいろな状況の変化も考えられます。死亡のリスクは誰にでもあるものですから、万が一の場合への備えは可能な限り多様な形に分散しておくべきでしょう。

そのなかのひとつの方法として、生命保険はかなり確実性の高い備えではないかと思われます。

ただ、生命保険が悪用された事件もあります。

代表的なものが、「長崎・佐賀連続保険金殺人事件」です。

夫や子供を持つ女性の山口礼子さんが、外尾計夫という名のキチガイ男に誘導されて、夫と次男を殺してしまった上に、保険金を取得した事件です。次男以外の子供にも高額の保険金が掛かっていました。

最初の事件は1992年9月11日に佐賀県藤津群太良町に
ある海岸で起こりました。

事件の被害者である夫の山口克彦さん(当時36歳)
は睡眠薬で眠らされ海中に突き落とされます。

強い衝撃を受けたことで目を覚ました克彦さんは
なんとか助かろうと必死で陸地に上がろうとしました。

ところが向かった方向には事件の主犯者である外尾計夫が待ち構えており、抵抗を続ける克彦さんを無理やり海中に押さえつけて殺害します。

その後、約1億円もの保険金を騙し取り二人の借金返済と
自らのギャンブルに注ぎ込んでいます。

外尾計夫が保険金目当てで犯行を実行したのに対して
、共犯者であり被害者の妻だった山口礼子さんは事情が異なります。

夫の克彦さんは元々お世辞にも家庭を大切にするような
人ではなく、浮気をすることも度々あったようです。

克彦さんが浮気をしていたホステスは、ある喫茶店の
マスターをしている夫がいました。

W不倫関係にあることを知ったマスターは妻である
山口礼子さんの全裸写真を撮影、それを盾に彼女を脅し
愛人になることを強要します。

ようするに、妻を山口克彦に寝取られたマスターが
夫の山口克彦に、やり返すように、山口克彦の妻で
あった礼子さんを狙って女として口説いて利用したようです。

このマスターとの関係がきっかけとなって、山口礼子さんは、この喫茶店で働かされている時に更なる転落の原因となる外尾計夫と出会ってしまいます。

当時から既に、ギャンブル依存性で浪費家の彼はとにかくお金が欲しくて仕方がなかったのです。

なのでマスターに裸体の画像を取られて強制的な愛人関係にあった関係に悩む山口礼子さんは、不幸にも彼にとって良いカモになってしまいました。

自らの女遊びやギャンブルへの反省や思いやりがない夫に愛想を尽かした山口礼子さんは遂に離婚話を持ち掛けます。

ところが子供の親権を主張されたことで礼子は危機感を
持つようになります。

そして子供を守る為に外尾計夫と共謀し山口克彦さんを
殺害し多額の保険金を受け取り財産を受け継ごうと考えてしまいます。

この計画は当然全てが外尾計夫の考えであり、当時保険外交員をしていた山口礼子さんが夫である克彦さんに賭けた、その保険金は1億円とも言われる高額な生命保険でした。

そして、この多額の保険金の大半を外尾計夫が、何の
躊躇もなく大半を競艇などのギャンブルにつぎ込んだと
言われています。

そして最初の事件から6年後、懲りないゴミクズ外尾は、山口礼子さんの次男である吉則さんの殺害とそれに伴う保険金取得を計画します。

吉則さんは、1998年10月27日に長崎県小長井町にある海岸で殺害されてしまいます。

僅か16歳だった吉則君の最後の言葉は、『この野郎』だったそうです。

山口礼子さんに睡眠薬で眠らさせられた上で海に放り投げられ、水死してしまったのです。

ゴミクズ外尾は、更に吉則さんにも3500万円という高額な保険金を掛けており騙し取ろうとしました。

一方の山口礼子さんは当然ながら憎き夫とは違いお腹を痛めて産んだ自分の息子の殺害を阻止しようと必死に外尾を説得しますが、外尾計夫は全く意に介さず吉則さんの殺害計画の実行を何度も誘います。

もっと早くゴミクズ外尾と決別していれば、吉則君の命を守れた可能性は高いです。

それが出来なかったのは、既に夫であった克彦さん殺害事件に協力した弱みを握られていたからです。

最終的にあまりにしつこい誘いを受けた山口礼子さんはゴミクズのもくろみを受け入れてしまいましたが、ゴミクズが計画を実行しようとする度に、礼子さんは陰で妨害していたそうです。

私は、山口礼子さんの生い立ちについても調べてみました。

昭和33年に佐賀県塩田町という場所で生まれた山口礼子さんには、警察官の父と鍼灸師の母がいました。

父親は警察官になるほどですから当初は真面目な人物
だったのではないかと思います。

山口礼子さんは姉妹ばかりの末っ子だったと言われ父親も警察官でありながら、その父親像は決して良い父親とは言えないDV癖のある人間だったと言われています。

酒を飲んでは妻や娘の山口礼子さんらにも暴力をふるい
母親からの愛情もなかったそうです。

ただ単に酒乱だったのか、何故父親が荒れるように
なったのか今のところ分かりませんが、暴力を振るわれた妻は日に日にやつれ娘のことを気にかける余裕がなくなりました。

つまり山口礼子さんは、父親からだけでなく母親からの愛情もほとんど得られなかったわけです。

一方、主犯の外尾計夫は、事件以前にもマジでキチガイだったみたいです。

山口礼子さん以前にもDVで女性を支配していて、しかも元々ギャンブル依存性で真面目に働いていなかったのです。

これまで4人の女性と愛人関係にありましたが、山口礼子さん含む女性らに愛情は一切ありませんでした。つまり、山口礼子さんは彼の手玉にされていたということです。

ギャンブルで使うお金をたかる為には暴力も厭わなかったそうです。

あまりにもギャンブルにはまり過ぎた外尾は、
彼女達から奪った資金では足りなくなります。

実際、数百万もの借金を平気でしていたような男です。

必死な思いで働いて得るお金の有り難みを忘れ、他人から奪ったお金を当然のように使う始末。

そんなゴミクズ外尾は山口家に入り浸るようになってからは、ことあるごとに暴力も振るっていたそうです。

礼子さんを殴る蹴るでは飽き足らず、幼い子どもたちにも暴力を振るうことがあったようです。

そのうち、もともと体格も良く、外尾に反抗するために体力をつけた長男には手を出せなくなったため、おとなしい次男・吉則さんが標的となってしまいました。

父の克彦さんが死亡したときにまだ小学生だった吉則さんは、直後から家に出入りするようになったゴミクズ外尾に殴る蹴るの暴力を振るわれ、顔面を骨折して病院へ運ばれたこともあったそうです。

ゴミクズの暴力は理不尽な理由で行われていました。

吉則さんの兄によれば、寝相が悪い、風呂の入り方が気に入らないなど、およそしつけや吉則さんに非があるようなことではないことにまで難癖をつけ、暴力を振るう理由にしていました。

吉則さんは夜遅く、家の外で本を読んだり、どんな雨の日でも犬の散歩に出かけるなど、家にいない時間をあえて作っているかのように見えたと近所の人は言います。

ゴミクズが暴力を振るったのは、そのほとんどがギャンブルで負けた腹いせでした。

そして第2の事件の後、礼子さんの長女は、「次は私が殺される」と近所の人に話していたそうです。

警察による長い捜査の末、ついに山口礼子さんとキチガイ男は逮捕されます。

裁判では、一審の長崎地裁では検察は山口礼子さんとキチガイ男の両方に死刑を求刑しました。

一審で山口礼子さんは、「2件とも外尾被告が主導した」と従属的な立場を主張しました。しかし長崎地裁山本恵三裁判長は、夫殺害については「発案・主導した山口被告の方が責任が重い」、次男殺害については「両名が一体となって実行したもので、刑に軽重の差はつけられない」との判断を示しました。
「外尾被告の暴力から逃れるためだった」との山口礼子さんの釈明については「身勝手極まりなく、子供を犠牲にして殺害するなど言語道断。親子のきずなを断ち切るような犯行は許されない」と退けました。
また、山口礼子さんの側が「残された被告の2人の子供も極刑を望んでいない」と情状酌量を求めていたことについては「山口被告が死刑になれば2人の子供は実父と兄弟を殺害されたうえ、実母までなくすことになるが、酌量の評価には一定の限界がある」と述べました。
しかし、山本裁判長は山口被告の長男や長女らによる母親の助命嘆願などを配慮し、判決宣告後、死刑をやむなく選択したとして、控訴するよう呼びかけていました。これがきっかけで山口礼子さんは量刑不当を理由に控訴した。

そして控訴審。キチガイ男も死刑判決を不服として控訴しました。まああいつのことだから絶対控訴すると思ったでしょう。

山口礼子さんの長男と長女は、山口礼子さんの事情を理解していたこともあって、礼子さんの助命嘆願書を提出します。

控訴審で、山口礼子さんは、「夫と仲直りして殺意は喪失していたが、ギャンブルなどの借金返済に迫られていた外尾被告が一方的に計画を進めた。二男殺害は、思いとどまらせようと何度も抵抗した」と、強引なキチガイ男に服従せざるを得なかったと主張しました。
キチガイ男は「山口被告に同情し、救うために協力した。死刑は重すぎる」としていました。
控訴審判決は山口礼子さんについて、夫殺害では夫が家庭を顧みなかった点などを指摘し「犯行に至った経緯には一片の同情があってもよい」としました。一審は「山口被告主導」としていたが、虎井寧夫裁判長は「両被告の果たした役割に大きな違いはない」と述べました。
さらに、二男殺害についても、キチガイ男から繰り返し誘われたことや、キチガイ男が二男を殺そうとするのを度々妨害した点を挙げ「人間性と更生可能性を考える上で、十分しんしゃくするに値する」と判断します。

山口礼子さんの長男と長女が死刑回避を求める嘆願を出していることも考慮に入れ、「責任は重大だが、それぞれに酌むべき点があり、原判決の量刑は重過ぎる」と結論付けました。

キチガイ男については、夫殺害に積極的に加担したうえ借金返済後の保険金のほとんどを競輪につぎ込むなどしており、「外尾被告の異常な行状がなければ山口被告が重大犯行を繰り返す必要はなかった。極刑をもって臨むほかない」としました。

そして検察側は上告をせず、山口礼子さんの無期懲役が確定しました。私は山口礼子さんの情状を鑑みるとこの判決に大いに納得していますが、国民の間では納得がいかないという声もあったらしいです。

そしてキチガイ男は上告しましたが、最高裁判所はこれを棄却し、キチガイ男の死刑判決が確定しました。

私は山口礼子さんには、20年服役したら仮釈放を認めて良いと考えています。死刑存廃問題に感じて廃止派寄りの中立である私は、キチガイ男は死刑を廃止して罪一等減じても良いと考えますが、キチガイ男には刑務所の外を歩く権利を金輪際与えてはいけないと思います。

他人が勝手に奪っていい命など一つもないことを伝えます。外尾計夫さん、あなたはそんなこともわからないで生きてきたのですか。ご両親から教えてもらえなかったのですか。周りの人からも教えてもらえなかったのでしょうか。なんて不幸な環境にいたのでしょう。私はあなたを絶対に許しません。

山口礼子さんに対しては、刑務所に面会に行ってお金を差し入れてあげたいと考えています。私は山口礼子さんに深く同情しております。山口礼子さんには生きながら克彦さんと吉則さんの冥福を祈りつつ、贖罪にあたってほしいと、私は強く思いました。

克彦さんと吉則さんのご冥福をお祈りします。

また、読者の皆様にもお願いがございます。主犯の外尾計夫を絶対に許さないでください。また、克彦さんと吉則さんのご冥福をお祈りしましょう。

この記事で、保険金は何のためにあるのかを知っていただけたらと思っています。また、この記事を犯罪の抑止に役立てていただけたらと思います。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。






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