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【考察】時計じかけの花のパヴァーヌ編のメッセージ

Vol.2 時計じかけの花のパヴァーヌ編

大雑把に言うと
ゲーム開発部 vs リオ
みたいな構図で話が進んでいくが、特にリオについて話したい。


リオは徹底して合理的な判断をしていく。
リオ自身も述べていた「トロッコ問題」。
リオは少数を切り捨ててでも多数を救うべきだとしてアリスを処分するという行動をとった。

これは明確に「功利主義」的な考え方。
最大多数の最大幸福とかいうあれ。

結論としてリオの行動は裏目に出てしまうわけで、つまりは功利主義的な考え方には不備があったという話になってくる。

功利主義の問題点、疑問として
・前提として幸福を計測可能なものとしているが本当にそう?
・判断を下すために必要な情報は十分かつ正しい?

みたいなものがある。

トロッコの先にいる5人を轢き殺すか1人を轢き殺すかという話で5:1だから1人の方を轢き殺そうというのは理解できなくはない。

でも、その5人がこれから100人を殺す殺人鬼かもしれないしその1人がこれから1000人救うような医者かもしれない。

こうなると、多くの人を救うのであれば1人の医者を助けるべきな気がするがトロッコの先にいる人の情報をこのようにあらかじめ知ることはできない。

トロッコ問題はあくまで思考実験だが、20世紀に実際に起こったフォード・ピント事件という例もある。

簡単な流れは
フォード社にて販売予定の自動車に車体が炎上しやすいという致命的な欠陥が見つかった。
しかし、自動車を設計改修してコストアップするよりも欠陥で焼死・怪我した人に慰謝料を払った方が損が少ないという理由からそのまま販売した。
結果として炎上し(社会的にも)企業としての信頼は失墜。多額の損害賠償を支払うことになってしまった。
というお話だ。

人の命の価値を計測することができるという前提で話を進めるのは危ういし倫理的にも非難される。


ストーリーにおいてもリオの想定していなかった事態に陥り、むしろキヴォトスを危険に晒してしまう。

先生はリオに対し、「レバーを引く人が見落としたものがあるんじゃないのかな」「トロッコ問題、その質問自体が間違っている」と言う。

ストーリーも功利主義とそれに対する反論、という構造になっているわけだ。


つまり僕は
Vol.2 時計じかけの花のパヴァーヌ編では功利主義に対する反論が行われている
と考えている。


わけではない!!!!!!


というのも、先生はリオの功利主義的な選択、犠牲の少ない方を選ぶというやり方やその精神自体を否定しているわけではないと思う。

実際、「犠牲の少ない方を選ぼうとした」「それがリオの優しさなんだね」と話している。

ただ単に功利主義が悪いと言っているのではなく、功利主義の問題点について
「「「「「対話」」」」」
しようとしているのだ。

リオが失敗した理由は確かに功利主義的考え方の欠陥もある。

しかし最大の問題はアリスたちゲーム開発部やC&C、先生との対話を放棄し、ひとりで決断し行動してしまったことだ。
合理的に行動するリオが自らの限定合理性を認め、対話でその穴を埋めようとするのが大切と言う話。

エリートパニックという言葉がある。
災害時などに権力を持つ人が「一般人に情報を与えるとパニックを起こすのではないか」と考え、エリート自身がパニックを起こしてしまう
というものだ。

リオも「あなたには言ってもわからないでしょうけど」みたいなことを言っていたがこのような対話を放棄する姿勢が一番の問題だったと言える。

僕たちが花のパヴァーヌ編から得るべき学びは対話の姿勢ではないか。

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