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無償の愛は生活に溢れている

無償の愛って見返りを求めない愛だとするならば、わりと生活感溢れたものだと思う。
誰かの為にご飯を作る、迎えに行く、看病する、、、、あまり思い浮かばないけど、生活の中でやるべき事だけやってる人って余りいないと思う。誰もが自分がやらなくていいことを誰かの為にやってると思う。それは既に無償の愛。

私は子育てと家事をやってきた。これも生活感たっぷりの無償の愛。そんな大それた事をしてるつもりもないから、やっぱり無償の愛ってすごく身近なもので誰でも持ってるものだと思う。
無償の愛をたくさん持ってたらいいとは思うけれど、自己犠牲だと感じてしまうならしなくていいとも思う。誰かに頼る、任せるのもいい。
無償の愛は自己犠牲にならない分だけで充分。子供がかわいく思えないときも麦茶を家族みんなの為に沸かせたら、もう愛のある人だし。

私の母は父が入院しているとき、毎日のように電車に乗ってお見舞いに行っていた。退院してからも手作りのご飯を作って、甲斐甲斐しくお世話をしていた。不安と心配にのまれていた。
うちの夫も、ゴロゴロしたり少し咳をしただけの私を心配する。
もしも逆の立ち話だったらたぶん私にはできない。私は自分の心配をあまりしないので、相手の心配もしなくなってしまう。「なるようになるよ」と思ってしまう。聞く人によっては冷たい言葉だ。
もちろん夫が病人側になったら無償の愛で看病できる人でありたいと思う。飄々と受け入れて。


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