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泣けない私

両親についてのことを書いてから、しばらくいろんな過去に起きたことを思い出していた。記憶力がないからか、ほとんど覚えていないけれど何とか掘り起こしてみた。そして思い当たったのは、私は他人が泣くようなときに泣かないということだった。

例えば結婚式、夫が涙をこらえていた横で私はただ楽しかったのでにこにこしていた。今でも夫にはときどき「平然としてたよな。」とイヤミを言われる。結婚式の実感がなかったというより事の重大さを認識できていなかった。みんなに迷惑をかけて許されてきたことへの感謝がなかった。

さかのぼって思い出すのは実家を出るとき。母が駅で泣いていたけれど私は目が潤むこともなかった。早く出たかったというのもあるけれど、やはり自分のことで精一杯だった。学費や生活費は全て出してもらっていたのに、ここまで育ててもらったのに。ホームシックになることもなくお正月だけ実家に帰った。ここまで書くと自分が人でなしのようで落ち込んでしまうが事実だ。

小中高の卒業式でも私は泣いていなかった。逆に私が泣くのはいつ、どんなときなのか考えてみた。姉が家を出て一人部屋をもらってからは、人嫌いもますます酷くなり部屋でよくひとりで泣いていた。両親や友達の前で泣くことはなかった。部屋でひとりになるまでこらえてこらえて布団に突っ伏して声を殺して泣いた。理由はたいてい自分の為だ。

結婚して子供ができてからは子供と一緒によく泣いた。子供のためではなく自分の為に。悲しくて辛くて悔しくてよく泣いた。夫の前ではよっぽどのことがない限り泣かなかった。けれど夫は何か察したのか、ときどき深夜のファミレスへ甘いものを食べに連れ出してくれた。

子供が幼稚園に通い始めて発表会や運動会などに出ているのを見たときも泣かなかった。周りを見ると泣いている人がちらほらいた。夫も感動して泣けてくると言っていた。その気持ちは理解することはできた。

今度は誰かのために泣いたのはいつだったか思い返してみた。鮮明に覚えているのは高校のときだ。彼女は美人で明るくて誰からも好かれている子で、ひねくれていた私の友達になってくれた子だった。私は嫉妬しながらも彼女が好きだったし仲良くしてくれて嬉しかった。大学受験を控えた時期に彼女のお父さんが亡くなった。しばらくぶりに彼女が学校に来たとき、廊下にいた私を見つけて突然走って抱きついてきた。彼女はいつだって笑っていたから、久しぶり〜!といった感じのハグだろうと思ったら泣いていた。そのとき私は彼女と一緒に泣いた。それが私にとって誰かのために泣いた初めての時だった。

次に覚えているのは私が入院しているとき、幼稚園で年少の次男が教室の隅でずっと泣いていると聞いた時だ。特別に年長の長男のクラスへ入れてもらったりもしたけれど行きたがらなくなり幼稚園を休ませることにした。あのときは自分の病気のことなどはどうでもよく、ただ次男がかわいそうで申し訳なくて泣いた。思い出せるのはこの程度だ。いや、実際この二つしかないのかもしれない。我ながら恐ろしい。

今度は泣くツボ、ポイントを考えてみた。泣ける映画をいくつかあげて、その共通点を探してみた。食べながら泣くシーンは何故かいつも泣ける。我慢の限界を超えた涙やホッとした時の涙。あと、「もう大丈夫。安全だよ。」という時の安堵感は泣ける。わかりやすいのはトトロだ。サツキちゃんが井戸でお母さんが死んじゃうかも、と泣くシーン。そしてトトロがメイちゃんを探すためにネコバスを呼ぶシーン。

泣くという行為には人それぞれのツボがあると思うし、育ってきた環境や性格もあると思う。でも誰かのために泣けるのはなんか良いなあと思う。私にはなかなか難しいのかもしれないけれど。ちなみに誰もが泣くという出産の時も私は泣かなかった。初産で3800グラムの長男を14時間かけて産んだため、そのあとすぐに爆睡したらしい。泣くためにはチャンスも必要なのかも。

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