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わたしのヤクルト

我が家では毎日ヤクルトを配達してもらっていた。ふたりの姉とわたしの分、3本。幼いわたしにはそのヤクルトは日々の楽しみの一つだった。

ある日、冷蔵庫を開けたらヤクルトが3本入っていた。まだ学校から戻ってきていない姉の分も含めて3本。

そのとき猛烈にヤクルトを独り占めしたくなった。台所には誰もいない。母は離れた部屋にいる。今飲んでしまえば、誰もわたしの仕業だとはわからない。だから飲んだ、3本全部。空の容器はゴミ箱に放り捨てた。

誰もわたしがヤクルトを飲んでいるところを見ていない。そのことがひどく興奮させた。誰もわたしの仕業だとは言えない、ってことが。

姉たちが学校から戻ってきた。ほどなくして、ヤクルトが空になってゴミ箱に捨ててあることを騒ぎ始めた。
「ふみが飲んだんやろ」
「知らん。1本は飲んだけど他のは知らん」

今考えてみれば状況証拠は揃っていたのに、わたしはしらばっくれた。
「誰も見ていないのだ。だから誰もわたしがやったとは言えない」
そう思うと強い快感を覚えた。強い、強い快感を。

味をしめたわたしは、次の日もその次の日も3本のヤクルトを飲み干した。ヤクルトを飲みたいというより、「誰もわたしを責められない」という快感に酔いしれたのだ。

次の日、あっけなく見つかってしまった。だんだんと犯行が大胆になり、姉たちが隣の部屋にいるときにヤクルトを飲もうとしてしまったのだ。
「ほら、やっぱりふみが飲んでた!!」
姉に見つかったときの恥ずかしさといったら! 恥ずかしくて、恥ずかしくて……。

母はあまり怒らなかった。別室にわたしだけ呼んで、「もうしないようにね」とだけ言われた。そのことはわたしをホッとさせたし、なんだか申し訳なくもあった。


今でも、ふと思い出すのだ、あの強い快感を。

普通の常識人みたいな顔して生きてるけど、一皮むけばわたしにはあの欲望が横たわっているんだ。否定したって仕方ない。意思の力で追い出すことはできないのだから。

死ぬまであの仄暗く、強烈な快感をわたしは抱き続けるのだ。抱くだけで発動しなければいい。でもわからない。いつか発動してしまうかもしれない。それはそれで、やっぱり仕方ないと思いながらわたしは生きている。


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