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たしかに、おまえはブスばってん

母が言うには、わたしは5〜6歳のころから日記を書いていたそうだ。自分で記憶があるのは小学校に入ってから。1年生のころから宿題でもないのに、毎日、絵日記を書いて、担任の先生に提出していた。

たいていの先生は、自主的に日記を提出するわたしをほめてくれたし、毎日、感想を書き添えて返してくれた。その感想を読むのが楽しみで、それが日記を書くモチベーションになっていたと思う。というのも、小学3〜4年生のころ、提出してもただ◯をつけるだけで返却する先生が担任になり、日記を書くのが楽しくなくなったから。たぶん、その担任はわたしの日記を読んでもいなかったと思う。まあ、めんどうだったんだろう。モチベーションが下がっているわたしを見て、母は担任に「娘の日記に感想を書いてほしい」とお願いしたようだ。それから一言だけ感想が書かれるようになった。「よかったですね」とか。結局、モチベーションは上がらなかったけど、それでも日記は続けた。5年生で担任が変わり、またモチベーションは復活した。

◇◇◇◇◇

6年生になって、わたしの日記に変化が出た。まず、絵日記ではなくなり、大学ノートに文字だけの日記を書くようになった。また、それまでは友だちと遊んだことなどを記録的に書いていたのだが、日々の出来事から自分が考えたことを書くようになった。その変化は、わたしが思春期の入り口に立った、ということも大きかったが、6年生のときの担任の小郷先生の影響も大きかったと思う。

小郷先生は、当時30台半ばの男性の先生だった。サッカー部の顧問をしていて、スポーツマンだったし、今、考えてみればイケメンでおしゃれでもあった。わたしたちをあまり子供扱いせず、大人の理論で話をしてくる先生だった。たとえば、わたしが林真理子の小説を読んだ話をしたとき。わたしは児童文学ではない大人向けの小説を読んだ、ということをほめてほしくて話をしたのだ。だけど、小郷先生は苦々しい顔をしながら「文章はうまいけど、俺はあんなふうに、男は顔で女を選ぶ、という理論を言うやつは好かん」と言い放った。そして、たしかに顔で女を選ぶような男はいるが、そういう男はロクな男じゃない、という話をされた。期待していたような返答がなくて拍子抜けしたけれど、「男の人はそういうふうに見られることを嫌がるんだな」と、子供ながらに理解したのを覚えている。

小郷先生は人気者だった。休み時間には先生の周りに皆で集まり、仕事をしている先生に向かって我れ先にと話しかけた。

「うるさい、おまえら、邪魔だ、邪魔だ」

そう言われるのも楽しくて、わたしたちはいつまでも先生の周りにたむろっていた。

そんな先生だから、わたしの日記への感想も、これまでの先生とは違った。自分が何を書いたか覚えていないのだけど、「おまえは自己防衛心が強いのがネックだ。もっと大胆にいろんなことに挑戦しろ」みたいなことを書かれて、「自己防衛心」を辞書で調べたこともある。とにかく、小郷先生からの感想は刺激的だったのだ。

そのころ、わたしはそれまでに感じなかった悩みを抱くようになっていた。自分がかわいくない、という悩み。とくに一重の目が嫌だった。どうして自分は二重に生まれなかったんだろう?と。だから、ある日、その悩みを日記に書いた。「自分は一重でかわいくない。よしこやちずこみたいに、二重に生まれたかった。二重になれたらいいのに」と。そして、次の日に小郷先生に日記を提出し、夕方、返却された日記をドキドキしながら開いた。

「たしかに、おまえはブスばってん」


タシカニ、オマエハブスバッテン。おお、なんという破壊力。今でも覚えている、横っ面を殴られたような衝撃を! だって、わたしが期待していたのは「そんなことないぞ、おまえだってかわいいぞ」という言葉だったのに。「ああ、やっぱりわたしブスなんだ。。。」と、ひどく傷ついた。そう、たしかに傷ついたのだ。だけど−−。

「たしかに、おまえはブスばってん、おまえが勝負していくところはそんなところじゃない。自分でもわかってるだろ。そんなことで悩むのは時間のムダだ」


続きを読んで、「そうだな」とわたしは素直に思った。ひどく傷ついたのは事実だったけれど、同時に納得もしていた。わたしは容姿では勝負できないけれど、ほかにもっと勝負できるものを持っている。そう思えたのだ。それから、まったく自分の容姿が気にならなくなった。中学生や高校生の思春期ど真ん中の時代も、まったく。

◇◇◇◇◇

今、考えてみれば、若干12歳のいたいけな子供に「たしかに、おまえはブスばってん」は、教師としてどうなのよ?と思う(笑)。だけど、こうも思うのだ。小郷先生は、わたしがその言葉を受け止められるぐらいには大人になっていることをわかっていたのだろう、と。ときに辛辣な言葉をいう人ではあったが、決して迂闊に暴言をはくような人ではなかったから。教師だからといって皆が聖人君子ではないし、人間同士だから子供との相性もあることは、大人になるに連れて理解した。それを理解すればするほど、人生のなかで小郷先生に出会えたことが、おおいなる幸福だったなと思っている。このあたりは思うことがあるので、また今度、noteに続きとして書く予定。

わたしたちの小学校卒業と同時に、小郷先生も別の学校に異動になった。なので、小学校を卒業して以来、わたしは小郷先生に会っていない。ただ、中学を卒業するころに、一度だけ小郷先生に手紙を書いたことがある。高校合格の報告をしたのだ。(わたしにとっては)難関校に受かったことを、小郷先生にほめて欲しくて。

返事は、、来なかった(笑)。

住所は絶対間違えていない、小郷先生が手紙を読んだのは確実だ。でも、返事は来なかった。がっかりしたけど、まあ仕方ない。だって、そういうとこも、たぶん、わたしが小郷先生を好きな理由だから。



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