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続・不思議な夢の話

子供の頃から、布団の中が一番安心する場所だった。
嫌なことがあっても、くるまって目を閉じ、現実逃避できるから。
そして、毎日、夢を見るから。
毎日見るのは当たり前だと思ってたけど、そうでもないらしかった。
たまにしか見ない人、見たような気がするけど覚えていない人、
が周りには多いことがわかった。

辛かった時期は、落ちる夢とか、超低速&低空を飛んでいる夢が
多かった気がする。
だんだん、空高く自由自在に飛べるようになり、今では二度寝して
続編を見ることもある。
そして、夢の中に3軒ほど、家も持っている。
ランダムに出現するが、間取りは覚えているので、目的の場所に行ける。
これがなかなか、面白い。
娘が「怖い夢見た」とべそをかいたときは、怖くなくするコントロール方法を教えたりもした。
所詮自分の頭だもの、言い聞かせたらコントロール可能だ。
そんな技術も身についた。毎日見るからできること。継続は力なり。

夢は、脳の信号整理(膨大な記憶の整理整頓)とか言われているが、
なるほど、でも、なぜ?というものもある。

二十歳頃まで、時々夢に出てくきた同じ光景。
屋内の遊具(壁に上るような)の下に立ち、上の男の子に
「かたして(入れて)」と言っている自分。
「だめー」と言う、男の子。
次に場面が変わり、保育園のような広い教室みたいなところで、
独りお弁当を食べている自分。先生みたいな人が、ホウキで掃除している。
外ではみんなが遊んでる。早く食べなきゃ。残したいけど、怒られる…
で、目が覚める。これだけの内容なのだけど、年に一度は見ていたような。

いつのまにか見なくなり、ふと思い出して、親に実はさ、と話したところ、
3歳で引っ越すまで、少しだけいた保育園の内装と同じだった。
「かたして」なんて、言ったことないし、そんな方言があったのか、
親も首をかしげていたけど、何か、印象に残っていたのだろうか。

前回の不思議な夢同様、去年の冬にも、一度あったのが。

父方の亡くなったじいちゃんの手を引き、暗い(たぶん夜)プラットホームを歩いている。じいちゃんをトイレに連れて行かなくちゃと。
線路のレールが、白く二本、くっきり浮かび上がり、なぜかうるさいくらい
小さな虫が飛んでいて、手で払いながら歩いていた。
トイレが見つかる前に、目が覚めた。
じいちゃんが夢に出てきたのは、初めてだった。

その日、勤務終了後、実家に向かって車を走らせた。
片道120キロの冬道。16:00を過ぎるともう暗くなるのに加え、
天候もあまり良くなくて。
峠にさしかかると猛吹雪となり、道路の幅も、前方も、全くわからなくなった。 かろうじて前に一台車がいて、後れをとらないよう、バックライトを頼りに、必死について行った。おいて行かれたら、路肩に落ちるだろう。
助けも来ないだろうし、間違いなく死んじゃうかも。
なんとか峠を越え、見知らぬ車にお礼を言ったが、その先には更なる苦難が待っていた。
平地の直線道路だが、両サイド畑により、防風柵の切れ目に吹雪で吹きだまりが発生していた。
場所によっては乗用車のタイヤ上くらいまでの深さで。
運良く信号で止まっていたトラックに追いつき、何も見えない中、
トラックの轍だけを頼りに、再び置いて行かれないよう、
自分の中では限界のスピードでついて行く。
実際、ここまで来たら崖下に落ちる心配はないし、スタッキングしてもなんとかなるかも…と思った瞬間、吹きだまりにタイヤがとられ、
反対車線に向かって一回転。そのまま元の車線に戻る大回転だったが、
対向車がなくて生き延びた。
うわー!と叫んだ後に脳裏をよぎった風景。
あ、線路は、轍だったんだ。
虫は、雪だったんだ。。
じいちゃん。。。

雪だるまのような車でフラフラと実家に到着し、
家に入るなり仏壇へ向かった。  
じいちゃん、ありがとう!
なんだどうしたと笑う親に説明。
父がぽつりと 「俺も昨日、親父の夢見たな」

こんな夢を見てしまうものだから、今でも寝るのが大好きだ。
毎晩、未公開のシアターなんて、贅沢な話だ。
だがしかし、もしかしたら、脳内オーバーヒートしているから
毎日夢を見るのかな?  
断線しませんように…くわばらくわばら。。

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