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食べることは生きること 生きることは食べること

Twitterで私をフォローして下さっている方は、もう、嫌なくらいにご存じだとは思うのですが、私の料理ツイート多すぎ問題。

…あるね〜。

分かる、分かってますよ。

ホントしつこくて申し訳ない。

でも、許して欲しい。

と言うのも、すい臓癌になった、今、食べられる事の喜びを本当に噛みしめているので。

3月から4月の下旬までの入院期間、40日くらいのうち、その半分、実に20日以上は絶食だった。

確かに具合が悪すぎて「何も食べたくない」って日も何日かはあるにはあった。

でも、基本的には、処置前や処置後に必要に迫られての食事制限だったので、大体いつも「お腹空いたなぁ」「早くご飯食べたいなぁ」ってひもじい思いをしていたんですよ。

僕は好き嫌いが無いし、病院食も特に不味いとも思わないので、長い入院でもとにかく食事が出来ればまずは幸せ。

でも、欲を言えばやっぱり自分の好きなモノを好きなだけ食べたい。

退院したらアレを食べたいコレを食べたいと思い続ける毎日。

YouTubeではレシピ動画ばっかり見てた。

結局、入院で10Kgも体重が落ちたし、胃もすっかり小さくなってしまって前のような量は食べられない。

しかも、退院したらまた彼とニ人でいつものように食事が出来ると思っていたし、それを楽しみにしていたのに、実際は僕の退院の間際に彼も別の病院に入院してしてしまったので、やっと家に帰って来てもすれ違いで一人きり。

求めていた、いつもの食卓はどこへ?

そういう喪失感はあったよね…。


でも食べたし、作った。

まずは好きなものを食べたかったし。

とにかく制限から一気に解放されたんだからね。

ただ、やってみるまでは自分一人の為に本当に自炊するのか?って疑問はあったよね。

基本的に牛丼とカレーだけを食っていれば割と幸せ。

もしかしたら残りの人生もこのニつだけ食べられれば幸せに生きていけるかも知れない。

で、それなら外食でも弁当でも済むしね、しかも安い。

そもそも以前の元気な頃だってそうだった。

自分一人の為だけになら料理なんてしない。

一緒に食べてくれる彼がいるからこそ作っていたという面は大いにあるよね。


食卓に並べて

美味しそうに出来たねー!

って言ってもらって

いただきまーす!

からの

美味しいねー!


長く付き合っているし、そんなに頻繁に出かけたり、旅行に行ったりもしない。

ホント地味に暮らしてる二人は、ほぼほぼ飯友達みたいなもんで、これが二人の日常だった。

でも、これが幸せだった。

だから、現状、家に一人きりで、こういうのが全く無しの状況で、はたして自炊するだろうか?とは思ったよね。


ところで、実は、今のアカウントの前に、ひっそりとやっていたTwitterの時にも、作った料理をほぼ毎日アップしていた時期があった。

これは、今の自分はどれくらい料理が出来るんだろう?という確認の為と、綺麗に盛り付けるとか綺麗に写真を撮る練習をしたかったって事と、後は、単純に二人の思い出や記録の為だった。

詳しい理由は、今回の本題から外れるので省くけど、そんな理由。

でも、今回は違うんだよね。

とにかくみんなに見て欲しかった。

Twitterのプロフィールにもあるんだけど、今の目的はおじさん二人の日常の発信なんだよね。

で、その日常の大きな部分が食事なので、料理画像をTwitterにアップして皆んなに見てもらうって事は、二人を見て貰う事だった。

飯の写真とツイートから何が分かるんだ?って思われるかも知れない。

確かにそう。

実は、それは僕自身にも分からない。

でも、二人で一緒に食事する事が幸せだと思っている事は事実なので、そこから何かしら滲み出て来るようなモノはあるかも知れないとは思っています。

そして、本当は調理中とかね、二人で食べてる雰囲気なんかも動画に出来たらなぁなんて事も考えていました。

…いました。

ただ、これは僕ら二人に訪れた最近の急な状況の変化によって、かなり難しくなってしまったかな。

多分、これからも出来ないかも。

なので、出来る事はこれまで通り、ただただ料理の画像をTwitterにあげる事だけかも知れません。

でも、最初に書いたとおり、許して欲しいなぁ。

すい臓癌が進んで、今後は転移もあるかも知れないし、無くても、やがて肝臓や腎臓が悪くなってしまう可能性も大きいと思う。

そしたら、きっと食べられなくなるし、それよりもっと早い段階で自分で料理する事は出来なくなると思う。

大袈裟だけど、それまでが残りの人生なんだよね。

人間ってね、死ぬって分かったら何か変わるのかと思ってた。

例えば、漫画のイキガミみたいにね、死ぬまでの間に何か強い目標や目的をもって、最後の命の火を燃やす!みたいなね。

これ、無いんだなぁ。

簡単に言うと、コレまでやって来なかった事や出来なかった事が、死を目前にしたところで、すぐに出来るもんじゃ無いんだよねー、なかなか、これが、マジで、悲しいけれど…。

ホント普通にね、これまでどおり仕事をこなすとか、これまでと変わり無く日常を過ごすしか出来ない。

そういうことからもね、僕は今まで通り料理を作りを続けると思うんです。

これが、最後の生きがいなんだよね。


今、こんな状況になってしみじみ思うのは


食べることは生きること

生きることは食べること


本当にシンプルに、当たり前で基本だよね。

で、良いのか悪いのか分からないけど、僕の場合は、そこに「幸せ」も乗っかっていたなぁってことなんですわ。

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