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就活を終えて

昨年の6月の頭に就活が終わった。

社会に出るといろいろ感じたことも全部忘れてしまうと思うから今のうちにnoteに書き残しておくことにする。

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動き出したのは1年前の夏頃。
急に大学やマイナビから急かされて夏のインターンに出ないと出遅れる気がしたから、なんとなく知ってる企業にエントリーした。

今思うと就活期間はずっと"理想の就活"との戦いだったような感じがする。
インターンに行かないと、たくさんESを出さないと、○○月までには決めないと、、、
何をしてても頭のどっかでこんな感じのことをずっと考えてた。

普段は普通に近づくことを目標に生きているので、平均的な人生を送れればいいやと思って生活している。
でも就活では、これまでの就活生全員が作り上げた理想の姿を目指していたから、現実との乖離が激しかった。

たくさんエントリーはしたけど、会社の数が膨大すぎてどこに行きたいかなんて決められる気がしなかった。どこに行きたいと思えばいいかすらわからなかった。

とはいえ、絞らないと見える会社全てにエントリーする機械になってしまうと思い、昔から医療業界に興味があったので製薬会社を調べることにした。

前述の通り私は普通の人生を送りたいと思って生きてきた。
だから大手なんて受からないだろうし、大手しか受けないような人が就活で病んでいくに決まってると思っていたので、業界10〜20位ぐらいの会社から見始めることにした。(10〜20位は全然大手だともっと後になってから気付いた)


結果的に地元の京都に本社がある製薬会社(A社とする)にピンと来たので、自分の第一志望を
A社だということにした。

この表現はかなり自分の感情に近くて、
別に多くの会社を片っ端から見たわけでもないし、どこでも良かったけど第一志望を決めないと就活が動き出さないような気がしたので、なんとなくその時に目についた企業を第一志望にした。
という感じだった。

そんなこんなでA社の夏季インターンに申し込みをすることになり、そこで初めてESを書くことになった。
A社のESは全体的に字数が多く、質問も独特なものが多かったのでインターンから本選考までずっと悩まされることになった。

しかし当時はまだやる気に満ち溢れており、文章を書くことにも苦手意識はなかったので、ひたすら時間をかけてESを書き上げた。


ここで気づきがあった。
私は文章を書くのが非常に遅い。
ただ筆が進まないというよりは、書いては消しまた書いては消しを繰り返す、一歩進んで二歩下がるタイプの筆の遅さだ。
昔から本が好きで良い文のインプットばかりしてきてアウトプットはしてこなかったので、
"良い文章は書けないけれど書いた文章がよくないことはわかる"
という最悪の状態が出来上がってしまっていたからだと思う。
筆が遅い問題は、ESをたくさん書くことが求められる就活において重い足枷になった。


結局夏はA社のインターンだけに参加した。
インターンといっても1dayで説明会とグループディスカッション(GD)がセットになったようなものだった。

GDではかなりうまく話すことができ、お褒めの言葉をいただけた。
これまで、なんとなく自分は話すことが得意というイメージがあったが、もう少し分解すると、それっぽいことをパッと考えて話すのが
得意なんだと思った。
逆に文章を書くスピードが遅く記憶力もない
ため、書記にかなり向いていないこともわかった。

夏季インターンは無事に終わり、夏季インターンに参加した人のみが申し込める秋季インターンの案内があった。
参加人数を絞るため、またもや大変めの課題を出されたが、なんとか通過し秋季インターンにも参加した。

こちらも無事に終えることができたが、
この辺りから就活への熱意が薄れてきて、
他の企業について調べるのが面倒くさくなり、A社一本のような雰囲気になっていった。


気付いたら年を越していた。

よく遊ぶ2人の友達は11月と1月くらいに内々定が出て少し焦り出した。
でも心のどこかでA社に内定をもらって働くことになるんだろうなと思っていた。

その時期ぐらいに、また別の友達から製薬会社のB社に内々定をもらったという話を聞いた。
B社のことは夏の合同説明会で知っていたこともあり、A社の練習も兼ねて早期選考に応募した。

この時も、自分が行きたい企業ではなく、
内々定をもらえる可能性が高いから行きたいことにする、という感じだった。

2月はESの締切に追われる日々を過ごした。
先延ばし癖とシングルタスクと遅筆が絶妙に
噛み合い、完全にキャパオーバーだった。
心の余裕がなくなるとあまり人に優しくできなくなるのを自覚していたので、友達や恋人ともあまり会わないようにしていたが、スマホを触る時間だけが増えESを書く時間はほとんど増えなかった。
結局ESを出す予定だったいくつかの企業を諦めることになり最終的に提出したのは2社だけだった。

結構しんどかったのに確認したら2社しか出してなくて「はぁ⁈」ってなった。
やり切る力が無さすぎる。

B社は、内々定が出ていた友達に色々な情報を貰ったこともあり、一次面接、二次面接ととんとん拍子に進み3月の頭に内々定をもらうことができた。

面接はどちらも世間話のような雰囲気で進み、むずかしい質問もなかった。
営業職志望だったので、コミュニケーションさえとれれば誰でもいいという採用スタイルだったのかなと思う。
オンラインだったので画面にESを表示させながら、大した対策もせず面接に挑んでしまった。
そのためスキルも身についていないのに根拠のない自信だけを持ってA社の面接を受けることになった。


昔から、油断しているとろくなことが起きなかったが今回も例外ではなかった。
A社のオンライン面接当日、PCかWi-Fiかの不調により通信障害が起こった。
何度かWi-Fiを切り替えたり、入退室をしたりしたが、改善せず、そのまま面接をすることになった。
面接官の顔は暗転し、声は遅延して聞こえ、焦りにより質疑応答もままならないまま第一志望の面接は終わった。
質問に答えながら、ぼんやりと
『そういえば昨日ちょっとPC不調だったな』とか 
『Wi-Fiが安定した教室を借りれるって誰か言ってたな』
みたいなことを考えていた。


面接が終わってからはしばらくぼんやりしていた。
面接中は焦りと不安でいっぱいだったが、終わってしまえばなんてことない感じがしていた。
酷い面接をしたけど、インターンにも全部参加したし早期選考だし、一次面接くらい通っているかもという小さな期待があった。
周りには多分落ちたわって話していた。
自分でも切り替えないとなとは思っていた。
でも確かに小さな期待が心の奥にあった。


2日後、A社から初めてのお祈りメールが届いた。

今思うと、自分の中にあったのは期待ではなくて、なめの気持ちだったんだと思う。

これまでずっと何となく生きてきて、それで何とかなっていた。
高校受験では、自分の学力レベルより少し低いところに受験して、テストの点が思ったより伸びずギリギリ合格した。
院試では、内部進学なので行きさえすれば合格するといわれていた面接に時間ギリギリで(1分以内の遅刻をして)間に合った。
それでも何とかなっていた。

だから今回も何とかなる気がしていた。

お祈りメールを見ても、悲しいとか悔しいとか怒りとかは湧いてこなかった。
ただただ大きな喪失感があった。

翌日になってようやく気持ちが追いついてきたのか情けなくなって少し泣いた。

それから現状の就活状況を確認した。

もう手元にはB社の内々定しかなかった。
面接の予定も、受けたい会社も、何も残っていなかった。

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全部書くつもりだったのに、またもや気付いたら年を越していた。
何となくいいところまでかけたのでもう投稿してしまうことにする。
この先のことを書くかもしれないし書かないかもしれないが、結局A社でもB社でもない会社からの内定を許諾し、来年度からそこで働くことになった。
就活が終わってから半年が過ぎ、すでに当時の記憶が薄れてきてはいるけど、自分の長所と短所を自覚できた就活の経験を完全に忘れてしまいたくはなかったので、noteに残せてよかったと思っている。

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