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龍馬の「日本を今一度洗濯いたし申し候」の「洗濯」のイメージについて

坂本龍馬の名言「日本を今一度洗濯いたし申し候」。
これまでは単に、汚れを落としてきれいにする、という意味で見てました。頭の中にあったのは、水から出てくる真っ白な日本のイメージ。

でも昔の洗濯から考えると、もっと強いイメージだったかもしれません。

・揉む、踏む、叩く

江戸時代の洗濯は、灰を水につけて作った灰汁やムクロジの汁につけて、もみ洗する方法。場合によっては踏む。洗濯機がないですからね。
もっと荒っぽいと、臼に入れて搗いたみたい。

ただ、これは下着や肌着などを日常的に洗う時の方法で、着物に対しては別の洗濯方法がありました。

・着物の完全洗濯、洗張りとは

昔は、着物はあまり洗うものではなかったようです。シーズンに一回洗うくらい。その代わり、洗うとなったら大掛かりです。
その方法が、洗張(あらいはり)。

縫い合わせてある着物を全部ほどいてバラバラにし、もとの一枚布の形に縫い直して洗います。洗い上がったら、糊をつけて板に貼り付けて乾かす。
もう一度着物の形に縫い直して完成。

要するに、着物の形がなくなるまで分解して、洗って組み直すわけ。
何もかも元に戻し、一からやり直す洗濯です。

洗張なら、日本を一度バラバラにして新しく組み直すぞ、という決意になります。改革者と言われる龍馬なら、洗張のほうが、ぴったりしますね。

・洗張ですね! と終わるつもりでしたが

………この文章、本当は前段で終わる予定でした。

「龍馬の洗濯、イメージは洗張りですよ」という結論にする気で、ここまで勢いよく書いてきたのですが、あらためて原文を確認したら、全然違う結論が待ってました。

この手紙が書かれたのは、1863年。長州藩が外国船を砲撃し、アメリカ・フランスに報復される下関事件が起きています。

龍馬は手紙の中で、下関事件で負けたのは、日本の官吏(姦吏と書いているのは批判のため)が、外国と通じていたからだと決めつけています。

右の姦吏などハよほど勢もこれあり、大勢ニて候へども、龍馬二三家の大名とやくそく(約束)をかたくし、同志をつのり、朝廷より先ヅ神州をたもつの大本をたて、夫より江戸の同志(はたもと大名其余段々)と心を合セ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたく(洗濯)いたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候。

文久三年六月二十九日 坂本乙女あて

要するに「外国と通じるような汚職官僚を倒してやるぞ」というのが洗濯の内容。まだ、新しい構想などは全然ありませんでした。

汚れを落とすだけなので、もみ洗いの方が正解だと言えるでしょう。原文をきちんと読んだ人なら当然知ってる結論で、お恥ずかしい限り。

この時期、龍馬はまだ勝海舟の弟子になったばかり。それから多くの人に会って考えを熟成させ、維新の英雄たちと構想を語るには、まだ数年を待たなくてはならなかったのです。


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