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C-3Pおじいさん

私たちの日々は、想定内と想定外で成っている。
私たちの一生涯という全体は、年月日に分解でき、日々とはすなわち想定という円の内側と外側で構築されているものなのだ。

えてして私たちの生とはままならぬもので、想定していない時に限って想定外に見舞われ、またある時は想定の円の内に配置した事柄に限って勢いよく外に飛び出すこととなり、またある時は想定外が良い出来事になることもある。

「人生は地獄よりも地獄的である」

とは、芥川龍之介先生の"侏儒の言葉"の一説だ。
すなわち、想定の円の中から出る事のない規則性ある地獄など、どれほど厳しい責苦だろうが三年あれば慣れてしまう。
しかし、いつ想定の円の外に出るか出ないか分からぬ人の生とは、規則性が無い理不尽だからこそ、地獄よりも地獄的なのだ。
と綴っている。

ゆえに私たちは、いかに理不尽やイレギュラーという想定外の円の外に振り回されぬよう、日々あれやこれやと頭を回らし想定の円の内側に諸々の事柄を詰め込もうとする。

しかし残念なことながら、えてして本当の想定外によって引き起こされる悲劇とは、まるで意図せぬタイミングで真正面から衝突してこそ、真の破壊力を見せつけるものなのである。

私は現在療養中で、仕事に就いていない。
アップダウンの激しいにも程がある療養期間であるが、ようやく今度こそはという手応えを掴みつつある。

心身の状態も復調傾向にあり、私は徒歩圏内のスポーツジムのプールに行った。
長いブランクがあったので、まだまだ時間たっぷり泳いだり、長距離泳ぎ続けたりということはできていない。
なのでいつもウォームアップはいきなり泳ぐのではなくて、ウォーキングで身体を慣らすようにしている。

ふと耳をすますと、子ども向けのかわいいBGMが聞こえてくる。
おおかた赤ちゃんやちびっ子たちのプール教室があったのだろう、と特に気にせずウォーキングをしていたのだが。
どうもBGMが気になってきた。
何が流れているのだろう。

エレクトリカルパレード

ディズニーランド夜のパレードの十八番である。

…やってくれる。

まるでウォームアップでプールをウォーキングしている私が、さながらディズニーランド夜のパレードでゲストの前を練り歩いているみたいではないか。

やれやれと思いつつ、ウォーキングコースを見渡すと、一人のおじいさんがいた。
手足を小刻みに動かしながら、後ろ歩きをしているおじいさんが。

…中々にやってくれる。

まるで私はこのおじいさんと共に、パレードを練り歩きながらゲストにサービスしているようではないか。
そう思うと、おじいさんの動きがコミカルに見えてきて、まるでおじいさんがマスコットとしての仕事を全うしているのではないだろうかとすら思えてきた。

…中々にまずい事になってきた。

これは想定外のシチュエーションに、私は意図せず組み込まれてしまったのではなかろうか。

だが大したことではない。
ウォーキングを終え、泳ぎ始めた頃には覚えてもいないだろう。
エレクトリカルパレードも終わり、私たちマスコットも楽屋に戻る頃合いだ。

そう思いながらウォーキングの復路に差し掛かった時、次のBGMが始まった。

リトルマーメイドのアンダー・ザ・シー

…狙いすぎだろうが。

間髪入れぬ見事なBGMの連携に、苦笑しつつ隣のスイムレーンに顔を向けたら。

おばあちゃんがクロールで泳いでいた。

…生足魅惑のシニアマーメイドか。

これはまずい。
これはまずい。

まさか心身のリハビリがてらのプールに来て、こんな事態に遭遇するなど想定外にもほどがある。

…だがまだ辛うじて大丈夫だった。
おばあちゃんが、クロールだったから。

これがもし、足にフィンを付けたドルフィンキックだったとしたら、私はおそらくウォームアップのウォーキングを一往復しただけで逃げ帰ったことであろう。

だがまだ辛うじて大丈夫だったのだ。

しかしこうなると、三曲目のBGMが怖くて仕方がなくなった。

例えば

ディズニー エレクトリカルパレード
ディズニー アンダー・ザ・シー
ジブリ   さんぽ

といった変化球を投じられたら、私は間違いなく空振りの三球三振を取られてしまう。

三曲目は何が流れるのか。
緊張しつつ復路のウォーキング中に耳をすませば。

とくに差し障りのない童謡だった。

やれやれ。
まさかこんなBGMの暴力を腹部に受ける事になるなんて。

私は事なきを得て、しばらくスイムに集中できた。

全面を使う事ができる時は、
・ウォーキングコース(広め)
・上級者コース
・中級者コース
・初心者コース

といった布陣がなされている。

しばらくすると、レッスンコースの準備のため、
・レッスンコース(半分)
・スイムコース
・ウォーキングコース

といった布陣に変更された。

えてしてスイムコースとは、往復で二人がすれ違える程度の幅しかない。
レッスンコースが始まるにあたってのウォーキングコースも例外ではなく、とはいえ大した支障があることではない。
あることではない、はずだった。

私は前述の事などまるで忘れて泳いでいたが、一息入れるインターバルを挟むため、狭くなったウォーキングコースを歩き始めた。

5,6m歩いた頃だろうか。

とんだBGMが流れ始めた。

白雪姫のハイホー

もうだめだ。
これはだめだ。

完全に不意を打たれ狼狽し、込み上げる笑いをついに堪えられなくなってしまった。

なぜか。

白雪姫のハイホーとは、劇中のどんな場面で歌われたか。
鉱山で一生懸命働く7人の小人たちが、仕事を終えて一列になり歩いて家に帰る途中で歌われるのだ。

7人の小人たちが一列になって鉱山から歩いて家に帰る白雪姫のシチュエーション。

複数人のプール利用会員が一列になってウォーキングコースを歩いているシチュエーション。

勘弁してくれ。
マジで勘弁してくれ。

7人の小人たちは帽子の色が全員違う。
かたや複数人のプール利用会員も、スイムキャップの色が全員違う。

いい加減にしろ。
マジでいい加減にしろ。
なぜここまでシンクロさせてくれるのか。

とうとう蓄積された笑いを堪えきれなくなった私は、とにかく丹田に力を込め、笑わぬよう笑わぬよう、25mプールの奥に到達すべく歩み始めた。
水泳部にいた頃の大会の時より、間違いなく苦しい歩みだった。
じわじわじわじわ歩くことになったので、ハイホーもサビに入り、一際大きなハイホー!の声に、やかましいわ!と心中毒づくも、どんどんどんどん面白くなって仕方がない。
自分も他の人と一緒に一列で歩いている限り、7人の小人の一角を担っているも同然なのだから。
這々の体で25m地点にタッチした私は、即座に隣のスイムコースに場を移し、一目散にクロールで向こうまで到達した後、脱兎の如くプールから出てシャワーを浴び、更衣室に逃げ帰った。

恐ろしかった。

何が一番恐ろしかったとかいえば、誰もBGMをおかしい、面白いと思っていないのである。
ツッコミ不在の恐怖とはよくいったもので、こんなに面白すぎるシチュエーションに組み込まれた私からすれば、不可思議で仕方がない。
他のご年配の会員も、監視員やスタッフに至るまで、誰一人としてこの異様なまでの面白さにかけらも気づいていないのだから。

私が間違っていたのだろうか。
苦悩に苛まれつつ、水着とキャップを乾燥機にかけながら、ようやく一息つく事ができた。

とはいえプールであった事を振り返ってみると、我ながらなかなかに面白い体験だったのではないだろうか。

そう考えた私は、乾燥機の中身を手に取りロッカーの前で事の顛末を反芻し始めた。
いわゆるすべらない話のような話題を誰かにするならば、ある程度話の中身を整理し構築しなければならないからだ。

まず何があったかな。

エレクトリカルパレードをBGMに、手足を小刻みに動かしながら後ろ歩きするおじいさんがいた。
小刻みに動くC-3POを逆再生していたかのように。

その瞬間、私は今までの立ち振る舞いや判断を、完全に誤っていたことに気がついた。

一連の展開を反芻し、一番面白かったポイントが、どこにあったのかを痛感した。

おじいさん、あんただったのか。一番面白かったのは。

想定外すら超越した大発見に、私は一番奥のロッカーとかべと肘で三角形を作るようにして、本気で笑い始めてしまった。
堪えているつもりだったが、側から見たら明らかに一人で笑い転げている三十路男性がそこにいた。

面白い推理小説を読み終えた後、二周目を読み始めた1P目に、犯人のおじいさんがいたかのような。
面白いバトル漫画を全巻読み終えた後、二周目を読み始めた第1巻第1話の1P目にいた、モブのちょっと変わったおじいさんがラスボスだったかのような。

そんな事が。
そんな事が。
本当に今この瞬間にあっていいのか。

一連の私が受けた理不尽も面白すぎたが、てめえで反芻し始めたことによってさらに面白くなってしまった。

笑いを隠す手段も片腕しかない中、なんとか私は笑いの炎を鎮火させようと必死になった。

全てはあのおじいさんが、先にウォーキングコースにいたところから始まっていたのだ。
こんな体験をしたくなければ、私はおじいさんを目視した瞬間、一目散で逃げなければならなかった。
一連の展開も全て、あのおじいさんが企図したものであったのだろう。

こんなバトル漫画あったよな、など連想すればするほど、笑いの炎にてめえで油を注ぎに注いで炎柱になっていた。

よもやよもやだ。

ただ一つの不幸中の幸いは、更衣室に私しかいなかったことである。
おじいさんの武士の情けだったのであろうが、本当に助かった。

しかしようやく、やっとのことようやく、私の笑いの炎柱を鎮火させ、大きな息を一つついた。

パンツ履かねえと。

参加される皆さんの好きを表現し、解き放つ、「プレゼンサークル」を主宰しています! https://note.com/hakkeyoi1600/circle ご興味のある方はお気軽にどうぞ!