見出し画像

死ぬまでに観たい映画1001本

初めまして。菜南子です。
これから、よろしくお願いいたします。

今日は初めての投稿になるので、手短に自己紹介から。
先日、「死ぬまでに観たい映画1001本」をコンプリートするために、映画を少しづつ観ていく決断をした。それに伴い、映画について、また映画関係書籍について書いていく場が欲しいと思い、noteを開設することにした。
旅が好きで写真もよく撮るので、そう言った投稿に寄り道もしつつ、ゆくゆくはジャンルを問わずに自分の好きなことを投稿していける場になればと思っている。

なぜ「死ぬまでに観たい映画1001本」をコンプリートしたいのか

まず一つ目の理由としては、映画教養を身につけたいということである。
私は現在映画の学校に通っている。そこで気づいたのだが、ほとんどの映画好き、シネフィルと呼ばれる人たちは、大学で映画教養を学び、学生の間に映画館に足繁く通うことで古典から最近のものまで様々な映画を見ているということである。

私も、ハリウッド映画や王道のメロドラマなどは週に2本必ずレンタルショップで借りて観ていたので、映画はかなり長いこと好きだったと思う。
しかし、家族に映画に明るい人がいなかったこともあり、例えばフランス映画のような現在の商業映画の枠を出るような映画に出会う機会はなかった。
アメリカの大学に通っていたのだが、その後半、事故に遭ってしまい、陸上部に参加できなくなり生まれた膨大な時間に図書館のストリームにアクセスした。そこにはカンヌ映画祭の最新のパルムドール賞からファスビンダーのような入手困難作品までずらっと並んでおり、その頃その映画たちがどのような位置を占め、どんな映画表現のものかはわからなかったが、とにかく貪るように観た。
それが、私が映画好きになったきっかけの一つと言える。

かなり本数は観たが、それは映画学校に入って全く役に立たず、むしろ自分の映画教養の低さを実感することになる。
映画の流れのようなものをあまり理解せずに今まで映画を観てきてしまい、自分で映画を作り特定の表現をしたい際、また鑑賞した映画の特徴を批評したい際、陳腐な表現しかできないことはコンプレックスになった。

今まで、測らずともニュージャーマンシネマ、台湾映画などの前衛的で突飛な演出の多いような映画を好んで多く観てきた。好きなものだけ観ていけばいいやと思っていたが、コンプレックスを克服し、映画をもっと楽しむためには映画をもっと幅広く観て、自分にとってのuncomfortable zoneを開拓していく必要があると思った。そして、気になっていた、「死ぬまでに観たい映画1001本」にチャレンジすることに決めた。

この映画リストにも偏りがあることを知っているが、一つの映画リストをコンプリートすることで、いわばその偏りに身を投げることで新たな発見があると期待している。今までも映画リストを参照しながら映画を観てきたが、あれやこれや手を出して中途半端になってしまっていたからだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?