秋も完熟のち、空風

いつもなら、仕事帰りの電車で椅子に座ってしまえばいつの間にか眠りに落ちてしまうのですが、今日はなぜかずっと目がさめてました。目がさめてるときってもう、最近だと無意識でスマートフォンをいじって情報の海へ身を投じてしまうのですが、今日は久しぶりにそれもせずただただ目を閉じて、とりとめもないことを考えていました。すると気づいたんですが、思考がすべること、すべること。なんていうのでしょう。脳味噌の皺がのびきってつるつるになって、その表面を思考にも文章にもなりきれない言葉の残骸が、頭のてっぺんから排出されて、その脳味噌のつるつるを勢いよく滑って行ってわたしの足元にただひたすら投棄されていくみたいでした。

自 分 で 考 え る 力 が 衰 え て い る !

今のご時世、ネットには探していたもの、便利なもの、素敵なもので溢れかえっています。それはありがたいことで、恩恵も受けています。

しかし、薄暗い地下鉄の車両の中でふと、自分は今、ただ情報という文字列を通過する物体Xになっているんじゃないのかって、窓に映る血色の悪い自分の顔をじっと見つめてしまったりします。

本当はみんなも いつのまにか 本体が

スマートフォンに なって いたり したり して ?

自分のこうしたいや、つくりたいが、目の前に差し出されたら、わたしは何度だって「じゃあ、わたしがあえてやらなくてもよくない?」って、怖気ずくけど本当に大切なのは「わたしが、それをやってみたい」ってことなんだって、何度も肩を後ろから支える。支えたい。戦いだ。宣誓だ。

絵を描くだとか、文を綴るだとか、曲を編むだとか、そういうことに関してはことごとく誰かの「わたしが叶えたかった理想」に、打ち砕かれてきた。「唯一」「特別」「一番」「納得できる」そういうものを、自分に課しすぎて結局なにもできなくて、ということに今日のわたしは脳内スラム街で気づいてしまって。気づいたんだけどもう、

しゃらくせえ!!!

わたしは飽きっぽいから1つのことを極めることが今まで出来たためしがないのに、変なところで凝り性だし完璧主義だから、いつも万全を喫して、と頃合いを見図っていたけれど、そんな時は一生来ないぞ!!!!!!

というわけで、考えるよりまずただひたすら手を動かして形にしてみることにしました。

不思議なことに、こうして文章を打ち込んでいるといつもあっという間で、大切な二次元に割く時間が減ってしまうのですが、これもまあ自分の二次創作みたいなものとして、楽しんでいきたい。

わたしが生まれた時代の秋も、もうすぐ息絶える。

そのときわたしは生き残れるのか?

ぼくの平成31年戦争、開幕

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