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空白という土壌

部屋にあるもの
机・椅子・ベッド・ちょっとした小さい棚・客人用の折り畳机・加湿器。

何も置いてない床、何も貼られてない壁。
薄暗い部屋を湿らすような、ベランダをうつ雨音。
夜の底に鈍く響く冷蔵庫の稼働音。

人間が発する言葉は遠くて、
空白が多い生活をしている。

すこし前までは、空白がこわかった。
常になにかで埋めていないと、よくないことを考えたり、思い出したくない記憶がよみがえったりした。それが恐ろしくてたまらなかった。

今は埋めれば埋めるほど、自分の内側が干からびていくようでこわい。
体の中に巨大な砂漠地帯があって、そこにあらゆる情報や感情や記憶が吸い込まれていく。でも、潤うどころか、カラカラになるだけで、オアシスはいつまでもいつまでも見えてこない、永遠の砂漠が広がっているのだ。

ガラケーしか持っていなくて、ネットに繋ぐには家のパソコンだった頃。
持て余した時間を、空白を空白なままでおいておくのが常だった。

手持無沙汰になって、なんとなく、どうしたもんかな、という気持ちで乗り換えの電車を駅のホームで佇んだり、バスの中で景色を見ながら右へ左へ揺れたりしたり、稲穂が波打つのを見たりしていた。

あのころには、たくさんの言葉が、思考が、発想がわいてきた。
なにかよくわからない、形になっていないもので体がいっぱいになってしまうので、文字や絵という形にしていた。

きっとあのなんでもない空白の時間。
あれが、なにかを生み出す、あたたかな土壌であった。

外から何も考えずに摂取したものでいっぱいになっても、
きっと満たされはしない。

空白は水面のようなもの
その底になにが眠っているのか、どんな色なのか
どんな味がして、どんな肌触りなのか

正しい答えじゃないなにか
よくわからない、なにか

それが空白という土壌に秘められている


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