生きている限り、言葉はブラッシュアップし続けなければならない。

最近、「言葉」についてよく考えています。

もともと学生時代は「言葉」の勉強をしていたのもあって割と「言葉」に対しては敏感だったのですが、きっかけは元職場の人に「あなたの言葉が不愉快だから配慮して」と言われたことです。

確かにわたしは言葉遣いが割と荒い方なんですけど(マイルドヤンキーなので……)、それはあくまで地元の友人の前だけで、所謂TPOは考え話しているつもりです。その人以外の人から言葉選びや言葉遣いに対して指摘されたことはないし(寧ろもっとくだけて話せと元上司に言われていたくらい)、その人に対してもごくごく普通の敬語で話していたので、「えっ、これ以上どうすれば?」と一時期凄く悩みました。「不愉快って言われることがわたしも不愉快なんだけど、そこに対する配慮は〜!?!?」とも思わなくもなかったんですけど(笑)。

今思えば周囲はわたしとさして変わらない言葉遣いにも関わらず絶えず指摘されていたのがわたしだけだったので、単純にわたしのことが嫌いで言いがかりつけたかっただけなんだな……と感じるのですが、ここで重要なのって「どんな言葉を使ったとしても、嫌な相手の言葉は総じて嫌なものになる」ということなんですよね。どんなに丁寧な言葉を話そうとも、どんなに美しい言葉遣いをしようとも、「不愉快な人」の言葉は「不愉快」なんですよ。美しい言葉遣いをする人でも「丁寧な言葉遣いができて素敵な人だな」と思う人もいれば「慇懃無礼な人だな」と感じる人もいるだろうし。

そう思わせる要因は相手のパーソナリティだったり自分の性格からにじみ出たり様々だと思うのですが、結局言葉って、余程の力がなければコミュニケーションツールのひとつでしかないんだなと。

それを裏付けるエピソードがあって、わたしは大学時代に創作ゼミに入っていたのですが、卒論を出した時に「卒論は面白いけど、僕は◯◯(本名)さんのことをよく知ってるから、『これを◯◯さんが書いた』という前提があって面白いと思ってるんだよね。もしプロとしてやっていきたいなら、あなたの名前が出なくても面白いと思えるものを書けるようにならないとね」と言われたんですね。ある種、創作物が恩師とのコミュニケーションツールになっていたわけです。これを突破できないとプロのクリエイターになるのは難しいんだなあ、と痛感しました。それと同時に、「自分という人間を磨き続けなければ言葉の持つ力はどんどん失われていくんだな」と感じた言葉でもあります。文章を書くとき、いつも頭をよぎる言葉です。

本当に言葉って奥が深いです。自分を磨き続けて言葉をブラッシュアップし続けなければならない。それはクリエイターじゃなくても、例えば事務職とか営業職とかでも同じだと思います。人と関わる生き方を選ぶ限り、ずっと心に留めておかなければならないなと。

プロとしてやっていくにはまだまだアイディアとかインプットも足りてないのでなかなか難しいのですが、言葉のブラッシュアップはずっと続けていきたいですね。生きている限り。



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