今の時代だからこそ、言葉の力を見直そう。

わたしは日本がすきだ。その中でも特にすきなのは日本語という言語である。どれくらいすきかと言うと、あまりにも日本語がすきすぎて文学部に進学してしまったくらい、その言葉の美しさに魅了されている。

普通に生きていると、日本語という言葉の美しさを意識することはないと思う。しかし、日本語というものは本当に奥が深くて、例えば色の名前だけでも僅かな濃淡でそれぞれ違う言葉を当てはめられている。そして、それには総じて「美学」が宿っている。

例えば「黒」だけでも、英語だと「black」で通じるものが、日本語だと「漆黒」だったり「濡羽色」だったり「墨色」だったりして、僅かなニュアンスまで事細かに表現されているのだ。「漆黒」と言えば混じり気のない黒の頂点という感じがするし、「濡羽色」だと艶めいたものを覚えるし、「墨色」というと、硯の上を滑る香りまで届くような気がする。ここまでアーティスティックな言語を、わたしは他に知らない。

しかし悲しいかな、若ければ若いほど、日本語という言語を単調に済ませる傾向にあるような気がする。

偉そうに語っておいてなんだけれど、わたしもお世辞にも言葉遣いが綺麗とは言えない、というか、率直に言うと(この年齢としてはかなり恥ずかしいことだとは思うが)かなり汚い部類に入ると思う。書き言葉は意識できるからまだ良いのだけれど、喋り言葉になると途端に荒れ狂う。育った環境がヤンキー排出率高めの地域なのもある程度影響しているとは思うが、それを差し引いても相当である、と自覚する程度には汚い。敢えて取り上げると、話しているときの大体の言葉は「やばい」に集約される。

これは度々仲間内でも議論の話題として取り上げられるのだけれど、「やばい」という言葉は本当に汎用性が高く、どのような場面で使ってもなんとなくニュアンスで感情を伝えることができる。素敵なものに出会っても「やばい」し、嫌なものに出会っても「やばい」し、嬉しくても「やばい」し、焦っても「やばい」。特に日本人は察する能力が非常に高いため、どのような文脈で使用しても殆ど意図に沿って拾い上げてくれる。ゆえに、ついつい甘えて「やばい」を多用してしまう。

しかし本来は、何がどうなのか、を明確に伝えなければ、真のコミュニケーションとは言えない。上の例で言うならば、素敵なものに出会ったとき「それの何にどう心を動かされたのか」を伝えるべきなのである。そこで初めて、本来そのものが持つ魅力を正しく伝えられるのだと思う。例えば営業マンが「この商品がマジでやばくて」と言ったところで、商品の魅力が全く伝わらないために買おうという気はさらさら起きないと思うのだけれど、その商品がどういう用途で使えて、どういう場面に適していて、どのようなメリットをもたらすのか正確に伝えることができれば、多少なりとも購買意欲は刺激されるだろう。つまり、言葉は正しく使ってこそ威力を発揮するのである。

取り分けわたしたちは、とても美しい語学を身につけられる環境にいる。その言葉の美しさを活用しない手はないと思う。今一度、言葉というものに対する意識を見直さなければならないなあと思う今日この頃だ。

と言いつつ、昨日わたしは上司に「最近体調がやばいんですよね……」という、語彙力も品性もない報告をしてしまった。反省。まずは自分の言葉の力から見直さなければならないと切に思う。



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