時間が止まる。
時間が止まる
皆が過ごしてきた時間が突如として止まる。
「教室の時計は14時46分を指して止まったままだった。」
これは被災地に行った先生の言葉だった。
時が止まった教室。取り戻すことができない時間、日常。
当たり前だと思っていたことが突如として壊される。
その時、私たちは地震の恐ろしさに気づかされるのだ。
私たちは自然の摂理には抗えれないのだと。
東日本大震災もとい、東北地方太平洋沖地震が起きた前までは今まで通りの生活をするはずだった。卒業シーズンでもあり、友人や先生との別れもあったはずだ。今回の能登半島地震だってそうだ。
能登半島地震が発生した日は元日だった。
地震は日時関係なく容赦なく襲ってくる。
私たちは、元日だから何も起きないのだと心のどこかで感じていたのかもしれない。
ここで、日々懸念される巨大地震を知っているだろうか。
特に代表的なのをあげよう。
「南海トラフ地震」だ。
これは東日本大震災とは違い、周囲の人もいつかは巨大な地震が起き、被害をもたらすと報道や私らの知識として蓄えているのだ。
だが、そのことがわかっているのにもかかわらず防災意識が低いのだ。
東日本大震災での悲劇、熊本地震の28時間差で2度の震度7を観測する異例な事態。胆振地方中東部地震での道内全域でのブラックアウト、そして今回の能登半島地震。
私たちはすべてを蔑ろにしている。すべては大切にすべき教訓なはずなのに。これではまだ南海トラフ地震の死者数が減らないことに違いない。
何を考えて、何を行動するべきか。
ここでは南海トラフ地震を挙げたが、ほかにも懸念されている地震もある、日本で暮らしていく以上地震とは逃れようにも逃れられないのだ。
時間が止まるその時まで、私たちは何ができるのだろうか。
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