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ヤリマンと40人のおちんぽ騎士団


私のヤリマンデビューは遅い。
35歳でジョギングを始めて体力がメキメキつき、それに伴い性欲もグングン増し、結果として玉のような中年ヤリマンが産声をあげた。

ヤリマンは、憧れの存在だった。
私の周りには元気なヤリマン諸先輩方がたくさんいる。彼女たちは、セックスでいいパフォーマンスを出すために、あるいは性に纏わるあらゆる思考を楽しむために、心と体を健康に保つ努力を惜しまない。そのせいか、私の中のヤリマンは「ヘルシー」というイメージが強い。
友人でありヤリマンの先輩である漫画家のドルショック竹下氏は「ヤリマンとはアティテュード(姿勢)である」と言う。数多くの男とやればヤリマンというわけではないのだ。
実際の経験人数は少なくても、性に対して探究心が強く、主体的に楽しむ人はマインドがヤリマンであるといえるし、逆に何百人の男と寝たとしても、押しに弱くやればやるほど自己嫌悪に陥る人はいいヤリマンとは言い難い。
一般的に、ヤリマンというと後者のような「誰にでも股を開く不健康な女」というイメージが強い。しかし、セックスすればするほど心を病んでしまう人は、ヤリマンではなくサセコである場合が多い。他人に嫌われないため、あるいは気を引くために自分を消耗していては、疲れて病気になるのは当然だ。
このように、ヤリマン当事者が言う「ヤリマン」と、世間一般的に使われている「ヤリマン」という言葉の間には大きな乖離があるように思う。「元気なヤリマンとそうじゃない方のヤリマン」と分けてみたりもするが、結局どっちもヤリマンなのでわかりにくい。
初対面の男性に「ヤリマンのくせになんで俺とやらねえんだよ!」と怒られた時は、「やりたい男とやるのがヤリマン、誰とでもやるのはサセコだからです」と反論するようにしている。


私も若い頃はどちらかというとセックスに対して受け身だった。若い女であれば、どんなブスでもボーッと鼻をほじっているだけで勝手にちんぽが近寄ってくるからだ。
しかし、アラサーにもなるとちんぽたちは自然と離れていく。「若い女」という特権を失い、気がつけば何の取り柄もスキルもないずんぐりむっくりした中年女性になっていた。気持ちは焦るものの、どうしていいかわからず鼻をほじり続けるしかなかった。

そんな時に衝撃を受けたのが、2011年に新宿ロフトプラスワンで開催された「ヤリマン総選挙」だった。
名うてのヤリマンエリートたちが、ヤリマンNO.1を競うというしょうもなさすぎるイベントなのだが、これがとてつもなく面白かった。
体験談だけでもとんでもないエピソード続出なのに、逆ナンパの実演やヤリマンウルトラクイズ(ヤリマンウルトラクイズ?)などの実技も加わり、最高のエンターテイメントとなっていた。
出演者とセックスしたことがある男性客は「やった男シート」というVIP席に座れるという特典も生々しくていい。
テレフォンセックス勝負(テレフォンセックス勝負?)で、相手役として選ばれた会場のお客さんに「お母さんっぽくお願いします」とリクエストされた作家・大泉りか氏が、即座に

「じゃあ、お母さんとつるかめ算しよっか♡」

とアドリブで切り返していて、その機転の速さに感服した。
他の出場者たちも、テーブルの上で柔道の受け身を始めたり、謎の白人女性ジェニファーとして登壇したり、セフレの金玉の皮を高温のヘアアイロンで伸ばした時の動画を流したりと、やりたい放題で腹を抱えて笑った。
また、司会進行のセラチェン春山氏が、フェラチオ対決の最中、

「おおっとこれは…!? 分け入っても分け入っても青い山! 種田山頭火舐めだーっ!!」

と実況していて、お色気やおもしろだけじゃなくインテリジェンスも必要なのか…!?と、当時まだヤリマンの卵だった私は大きなショックを受けた。

彼女たちは面白く美しく聡明だった。
何より「ヤリマンです」と胸を張って言えるその姿がかっこよかった。
このイベントに、性におもしろを持ち込んで楽しんじゃっていいのだと教えてもらえた気がする。
鼻をほじりながら、チヤホヤしてくれるちんぽをただ待ち続ける人生を送らずに済んだのも、彼女たちのおかげだ。

ヤリマン歴10年にも満たないひよっこだが、先輩方のアティテュードを見習って元気な痴女を目指したい。歳をとったり病気したりしてセックスできなくなっても、一生ヤリマンマインドを持ち続けていたいと思う。

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