12.Twitterとかいうノイジーマイノリティの塊
インターネットの普及が止まることを知らない昨今。
誰でも簡単にアクセスし自分を表現できる機会が爆増している。
そんな中、国内でも知らない人はほとんどいないであろう人気を持つのが「Twitter」である。
Twitterの国内アクティブユーザー数は4,500万人(2019年11月)と日本国民の約36%が今も使用しているなど、もはや私たちの生活の一部になりつつある。
私も利用者のうちの1人だが、実を言うとTwitterはあまり好きではない。
今のTwitterが好きではないと言った方が正確であろう。
Twitterの便利なところはトレンド機能で大まかな時事情報をリアルタイムで取得できるところにあると考える。ネットの記事などはTwitterで共有されるのが当たり前になってきているため、オールインワンで情報を得ることができる。
地震情報なども、地震が起きている最中にどこで起きているか、他所ではどれだけ強いのかを確認することができる。
では何が不満なのかというと、Twitterユーザーの声が国民の声になろうとしている、またはなってると勘違いしている人が多すぎる、ということである
Twitterで多くの「リツイート」や「いいね」を「バズる」と言ったりするが、そのバズった内容が、あたかも国民大多数の意見のように見えてしまっているということが問題ではないかと考えている。
バズったからこの意見は正しい、反対する人はおかしい。といった風潮が今のTwitterには非常に多く見受けられる。
バズるの定義は人それぞれだがここでは基準を1万いいね、1万リツイートとしよう。
よく考えてみて欲しい。
利用者の0.02%のみが話題にしていること。言ってしまえば青森県の六々所村(人口10536人)だけで盛り上がってるお祭りとなんら変わらないということを理解して欲しい。
そんなお祭りごとをさも日本国民の声です!と言われても「いや知らないし」としか言いようがない。
それを知らない、そんなお祭りなくてもいいんじゃない?と言うとお祭りをやってる当事者から非国民のような扱いを受けることさえある。
そんなのあんまりだ。
どうしてこういった事態が頻発しているのかと言うのも、簡単に意見を書き込めることに問題があるのではと思う。
元々は表に出ることがなかったノイジーマイノリティが、インターネットの普及により簡単に表に出せるようになったことによって、少数のコミュニティが大きな声を持てるようになっているのである。
こうなることで何が問題になるかと言うと、あまりにも多様化しすぎてしまうと言うことが懸念される。
人間誰しも一人として同じ人はいない。
そのためあらかじめ平均化された基準を設けて生活してきたはずなのに、ノイジーマイノリティの声の大きさによってその基準にブレが生じてきてしまっているのである。
確かに誰しも同じ人はいないからこそ、大まかな基準を設けるのではなく、皆平等に生活できるよう基準を多く設定しろというのは理にかなっている。
だがそれがあまりにも多すぎる気がしてならない。
あれもこれも、俺も私もなんてただのわがままのようにしか思えないのである。
もちろんそのせいで苦しい生活を余儀なくされている人もいることは事実だ。
その人へ社会や人々がサポートしてあげるべきなのは当たり前だが、じゃあ私たちの生活を圧迫してまでその人に基準を合わせようというのは、これまた少し違う気がする。
色んな意見があっていい、それに同意するもしないも自由であると考える。
ただTwitterでバズった話題がみんなの意見だというのは違うということだけ言いたい。
何かの話題がバズっていても、あぁこんな考えもあるんだなぐらいの気持ちを持たないとやっていけない今のTwitterがちょっと窮屈に感じた。
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