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毒親で、毒祖母で、毒姑で。

 急に冷え込んだせいで、涙腺がバカになってる今日この頃。うちではもう一つ冷え込んだものがあった。

 もともと冷戦状態ではあった母と父方の祖母だったけど、知らない間に縁を切ってた。
 きっかけは数ヶ月前私の誕生日。祖母から電話がかかってきた。まあ、内容は誕生日おめでとうってだけだったんだけど、祖母が最後に「誕生日祝ってあげるからお父さんと2人でおいで」といった。祖母にもともと不信感のあった私からすれば、引っかかる言葉だった。まぁ、母親のこのことを伝えるのも酷な話だと思い、これは私の胸の中にしまっておくことにした。ただ夏休みに入り、帰省した際、何がきっかけだったかは忘れてしまったが私がそのことをこぼしてしまった。聞いた母は「まぁ、言われなくても一生近づかないけど」なんて言ってた。
 事態が変わったのは、今月の初めの母の誕生日。「誕生日祝ってあげるから来なさい」というのが癇に障ったらしく、「誕生日に誰が行くか、来んなっつったくせして。一生行かないのでもう関わらないでください。」とブチギレたとのこと。後日、母方の祖母に姑から連絡があったらしく、こんなことがあったと意気揚々と喋り出したが、母が声を荒げて他人に直接怒ることは少ないためそれ相応の理由があったんだろうと「はぁ」「へぇ」とか返していた。まぁ、その話の内容も酷いもので、事実と呼べるところは母に誕生日に電話をかけたところだけだった。挙句「おたくの大事な娘さんと思って可愛がってきたのに」と口まかせのでたらめを言ってたから、我慢できず笑ってしまったらしい。後日その話を聞いた父親は1人で祖母の家に行って「うちの親は頭がおかしいみたいで、すみません」と謝りに行ったらしい。

 これにより、22年という長きに渡った冷戦に終止符が打たれた。ヤングケアラーのいとこの妹の方だけが気がかりではあるが、今となっては他人なのでどうしてやることもできない。結婚してあの家族から早々に離脱することをおすすめする。とはいえ、それぞれの死に際に「お兄ちゃんをよろしくね」なんて呪いをかけられてしまうんだろうな。お父さんと一緒に暮らすべきだったんだよ、きっと。かわいそうだけど、会うこともないし、連絡先すらも知らないから、私にはもう関係ない話だ。どこかのだれかが、育児に失敗したから新しいアクセサリーを探して人生初の就職をしたことによりさらに事態を悪化させたヒステリックと、2つ下の私が学年を追い越してしまった3つ上の引きこもり大学生を抱えて生きていくだけの話。

 今年から年始は巫女として母方の実家で働くことにする。父がどうするのかは知らないけど。嫌な顔されながら、父の実家にいるのは辛かったから。おじいちゃんが死んだあたりからもうあの家に行く理由もなかったし。私の顔が母に似てきたことも気に食わないようだったし。孫の振袖姿も褒めてやれないのような老人は私の人生には必要ないし。ほんとに限界だったから、すごく身軽になった。もうゴミみたいな親戚付き合いしなくてよくなるんだ。葬式は建前は長男だからって理由で長子ではない父が喪主になると思う(祖父の葬儀のときも祖母ではなく父だった)。伯母の本音は「めんどくさい」「金蔓のいなくなった福岡に用はない」の2つだろうけど。

 何はともあれ、年末に向けて大きなゴミが片付いてよかった。

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